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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/zoot32 (14)

  • 私たちまだ死んでない - 空中キャンプ

    サリンジャーは、「ジェローム・デイヴィッド・サリンジャー」という、それだけですぐにユダヤ系だとわかってしまう名前を隠すために、ずっと、JDサリンジャーと名乗っていたのだという。かくいう私も、ちょっとだけそれに似た理由で、たかこ BLと名乗っている。BLがなにを略しているのかを、私は口にすることができない。だから私は、行儀のいいタクシー運転手みたいに、余計なことをいわず、どこへいってもできるだけおとなしくしている。 私たちの日での生活はいくぶんきゅうくつだ。いつも、誰かに見つかってしまわないかとそればかりを心配している。三者面談のときには、お父さんにきちんとひげをそってスーツを着てもらうようにおねがいしなければいけなかった。「ちゃんとしたスーツを着てね」と私はいった。「なるべく原理主義者っぽくないやつ」。お父さんは肩をすくめて、「わかってるよ。俺は三者面談にはターバンを巻いていかない主義な

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    REV 2009/09/12
  • 「歩いても 歩いても」を見たゼ! - 空中キャンプ

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    REV 2008/06/29
  • 「ケータイ小説的。”再ヤンキー化”時代の少女たち」/速水健朗 - 空中キャンプ

    速水健朗新刊(原書房)。ちょうおもしろい! 社会学的な見立てもばっちり決まって、綿密なリサーチと共に展開される論旨も説得力じゅうぶん。ケータイ小説を論じながら、同時に郊外論であり、携帯電話の普及にともなうあたらしいかたちのコミュニケーション論でもあり、九〇年代から〇〇年代にかけての文化論でもある。こうしたたくさんのキーワードが、速水の提示するひとつの枠組みの中にぴったりと収まる気持ちよさが味わえる好著でした。これ、すごくいいですよ。「なにかを上手に説明されるとすごく気持ちがいい」というわたしの性格にぴったりの一冊、「説明されたがり」の欲求を満たしてくれるテキストである。 わたしは東京に住んでいて、ふだんは新宿の紀伊国屋か、渋谷のブックファースト(移転してからはいまひとつ好きではない)、もしくはパルコ地下のリブロでを買う。映画を見るのも、同じく新宿か渋谷。車は持っていないから、買いものをす

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    REV 2008/06/10
  • 2008-04-22 - 空中キャンプ

    きちんと目的を定めないで書店をうろうろしていると、ただ時間ばかりがいたずらにすぎてしまい、気がつくと奥菜恵の告白をたんねんに熟読していたりする。だめである。あらためていうまでもなく、わたしはあと50年もしないうちにころっと死ぬのであり、いずれ不帰の客となる前に、たくさんの良書を読むなどしてできるだけ有意義に時間をすごすべきだということを頭ではわかっているつもりなのだが、どうしてもそれができないのはひとえに意志のひ弱さゆえである。 しかし、奥菜さんはいろいろとたいへんなようで、特に離婚後の恋愛関係のくだりは「おもしろいなあ」とおもいながら読んだ。離婚した後、歳下の恋人ができたこと。しかしその男が浮気ばかりするのでくやしかったこと。電話にでないので不審におもって家の前までいき、そこから電話を鳴らしたら、女もののカチューシャを頭につけた恋人が携帯で話しながら玄関からでてきたこと(=会話を聞かれ

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    REV 2008/04/23
    勝ちまくるマッチョ、場代を奪われ続けるウインプ、マッチョになろうとして一文無しになる偽マッチョ、チップを集め続けるディーラー。恋愛資本主義というより恋愛カジノ。
  • お母さんと子ども - 空中キャンプ

    いぜん住んでいた家の近くには区民プールがあって、夏になるとわたしはよくそこで泳いでいた。たしか、200円で4時間泳げるとかそんな感じだったとおもう。公園の中にある屋外のプールで、とても気持ちのいい場所だった。わたしはいつも、そこで気が済むまで泳いでから、プールサイドで文庫を読んだりしてすごした。たぶん8年くらい前の話だ。 その日もわたしは区民プールにいて、適当に泳いでからプールサイドで休んでいると、わたしのとなりに3人の親子連れがきた。お母さんと、娘ふたり。わたしのいるすぐ横にシートを敷くと、タオルや水筒の入ったかばんを置いて、3人は座った。親子連れの会話をなんとなく聞いていると(他人の会話は聞くよね、たいてい)、どうやら娘ふたりの「どうしてもプールに行きたい」「今すぐ区民プールに連れていくべし」という要求に負けて、お母さんがふたりをここに連れてきたらしいということがわかった。暑い日だっ

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    REV 2008/03/18
  • 空中キャンプ -「生き延びるためのラカン」/斎藤環

    ラカンというのはフランスのおっさんで、自称フロイトの一番弟子である。もう死んでしまった。死んでからも、いろんな人に悪口をいわれて、親切なジャック・デリダが、「あの人はかわいそうな人だったんだから、そんなこと言ったらだめですよ」とたしなめた。すごい天才だったという。天才というのはおおよそのところ、かわいそうな人生を送るものではないかとわたしはおもう。 たしかにラカンはすごい。まずの値段がすごいとおもう。「セミネール」(十三巻)は、それぞれ五千円、「エクリ」(三巻)は一冊が七千円ていどする。まったくもってふざけた道楽である。買えませんよ、そんなに値の張るを。しかも超難解ときているのだから始末がわるい。そんなお金を払って買ったの感想が、「なにが書いてあるのかわからなかった」では、あまりにもむくわれない。「昭和むくわれない音頭」をうたってさしあげようかしら。ラカンに。 それでも、ふだん、いろ

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    REV 2008/02/27
    生き延びることができるか。 読んだこと以外は忘れた。
  • 「ラカンはこう読め!」/スラヴォイ・ジジェク - 空中キャンプ

    スラヴォイ・ジジェク新刊。ついに、ジジェクが語る "How to read Lacan" である。結婚式には白のスーツでキメる男、ジジェク。あのスロヴェニアのおっさんが、ラカンを直接的に解説してくれるのだと期待が高まった。ラカンはきわめて難解だといわれている。巻末には、ジジェク人による読書リストがついているが、ラカンの主著「エクリ」について、「いきなりエクリを読みはじめても、何ひとつ理解できないだろうから」とはっきり書いている。何ひとつって、ねえ。なかなか踏み出しにくいラカン思想の第一歩をどうにか、という気持ちで、このを手に取りました。 とはいえこのは、「象徴界ってこういう意味ですよ」「対象aとはこれを指します」といったたぐいの解説ではまったくない*1。むしろ、ラカンを使えばどのように現実を解釈できるのか、ラカンを通じて見る世界はどのようなものなのか、ラカン思想の具体的な使用法とで

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    REV 2008/02/08
  • 空中キャンプ - 十代の子には、おかしなかっこうで歩きまわる権利がある

    よくでかけるとんかつ屋さんで、ゴスロリの女の子がとんかつをべているのを見かけた。彼女は、母親と一緒に店にきていて、なんだかたのしそうにわらいながら、とんかつをべていたのだった。彼女の服装は、どちらかといえば、ゴスの比重がつよく、ゴス7、ロリ3といったところで、いずれにせよとんかつ屋の雰囲気からはあきらかに浮いていたし、とんかつをべるにはいささか不向きな服装であることもたしかだった。また、ゴスロリととんかつという組み合わせにも、なんだか妙なものがあったが、それでも、わたしは彼女を見ながら、ゆかいな気持ちになった。彼女のとんがり具合が、心地よかったのである。もっととんがれ。もっとすごい服を。いっそのこと、できるだけ常軌を逸しためちゃくちゃな服、たとえば拘束衣とかでとんかつをべにくればいいのに。 十代の子には、おかしなかっこうで歩きまわる権利がある。道ゆく人がみなふりかえるような、奇抜な

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    REV 2006/12/14
  • 空中キャンプ 落とし穴問題について

    昨今、マスコミをおおいにさわがせている「落とし穴問題」について、僭越ながら、わたしからもひとこといわせていただきたい。このところ、ほぼ毎日、落とし穴にかんするニュースばかりが集中して報道されていることは、みなさんもご存じだとおもう。しかし、新聞も、テレビも、すこし騒ぎすぎではないだろうか。もう、落とし穴の話は聞きあきたよ。この、落とし穴報道の過熱についてこそ、わたしはたいへんに懸念しているのである。 たしかに、「ついに深さ7mの落とし穴出現。もはや10m級も時間の問題」といったニュースは、人々の関心を集めるだろう。10mっていったら、それ、もう落ちたら確実に死にますからね。それを、ことこの期に及んで「いたずら」と呼ぶ風潮にたいしては、わたしも憂慮しております。じっさいのところ、そんな穴が、そこら中にぽっかり開いていては困るのである。歩くのがこわいよ。最近の落とし穴は、なにしろ深いですからね

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    REV 2006/12/07
    セキリュティーは報道規制論。?
  • 空中キャンプ - とつぜんレイシズム(休憩時間中に)

    ふだんの会話、日常的な雑談において、場の空気が凍りつくようなことはあまりないが、ごくたまにですけど、隣国の人たちにたいして、ものすごい差別的な内容の話をはじめる人っていますよね。そういうのって、たいてい年配の人なんだけど。あれって、どきっとするよな。ぜんぜん平気な顔で、そういうこわい話をはじめるおっさんが、たまにいますね。各種メディア上では、そうした極端な意見を目にすることもおおいが、実際に、面とむかって、ふだんの会話の中で、そのような内容の話をはじめられると、びっくりするし、いったいどうリアクションしていいのか困る。今までに何度か、そんなことがあった。そして今日である。 まあ、仕事の合間の、ごくたわいもない話題だったわけです。「小泉、靖国いったねえ」という。「どうおもう? 公約だっていっているけど」と話題をふられるが、正直、あまりよくわからない。「どうなんですかねえ。小泉は、風俗とかいく

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    REV 2006/08/17
  • 空中キャンプ-自殺なんかしたらだめに決まっているじゃないか

    世の中には、議論することそのものが、無意味でむなしい問題がある。それはたとえば、人には自殺をする権利があるのか、また、人を殺すのはなぜわるいのか、などであり、わたしはこうした議論を真剣におこなっている者を見るたびに、憂な気持ちになるのだった。いやだなあ、とおもう。問いそのものがむなしい。こういった問いを発することが、なにやら重要で、真摯である、とでもいいたげな態度がいやなのだ。なぜ、かかるつまらない問いを、まじめに引き受けるのだろう。「そんな、ばかな質問に、誰が答えてやるものか。このくされ鮹」と一喝した後、飄然とうどんをえばいいのにとおもっていた。 春日武彦著、「17歳という病」(文春新書)には、実に納得させられた。上記の疑問が、一気に溶解したためである。なんか、すっきりしたよ。やはりこれは、質問そのものが、くだらないのである。そういった疑問を持つこと自体、不遜で、幼稚なのだ。春日がい

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    REV 2006/07/21
    「春日は、小浜の論を受けて、「一言でズバリと語り得ることだけが真実の持つ強さであると勘違い」してはいけないと書く。」
  • 2006-07-11 - 空中キャンプ

    ゴキブリはとてもいやなものだが、わたしたちには、あらためて考えておかなければいけないことがある。彼らは、危険を察知すると、逃げる習性がある、ということについてだ。やつらは逃げる。人間をこわがっているのだ。現時点では。わたしたちは、それを当たり前だとおもっている。しかし、これが仮に、逆だったらどうか。想像するだけでおそろしいことになる。 「人間を見ると、襲いかかってくるゴキブリ」 書いただけで、戦慄が走る。たとえば、台所で見かけたゴキブリ。ものすごいスピードで、こちらに向かってくる。がさがさがさ。足にかみついてくるのだ。そんなことになったら、わたしたちは、悲鳴をあげて逃げだすしかない。完全に立場逆転である。そろそろ、ゴキブリたちも、相談をはじめているのではないか。 「ひょっとすると、人間は、俺たちにびびってるんじゃないのか」 「こっちから、襲ってみるのはどうだろう」 「意外に、効果あるかもな

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    REV 2006/07/11
    ヒッチコック乙。
  • 空中キャンプ- 「イェルサレムのアイヒマン」を読む/第二回 -

    アイヒマンは、ナチスドイツで「ユダヤ人問題」のみを専門的におこなう、唯一の立場にあった男である。このテキストは、イスラエルでおこなわれた、彼の裁判についての記録という形式をとっている。600万のユダヤ人殺戮におおきく関与した男。1961年におこなわれたこの裁判は、世界中に注目され、ナチスのユダヤ人迫害の事実がひろく知られるきっかけにもなった。 ヨーロッパ中のユダヤ人を追いまわし、600万人を殺すという、「人間の理解を超える苦難」(p164)の中心にいた者が、いったいどういう人間なのか。おそらく、常識では考えられない精神の持ち主であろうと、誰もが考えるはずである。きっと、どんなおそろしいできごとにも、眉ひとつ動かさないような、尋常ならざる冷徹さを持っているのではないか。ところが、法廷に立ったアイヒマンの言動は、その予想をおおきく裏切るものだった。 ただのおっさんだったのである。 気がちいさく

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    REV 2006/05/12
  • 空中キャンプ - なんとなく働くという知恵

    25歳までふらふら遊んでいた、ともだちの女の子が、ついに就職することを決め、職探しをしているところだという。彼女の話をいろいろと聞いていると、とても興味ぶかく、社会経験のあまりない子たちが、「就職をする」ということをどうとらえているのか、わずかだが、わたしなりに気がつくことがあった。 何社か履歴書を送った、というので、会社名を教えてもらうと、「COACH、プラダ、エスティーローダ」。その子にとって、就職がどういうものなのか、会社名だけでもなんとなくわかる。そういった、きらびやかな会社に入ることが、彼女にとっての自己実現であり、それ以外のよくわからない仕事をするのは、単なる苦役のようなものであるらしい。うーん。気持ちはわかるのだが、働くということに対するイメージが、すこし貧しいように感じた。世の中にはたくさんの仕事があって、どれもがそれなりにおもしろい。どんな仕事だって、やってみればけっこう

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    REV 2006/04/12
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