彼女[バトラー]が本質主義と呼んで批判するのは、ジェンダーを生物学的なセックスに基礎をもつ自然なものであるとする反フェミニズムの性差別主義ばかりではない。もうひとつの主要な論的[sic――敵の誤植?]は、ラディカル・フェミニズムを標榜するフェミニスト法学者で、おそらくアメリカ合州国で最もメインストリームなフェミニストといっていい存在であるキャサリン・マッキノンなのである。(p.80) マッキノンの議論は表象の批判として理解することができる。彼女の論理構成は単純化すれば、以下のようにまとめられるだろう。表象する主体と表象される客体があり、男性はつねに表象する主体というポジションを占め、女性は表象される客体=対象のポジションに追いやられる。能動性、主体性は男性によって独占され、女性には受動性、客体性しか残されていない。表象する主体は、表象を構築する権力をもち、表象されるだけの客体は、その表象に