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12月16日の選挙結果は、自民党と公明党が合計で320議席を超える大勝となった。自民党総裁が、以前から「戦後レジームからの脱却」と言ったり、改憲志向が強いということが指摘されていたが、今回はまず憲法96条の改正に意欲を示しているということで、この点について危機感を感じる人は少なくないと思われる。 僕自身も、怖いなあと思わないところがないけれども、ただこれは、日本が1990年代から進めてきた多数決型の民主主義を重視するという発想からは、必ずしも不思議ではない。レイプハルトが議論した議会制における多数決型民主主義と合意型民主主義の比較は次に示すようなモデルが提示されていて*1、以前の中選挙区で派閥連合に基づく自民党政権が、合意型民主主義のひとつの典型と考えられてきたものを、多数決型民主主義に変更しようということになるわけだ。中央銀行を政府に引き寄せようとするところなんかも、ある意味で多数決型の
坂本龍一から 政治家のみなさんへ福島を忘れないでください。 原発のない日本を作ってください。 脱原発を目指す政治家は協力してください。 日本の未来である子供たちを守ってください。 たきもと しげこ(法律学者) 皆さんは、憲法が、その生死を確認し、死せるものは蘇生させなければいけない、いわば「生き物」であることをご存知でしょうか。 その昔、ドイツで社会権について初めて規定した先進的なワイマール憲法が、突然殺され、無効化されたのです。1933年3月23日のことです。 その理由は、合法的な選挙によって政権を握ったナチスによって、全権委任法が制定されたことにあります。これは緊急事態の宣言さえすれば、国会での議論を経ることなく、内閣が単独で自由に立法権を行使できるという法律でした。 その後、ドイツ国内では様々な非人道的な所業が合法化され、さらには全世界を巻き込んだ前世紀の最終戦争へと発展していったの
昨日、片山さつき氏の人権天賦説放棄発言についての記事を書いたが、この記事に対する反応で、「権利行使に義務が伴うことは自然」という反論をする人がtwitterなどを見るとちらほらいたようである。 この、「権利行使には義務が伴う」というフレーズほど、誤解されているものは無いと僕は思う。今日は、その指摘をしておこう。 よくある間違いなのだが、この「権利行使には義務が伴う」というのは、「義務を果たすことによって、初めて権利が付与される」という意味ではない。権利行使を義務の対価と考えるのは、(近代の自由主義的な考え方の下では)正しくない。例えば、かつては日本にも一定額以上納税をしないと選挙権が無かったという暗い時代があったわけだが、「権利を義務の対価」と考えると、このような考え方を肯定することになりかねない。 「権利行使には義務が伴う」というのは、もっと単純な話である。例えば、僕には選挙権がある。投
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