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  • 『女ぎらい』 - 吊忍

    私は結局詩を捨てられなかった人間だけれど、一方で、詩には裏切られた、もう素朴な形では、詩を信頼できない、という感覚も持ち続けている。私が私を取り巻く現実にほんの少し切りつける、そのための武器としてすら、詩は役に立たなかった。全く役に立たなかった。たとえば上野千鶴子の方が、百倍役に立った。そういう実感だ。散文の力、理論の力、というものがある。入り組んだ現実を理解可能な言葉へと分析し、統合し、それを変えうる可能性と方法を示すこと。言葉が最も見えやすい形で「武器」となるのはこういう時だろうが、その意味では、詩は、少なくとも詩と呼ぶに堪えるような詩は、全く使い物にならない。それはやはり、散文でなければならないのだ。この上なく明快な、多義性などという贅肉を落とした、効率的な伝達にむけて鍛え抜かれた散文でなければ。そしてそのような散文がまさにそのことによって帯びる独特の輝き、私はその中にしばしば、いわ

    PAGZIN
    PAGZIN 2011/03/22
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