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ブックマーク / zeromemory.sblo.jp (32)

  • suVeneのあれ: 非合理的だと感じる理由によって従わされる不快感について

    2008年08月17日 非合理的だと感じる理由によって従わされる不快感について 社会生活・集団生活の中では、常に自分の意見が通ることはないというのは、誰しもが納得することだろう。 ただ、その通らない理由が、(主観的な判断で)非合理的な理由、または納得できない理由である場合、人は不快感や屈辱感を味わうことが多いのではなかろうか。というか、そういうものだとして話を進める。 不快感や屈辱感が残るパターンの相手 否定されると怒りだす人 自分の意見が否定・指摘されると、すぐさま怒り出す人というのがいる。大きな声で怒らないとしても、明らかに不快感を表情に出す人などもそれにあたる。自分より気の強い相手や、体力的に強い相手だと、脅迫的な意味で従わざるを得ない部分があるので、どうしても屈辱感が残ることだろう。 話を聞かない人 話を聞かない人の中にも幾つかパターンがあるが、一つは、今まで違う方法でやってきたか

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    REV 2008/08/17
  • suVeneのあれ: 「何故ですか?」「理解できない」に潜む否定的意味

    2008年03月25日 「何故ですか?」「理解できない」に潜む否定的意味 よく俺はネット上の文章におけるコミュニケーションで、「何故ですか?」とか「○○が理解できない」という事を書くわけだけれども、それを「主張に対する否定」という意味と解釈されることがあるから、一応気をつけているよ、という話。 質問としての「何故」、否定としての「何故」 まず、「何故?」にも二種類の意味があると思われる。 それは、質問する側が、「自分が正しいと思う主張と異なる」と考える時に発せられる「何故」と、そうでない場合に発せられる「何故」である。 前者の例を挙げると、目上の人間が目下の人間(母から子や、上司から部下、など)に対して叱咤の意味で発せられる、「何故そんなことしたんだ!」「あなたのやったことが理解できない!」といったものがあるだろう。この場合の「何故」や「理解できない」には、明らかに「叱咤される側の方法は間

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    REV 2008/03/25
    疑問なのか、反語なのか、それともDoSなのか区別はつけづらい。
  • suVeneのあれ: お前は敵か味方か

    2008年01月10日 お前は敵か味方か 炎上、というか、人が集まってきて熱中しやすい話題というのが幾つかある。 その内容は、政治、宗教、差別といった社会的に大きな問題から、好きな歌手や、応援している球団、のような、まさに「自転車置き場」に代表されるような身近な問題までさまざまだ。 で、今日はそれらの中のひとつの話という訳でなく、それらの議論をしているときにかなりの割合で発見できることができるタイプについて書いてみる。どういうタイプかといえば、タイトルどおり、「お前は敵か味方か!?」という視点を固持しようとするタイプの人のことである。(自分だけ固持するどころか、相手にもそれを望むタイプ) 以前、私は mixi のとあるコミュの「分煙について」みたいなトピックで、取り交わされる議論を見ながら、自分の意見を何個か投げたことがある。その際、自分が喫煙者か非喫煙者かを特に明記せずに、質問をしたりし

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    REV 2008/01/10
    「意味のわからない糾弾」「全然関係のないこと」 
  • suVeneのあれ: 「~~すれば(しなければ)よいのに」という反応について

    2007年10月04日 「~~すれば(しなければ)よいのに」という反応について ブログ上のエントリや、誰かの話に対して「~~すれば(しなければ)よいのに」という反応はよくあることである(俺もよくいう)。そして、その「~~すれば(しなければ)よいのに」という反応は、合理的な解決という意味において一理ある場合も多い。 しかし、自分も含めて注意しなければならないのは、その反応の対象が「~~すれば(しなければ)よいのに」ということを理解した上で書いているのではないかということだ。または、どのようにして解決すればよいかというような視点で書いていないという可能性だ。つまり、自分の中にある葛藤や心理を聞いて欲しい、見てほしい、そしてできれば理解して欲しいという為の言語化である。 具体例を挙げると 人と話すのが恐い〇〇のブログの内容が・△△のコメントの内容がむかつく上司がむかつくし会社にもウンザリ などと

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    REV 2007/10/04
    肉が食べたい人は、魚屋じゃなくて、肉屋にいけばいいのに。
  • suVeneのあれ: 「釣り」について

    2007年10月02日 「釣り」について 「釣り」についての個人的な態度など ウェブ上の文章などを読んでいて、あまり一般的ではない、どちらかといえば過激な言葉使いの文章があったりすると、その反応でよくみうけられるのが、「はいはい、釣り釣り」というような反応がある。 というか、俺自身も「これは釣りだろう」という反応をすることがあるわけだ。 じゃぁ、俺はどんな時に「釣り」というのかと考えてみたところ 明らかに間違った(と俺が判断・解釈する)前提のもとで大袈裟な極論を展開している時 などが多いようだ。 実際気でその著者がその論を主張している場合に対する、揶揄的な意味合いを持つタグ付けな場合もある。 来俺が期待する「釣り」というのは、過剰反応を期待したツッコミどころ満載の文章の中にも、実はロジック的な解答が忍ばせてあったり、叙述トリックであったりというミステリ小説的な何かや、どこかに笑いやユー

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    REV 2007/10/02
  • suVeneのあれ: 私的制裁

    2007年06月24日 私的制裁 元々、口が達者だと言われるような子どもだった。 理屈・屁理屈・ルール・善悪を問わず思ったことを口にする子どもだった。 神経質すぎる子どもでもあった。 5歳前後にして、髪の毛が抜けて10円はげができるほどに。 小学校にあがる前に引越をした。 それまでの近所の友達とはお別れをし、新しい場所での生活が始まった。 幸い同じような年齢の子供は近くに沢山いたので、遊ぶ友達はすぐにできた。 しかし、子どもというものは時として残酷なものである。 ある日、1歳~3歳上の子ども達に家に呼ばれた。 その家の両親は留守だった。 そこで人生1回目の私的制裁を受けた。 つまり、リンチというものを経験した。 新参者であり、生意気でもあるその子は目障りだったのであろう。 同時にそれは、信じるものからの裏切りという意味でもあった。 その時の記憶は朧げである。 覚えているのは、ソファ、音量の

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    REV 2007/06/25
  • suVeneのあれ: 好きな対象を否定される時に感じる嫌悪感について(追記)

    2007年06月11日 好きな対象を否定される時に感じる嫌悪感について(追記) ※ 昨日の続きでも書こうと思ったが、興味のあるエントリを読んだのでそれについて。 奥様、鼻毛が出ておりますことよ - 当に好きで大切なものを守るために口を閉ざす。 ざっくりと要約すると 音楽のとあるバンドが好きだ同じ嗜好を持つ人達と(蘊蓄を含む)話しをするのは楽しいでも、「知識自慢」になるのが嫌いで、くだらない自分の好きなバンドをどんな形であれ批判されるのが嫌だってな感じだ。 おもしろいと感じたのは、以下の2点だ。 好きである対象について、知識量を競いたくなる心理好きな対象を否定される時に感じる嫌悪感 前者はどこかの心理学者なり分析なりにまかせるとして、後者について少し感じたことを書こう。 何故ならば、俺は大抵の会話や対話などにおいて相手が「好きだ」という対象について、自分が好ましくないと判断した場合、「俺は

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    REV 2007/06/12
  • suVeneのあれ: エイプリルフールにほんとどうでもいいうそ記事をかくブログがむかつく!

    2007年04月01日 エイプリルフールにほんとどうでもいいうそ記事をかくブログがむかつく! いや、まぁ俺一人むかついてても何の影響もないのは分かっているし、「何て了見の狭い奴だ」と思われるのは承知のうえだが、言わずにはいられない! なんつーか、いかにも「一生懸命考えました!」って感じのうそ記事って、なんだかその著者のテンションと、読んでる側(つまり俺)のテンションとの温度差が激しく、売れない芸人のコントを見ているかのような気分になる。 普段なら、そんなしょーもない記事も気にはならないのだが、「エイプリルフール」だとかいう馬鹿な日のせいで、いっせいにつまらない記事が増えるのがたまらん。 エイプリルフールで笑ってもらうような嘘をつきたいのならば、身近な人間だけに限定しておけばよいのに、不特定多数に公開してしまうのは、なんなのだろうか。 この記事は嘘じゃありませんから! posted by s

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    REV 2007/04/01
    一年中真偽不明な文字列を作成しています←文章とは呼びづらい
  • suVeneのあれ: その発言には「悪意がない」という免罪符

    2007年02月20日 その発言には「悪意がない」という免罪符 という主張を、意識して利用することがある。 いや、「悪意がない」ことについて虚偽はないのだが、それでも尚主張せざるを得ない状況というものが個人的にある。 勿論、「悪意がない」ことで全てが許されるとは思っていない。「相手が悪意を感じた」ことによる責任が発生することもあるだろうし、「傷つけたという事実」が過失に当たる場合もあるだろう。ただ、それに怯えて必要以上に相手を配慮した(かのように見える)発言を俺はしたくない。 このようなことを書こうと思ったキッカケは、前回id:b_say_soさんとのやり取りに続き、今回id:laddermoonさんとのやり取りがあったからではあるが、この両者だけに向けて書きたい訳ではなく、今までの実体験としての全般的な話として書き記しておこうと思ったからだ。 * どのような時に「悪意がない」ことを主張す

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    REV 2007/02/21
    最近、カギカッコが流行っている?
  • suVeneのあれ: 人を「嫌う」ということ(その1)

    2007年02月13日 人を「嫌う」ということ(その1) こないだの記事はネタだ。ただ、書き方はまるっきりネタだが、内容についてはそんなに考えてることとずれていない。 今日は「人を「嫌う」ということ」について書いてみようと思う。 まず、ブロガーについてなんだが、「嫌い」なブロガーってのはいない。これは、id:umeten さんの考えとほぼイコールだ。2007/02/11 12:38 umeten しかし、嫌いなブロガーってのは、普通目にしないし読まないものなのであんまりいないものなのでは?それでもブクマ数ゆえに目に付く場合に気に障るようになるとか。 はてなブックマーク - suVeneのあれ: 嫌いな(ハテナの)ブロガーの ID を挙げようぜ! (抜粋)先ほどもいったように「嫌い」なブロガーなどは「あんまりいない」というか、つまらん記事と判断したり、何いってんだこいつ?って思う記事はそもそ

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    REV 2007/02/13
  • suVeneのあれ: 嫌いな(ハテナの)ブロガーの ID を挙げようぜ!

    2007年02月11日 嫌いな(ハテナの)ブロガーの ID を挙げようぜ! あれだ。 好きなブロガーとか、興味のあるブロガーの記事は見かける事が多いんだが、嫌いなブロガーやツマラネーと思ってるブロガーの事書いてる記事ってのは見かける事が少ない気がするな。この場合、メディア系とか OhMynews とか GIGAZIN とか FPN とかそういうのじゃなくて、ほんと個人のブログの話な。大手も省く。(どこから大手かってのはまぁ感覚で。俺の感覚では 404 Blog Not Found みたいなのは大手って感じだな) いや、見かけない事はない。「こいつのこういう書き方が嫌いだ」「こいつはこういう部分がバカだ」などと、正面から DIS っている記事はたまに見かける。ただ、なんつーかあれだ。「好き」なブロガーほどは、気軽に書けないって事だな。 何故かと考えると、そりゃ簡単だ。 「好き」というのは関わ

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    REV 2007/02/11
  • suVeneのあれ: あるある捏造で騙された人を嘲笑する人を見て

    2007年01月23日 あるある捏造で騙された人を嘲笑する人を見て 件の、あるある捏造(納豆でやせるって放送の資料の幾つかは捏造だったよって話)で、騙された人が多数いて、その人々に対して「騙されるほうがアレだ、プギャーm9(^Д^)」とか、「リテラシーが云々」と高説を垂れる人々を見て思ったことなのだが、個人的には「捏造をしてしまうメディアの体質」や、「そんな事実はないことを理解していて黙っている体質」こそ糾弾すべきであり、「俺(私)は騙されなかったよ、騙されたやつはバカ」ってのはどうかと思うのだが。 とは言いつつ、ネットに距離が近い人だと確かに「納豆でやせるは根拠がない」ってのは結構目にする機会が多かったので、そのようにバカにしたくなるのもわからんでもないのだが、騙された人々ってネットに普段距離が近くない人とかが多いのではないだろうかと推測してみたり。「とにかく痩せたいんだ!」って事で、科

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    REV 2007/01/23
  • suVeneのあれ: 事実を事実として受け止めるという事(id:b_say_soさんへ仮の返信)

    2006年12月28日 事実を事実として受け止めるという事(id:b_say_soさんへ仮の返信) 落ち着いて考えて entry をあげている余裕が無いのだが、あまりに時間が経ってから言及するのもなんなので、とりあえず個人的に考えている事を b_say_so さんへの仮の返信としてみようと思う。構成を考えてないから、多分長文になる。前の b_say_so さんの entry を読み返した訳でもなく、直接的なコンプレックスへの対応の対案でもないのだが、全ては繋がっていると思うので、俺が個人的に考える 自意識・コンプレックス・差別・抑圧・不条理・個と集団などに対する基的なスタンスを語る。 Say::So? - 昨日の補足とsuVeneさんへごめんなさい まず、前提として言って置かなければならないことがいくつかある。 一つは、俺は自分が持つ根的な弱い部分はほとんど表に出さないという事。表とい

  • suVeneのあれ: 言葉の定義を曖昧なままに混同して論じるのは面倒(が起きやすい)

    2006年12月05日 言葉の定義を曖昧なままに混同して論じるのは面倒(が起きやすい) 追記: 2006/12/05 19:00 タイトルちょっと修正 la_causette: ネット上の誹謗中傷といじめの関係 まず、言葉というのは概念を表す為の記号だと思っている。また、同じ記号でも文脈によって意味は変化するので気をつけなければならない。 最近に限った話ではないのだが、「わかりやすい」言葉を使う事で「多くの人」に共通認識がとれると勘違いし、一見分かりやすそうな言葉で意見を主張し何かを表明した気になる勘違いというものが存在する。 例を挙げるならば、「自由」「平和」「平等」のような近代的な思想の基となるような言葉や、社会問題などで度々使われる「自己責任」「いじめ」、そしてネット上のごく一部で最近しばしば目にする「スルー力」などがそれにあたる。 どの言葉も、とても分かり易く見える言葉なのだが、

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    REV 2006/12/05
    キライなものにファシズムとラベルを貼る人
  • suVeneのあれ: ブログに対する自己表現至上主義と馴れ合い至上主義

    2006年11月30日 ブログに対する自己表現至上主義と馴れ合い至上主義 ブログに対する思いは人それぞれである。 その人が何を目的とし、何の為の手段としてブログというツールを使用しているのかは、多種多様であるという事だ。 ブログの目的というのは何かという考察を半年ほど前に書いた事があるが、今回はその中でも「自己表現至上主義」と「馴れ合い至上主義」を取り上げて書いてみようと思う。 *「自己表現至上主義」と「馴れ合い至上主義」の定義 説明するまでもないが、念のため簡単な定義をしておこう。 自己表現至上主義とは ブログが自己表現の為のツールであると同時に、「ブログで自己表現する事自体」に価値を見出す事 自己表現の為以外にブログを使用する事を認めないほど、自己表現至上主義傾向 馴れ合い至上主義とは 書く内容や自己表現より、他人と繋がる事に価値を見出す事 繋がりを重視するあまり、会話の流れを分断する

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    REV 2006/12/01
  • suVeneのあれ: リアルとかけ離れた議論

    2006年11月15日 リアルとかけ離れた議論 ブログに書くという目的の中に、一つは意思の表明というものがあるだろう。 ただ、ふとブログで意思を表明する事が虚しくなる事はないだろうか。 表明する問題が切実であれば切実であるほど。深刻であれば深刻であるほど。 その問題からはあまりにも遠く、あまりに及ばず、あまりに無力である事を実感する事はないだろうか。 俺は議論することは嫌いではないが、どうも虚しくなる話題というものがある。 「中絶問題」「いじめ問題」「募金・寄付」とかその類。 要するに、とてもリアル寄りで深刻な問題であるが、なかなか当事者になりにくい問題。 別に、現場の人間や当事者でないと議論するなといっている訳ではない。 ただ、何て言うか 「それでは、次の社会問題で~す」 ってな感じでメディアや、周りからお題を渡されて 「ハイ!ハイ!ハイ!」 と、小学生のように盛んに手を上げて答えるのは

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    REV 2006/11/15
    で、長い文章を書くと「中二かよ!」続けて議論すると「粘着かよ!」とDisられる罠。
  • suVeneのあれ: 批判・反論は意外と難しいをいう話

    2006年10月23日 批判・反論は意外と難しいという話 この辺の話を考えてると、どうも ♂ の人と同じようなタイトルになってしまうのだけれどもわざとではない。 まぁ批判と罵倒(悪口)を勘違いしているという話は別に置いとくとして、内容について反論しようとしても個人的によく犯す間違いがあって、批判・反論というのはなかなか難しいという話を書いてみよう。 * 「○○は××である」という内容に、「△△も××だ!」という反論 これは犯しやすい間違いである。 例えば 「女はわがままである」とか、「mixiのコミュはムラ社会である」という主張に対して、「男もわがままである」とか、「ブログもムラ社会である」という反論はとても的外れだ。 (元の主張が「女だけが」とか「mixiとブログを比べてmixiだけが」と言っている場合を除く) 何故的外れかというと、元の記事の著者は“女”あるいは“mixiのコミュ”に対

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    REV 2006/11/13
    おもしろい
  • suVeneのあれ: ムラ社会、及びムラビトにおける幾つかの勘違い

    2006年11月08日 ムラ社会、及びムラビトにおける幾つかの勘違い 「モヒカン族」に関する言及は最近J-CAST ニュースをキッカケにしていくらか言及される記事を見かけたが(伝言ゲームのように湾曲していっているが)、それに対峙する「ムラ社会」又は「ムラビト」についての言及は“わかりきった事”と思われているのか、さほど目にする機会がない。 しかし、たまに見かける「ムラ社会だなぁ」とか「ムラビト」と指摘されている場面で、「それは違うんじゃないか?」と思うことがたまにあるので、ちょっと考えてみよう。 * ムラ社会の定義 特徴としては「モヒカン族 - ムラ社会」に提示されている特徴がわかりやすいのだが、箇条書きで定義してみよう。 閉鎖的かつ排他的であること 伝統主義であること 結果平等であること 議論・自己主張・指摘を無条件で悪とし、両成敗・謙遜を無条件で善とすること(指摘=人格攻撃と関連) 個

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    REV 2006/11/08
    「ウザイなら読まなきゃいいんだが、たまたま目に入ってくると、ひたすらイラっとくる事がある。」
  • suVeneのあれ: ああああああああああああああああ

    2006年11月07日 ああああああああああああああああ ――― 周りの人が「戦え」「頑張れ」「負けるな」といった。その期待に答えようと君は、常に戦って、頑張って、負けないようにしてきた。でもそんなアナタに言いたい「たまには休んでもいいんだ」と。「つらいなら逃げてもいいんだ」と。逃げるのは恥じゃない、負けるのも恥じゃない。そりゃ、その時は恥ずかしいかもしれないが、そこはゴールでは決してないから。大切なのは「勝ち続ける事」じゃないから。たとえ逃げてたとしても、負けたとしても、その経験は絶対に消えない。君の血となり骨となり、君自身を育ててくれる。それに、君はいつも周りが敵ばかりだと錯覚しているようだけど、そんな事はない。君の味方が少なくともここにいる。 ――― ネガティブなコメントがつけられて少し嫌な気持ちになった。当はそんなつもりじゃないのに、誤解され、誤読され、レッテルを貼られて罵倒され

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    REV 2006/11/07
    という文章を(以下略
  • suVeneのあれ: 「どうでもよいこと」について 3つのパターン

    2006年11月05日 「どうでもよいこと」について 3つのパターン 毎度の事ながら検証した訳でなく感覚の話で申し訳ないが、「どうでもいいのだが~~」という言葉で綴られる文章における意味についてちょっと感じた事を書いてみよう。 俺も最近「どうでもいいこと」について、簡単に触れたが 記事において「どうでもいいけど~~」「~~だよね、どうでもいいけど」といっているのは、「どうでもいいと思いたい」場合が多いように思う。 まぁ、どうでもいいけど。 suVeneのあれ: 「ブクマコメント」を見て「記事を読まない」事は思考停止か否かこの時はちょっとネタ的に触れただけで深く考えていなかったのだが、ここ最近「どうでもいいこと」について見かける記事の観点が同じ視点からの事象を言い換えただけに見えるので、自分なりに整理してみようと思う。 まず、「どうでもいい」と述べられる時にある背景は大雑把に分けて 3つくら

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    REV 2006/11/06