十王それぞれの本地仏との対応関係は鎌倉時代の日本で考え出されたものである。 「泰山府君」は、仏教起源の「閻魔王」とは異なり、中国起源の冥界信仰の地である泰山に由来する「泰山王」が、単独での信仰を得たものである。 初七日は、命日を第1日と数えた第7日、つまり、命日の6日後である。他の日・年も(一周忌以外は)同様である。ちなみに、神道の「三年祭」は3年後である。 歴史[編集] 中国[編集] 仏教が中国に渡り、当地の道教と習合していく過程で偽経の『閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経』(略して『預修十王生七経』)が作られ、晩唐の時期に十王信仰は成立した。また道教経典の中にも、『元始天尊説酆都滅罪経』、『地府十王抜度儀』、『太上救苦天尊説消愆滅罪経』という同名で同順の十王を説く経典が存在する。 『預修十王生七経』が、一般的な漢訳仏典と大きく異なる点は、その巻首に「成都府大聖慈寺沙門蔵川述」と記している
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