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ブックマーク / font-da.hatenablog.jp (50)

  • 「『萌え』の正体」(「國文学11月号」) - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    國文學 2008年 11月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 学燈社発売日: 2008/10/10メディア: 雑誌購入: 1人 クリック: 21回この商品を含むブログ (15件) を見る 「國文学」が、トチ狂って「萌え」についての特集を組んだので、一応買った。「萌え」というのは単なる流行語*1にすぎないだろうし、数年後にはたぶん「そんなのもあったねえ」とか言われるのだろう。もう「萌え」の話は飽和状態だし、今回の特集もあまり期待していなかった。 ところが、意外と数は面白い文章が載っていた。中でも、田透「『萌え』の行く先――文学は敗北したのか」は印象に残った。田さんは、以下のように文学史をまとめる。 吉隆明ふうに言えば、「大きな物語」=「共同幻想」に自己の居場所を見いだせなくなった70年代後半以降の大衆は、徐々に「小さな物語」=「対幻想」の内部へと入りこんでいった。この「対幻想」の中に「

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    REV 2008/10/18
  • なんで「これは性暴力だ」と思うのか - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    以下、これもメモです。 私が、ずっと疑問に思っていることのうちの一つは、「性暴力で傷つく度合いは、個人差が異様に大きい」ということだ。 一般的には、顔見知りよりも見ず知らずの他人から受けたレイプのほうが、タッチやオーラルセックスよりも挿入されるレイプのほうが、被害者を深く傷つけると思われやすい。実際、裁判でも、前者よりも後者のほうが、重い刑罰を科されることが多い。ところが、ちょっとした性暴力だと思われやすい、満員電車での痴漢を受けることで、深く傷つく被害者がいる。大変な性暴力だと思われやすい、ストリートレイプを受けても、人生にたいした影響を受けない被害者がいる。 また、被害を受ける年齢が低いほど、深刻に傷つくと考えられることが多い。しかし、幼少時の被害がその後の被害者の人生与える影響が大きい、とは限らない。成人してからの被害であっても、その後の被害者の人生に与える影響が大きいことはよくある

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    REV 2008/09/22
    つ (感情の)自己決定権
  • 臨床家というポジション - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    以前の記事で、「ビッグイシュー日版」での、上山和樹と斉藤環の往復書簡の形をとる「ひきこもり社会論」を取り上げた。それに対して、上山さんからレスポンスの記事もいただいている。上山さんの論に対して、私が何を言うのか、ということへの結論は出ていない。ただ、議論の行方は追っている。 そして、最新号の100号で、斉藤さんの「観客席に『臨床』はない」が掲載された。これで、上山さんと斉藤さんの断絶は決定的になったかもしれない。それでも、上山さんは全力を尽くして応えるとの記事をあげておられるので、私はまさに観客席から見守りたいと思っている。 さて、斉藤さんの記事について、少し触れておく。斉藤さんは、上山さんに「観客席にいる」と批判されたことに対して、反論している。 いちばん引っかかるのは、繰り返し私を「観客席にいる」と決めつけていることです。あえてベタな話をしますよ。私には臨床の現場がある。週4日の外来

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    REV 2008/08/06
  • あなたは、なぜ笑っているのか? - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    「世界のナベアツ」という芸があって、それに障害者差別の要素が含まれている、という指摘があった。 世界のナベアツの悲しみと楽しみ 対して、芸には、身体に特徴がある被差別者(ここでは、おもに障害者)を「見世物」にしてきた歴史があると、指摘する人もいる。そして、その人は次のように述べている。 自ら心性の愚劣さを自覚せず、障害者やフリークスを嘲り、人格を貶めるような人間はいるだろう。そんな輩の視線を基準に考えなければならないというなら、もう何もいうべきことはない。当によくできた隠蔽社会が必ずしも不幸だという確信はぼくにはない。けれども、ナベアツのアホ芸を見て障害者を持つ親も一緒に笑えるような世界は、絶対にあり得ないのだろうか。不具を笑うことがちょっとした後ろめたさも込みにして受け入られる世界。たとえば、障害者が障害をウリにした芸人をやる。ぼくはそれを不健全だとは思わない。そうなればいいとさえ思う

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    REV 2008/06/27
  • 命の重さは同じではない - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    「G8サミット外相会合」が昨日、今日と行われている。京都は、ものものしい雰囲気で、大きな道の四辻には、警察官が配備されている。隊をなして、移動もしている。大変な威圧感だ。 それで、さっき、重要人物らしき人たちが乗った車が通り過ぎるところに立ち会った。私が渡ろうとしていた、横断歩道の脇の信号は、10分くらい赤のままに止められていた。何事かと、近隣に住む人たちも出てきて、道端に並んで見物している。自動車の通行は制限され、自転車が軽く車道にはみ出るのも、警察官によって注意された。警察車両が一台通り過ぎる。助手席の警察官が、窓から身を乗り出して、状況確認をしながら、口に無線マイクをやって何かを指示していた。少し間があいて、数台の汚いバンや四駆がすごいスピードで通り過ぎる。中には、黒いサングラスをかけたSPが乗り込み、歩道に立つ私たちの側に顔を向けている。後部座席に乗っている人たちも、ちゃんと車の中

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    REV 2008/06/27
  • 細谷実「美醜としての身体――美醜評価のまなざしの中で生きる」 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    これは、金井淑子編「身体とアイデンティティ・トラブル―ジェンダー/セックスの二元論を超えて」に収録された短い文章である。 身体とアイデンティティ・トラブル 作者: 金井淑子出版社/メーカー: 明石書店発売日: 2008/05/30メディア: 単行購入: 1人 クリック: 36回この商品を含むブログ (10件) を見る 細谷さんは、美醜という基準は、常に「美/醜」を序列化する作用が伴うことを指摘する。「Aは美しい」と言明することは、常に同時に、「Aでないものは醜い」とする作用を伴うのだ。そして、醜い人は、美しい人より下位に位置づけられる。この序列化により、醜いとされた人は、他者に攻撃されるだけでなく、自分自身を卑下し、嫌悪して苦しむことがある。これが、美醜によるハラスメントである。 さて、細谷さんは、このハラスメントの被害にどう対処するのかを考察する。細谷さんは藤野美奈子「不美人論」とデイ

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    REV 2008/06/24
  • 非モテは語ることができるか? - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    秋葉原の事件後、犯行直前に犯人が書き込んだと思われる、文章が一部でアップロードされている。そこで語られたのは、「モテ」についてだった。 多くの人が、この事件を心理学や社会学によって分析することに、違和を表明している。説明が過剰だという人もいる。だが、そのような分析が溢れるのは理解できなくもない。 アップロードされている書き込みが、実際に犯人によってなされたとするならば、彼が犯行直前にこだわっていたのは「モテ」だったというこになる。「モテないから、無差別に人を殺す」そんなことがありえるのだろうか?親との不和や、精神の未成熟や、派遣労働の厳しさが理由であったほうが、よっぽど納得しやすい。実際には、私には納得できないが。 私がこのアップロードされている書き込みをみて、瞬間的に思い出したのは、杉田俊介「無能力批評」である。 無能力批評―労働と生存のエチカ 作者: 杉田俊介出版社/メーカー: 大月書

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    REV 2008/06/15
    「杉田さんが欲したのは、自分でも受け入れがたい醜い自己像を、「恋人」によって承認されることだった。一般的な言い方をすれば、これは「他者からの無条件の肯定を求めている」ということになるだろう。」
  • スイーツフォビア - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    「スイーツ(笑)」という表記が流行っているのは知っていたけれど、長らくその意味はわからなかった。「笑」「笑」と書くと楽しげな感じがするので、「みなさん、盛り上がっているなあ」と他人事であった。チトの「みどりのゆび」効果*1で、「辛い現実も笑い飛ばそう!」というポジティブな表現かな、とか勝手に妄想していた。 しかし、実際には、「スイーツ」という単語を使う女子を、蔑み嘲笑するという、殺伐とした表現だった。あんまり良い笑顔ではないみたいだ。女子は、主体的に考えることがなく、リテラシーがないという。なんかもう、150年前にJ.S.ミルが批判したようなミソジニーとあんまり変わらん。 ところが、id:kanjinaiさん経由で、「スイーツ男」を批判する記事を読んだ。 男のクセに甘いものが好きだなんて、普通に考えたらヒジョ〜に恥かしいことなんだから、どんなに甘いものが好きでも、男だったら、人前では「男が

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    REV 2008/06/03
  • 若松孝二『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    久しぶりに映画館*1に足を運んだ。この数年、1960年代の回顧録や、団塊世代の自叙伝の発行が増えている。ひしひしと、この時代に青春を送った人たちの「語り残さねばならぬ」という気持ちが伝わってくる。一連の若者たちの革命運動へのコミットの中で、たくさんの人たちがゴミのように死んだ。そして、それはまだ、総括も自己批判もなされていない。私は、父や母ですら、団塊の次の世代である。まったくこの時代のことを知らないからこそ、興味を持ってきた。 というわけで、こまめにこの手の作品はチェックしているので観てきた。 3時間以上の長編だが、大まかに3部に構成されている。「1960年から1968年の学生運動」「連合赤軍の結成と展開」「あさま山荘での銃撃戦」の3部である。 1部の学生運動を概観していく映像は圧巻だった。当時を記録した白黒のフィルム映像による、国会突入や街頭での投石、バリケード封鎖という運動の過激化の

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    REV 2008/05/12
    //「二次差別」の問題として捉えるのね。
  • 「博士の生き方討論会」 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    週末に、立命館大学で以下の討論会があるらしい。 ◆◇◆「博士の生き方討論会」◆◇◆ 「立命館大学GCOE生存学創成拠点」では、 1.若手研究者がしぶとく生をつかみ取る方法を模索する 2.研究者として、混迷の時代の身の処し方をそれぞれで考えてみる 3.関西圏在住のドクター院生・OD・PDの交流を深め、生き抜くための友をつくる ことを目的とした討論会を開催いたします。 ◇企画blog「博士の道しるべ」 http://blog.goo.ne.jp/drikiru ■概要 日 時:2008年3月9日(日曜)14:00〜17:30 場 所:立命館大学 以学館地下1F堂 アクセス http://www.ritsumei.ac.jp/mng/gl/koho/annai/profile/access/kinu_l.html キャンパスマップの5番の建物 http://www.ritsumei.ac.jp

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    REV 2008/03/07
    「「猫も杓子も大学院に進むのはおかしいことではないか?」」 猫も杓子もトロを喰うのはおかしい。俺トロ喰うからお前尻尾な。猫も杓子も酸素吸うのはおかしい。俺酸素すうからお前サリン吸ってみろ。という話。