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ブックマーク / iwamototakashi.hatenadiary.jp (8)

  • 「ウ−マン・イン・ブラック」と「デトロイト・メタル・シティ」を見た - 岩本隆史の日記帳(アーカイブ)

    日は家庭サービスデー。子供がいないので相手はのみだけれど。欲張って、演劇と映画とカラオケの3立てにした。 まずは、渋谷のPARCO劇場で「ウ−マン・イン・ブラック」を観劇。斎藤晴彦と上川隆也の二人芝居だ。個人的にホラーはあまり好きでないのだが、二人芝居でホラーというのも珍しかろうと思い、見ることにした。 私は、怖さはともかく、役者の長台詞に感心した。特に斉藤は私の両親と同年の生まれで、古希に手が届かんという年齢なのだが、よく覚えられるものだ。いくら演技が達者でも、記憶力が悪ければ役者にはなれないのだなあ。当たり前か。 迷路のような渋谷駅構内を歩き、副都心線で新宿三丁目に移動。新宿バルト9で「デトロイト・メタル・シティ」を見た。怖いもののあとには笑えるものが良いだろうと踏んだのだ。 いやあ、見て良かった。私は『近代麻雀』誌の購読を十数年前にやめてからマンガは読んでおらず、「デトロイト・

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    REV 2008/08/24
  • 罵倒するなら堂々と - 岩本隆史の日記帳(アーカイブ)

    言論人をキチガイ呼ばわりして訴えられそうになり、恐くなったのか「言論によるトラブルを法廷に持ち込むのは言論人にあるまじき行為」と喧伝している記事を読んだのだが、他人事ながら情けなくなった。 「あるまじき」と思うのは自由だが、そんな俺ルールが法より優先されると思っているのか? 「キチガイ」のような罵倒を言論だと思っているのか? 自説に自信があるなら、法廷で堂々と戦えばよいのではないか? 特に3点目が情けない。法廷でも自説を堂々と主張すればよいではないか。「以上の理由でO氏の発言は誤りであり、そのような発言をするのは氏がキチガイであるからに相違なく、すべからくキチガイは首を吊って死ぬべきであり、そのためのロープは私が」 追記(2008-07-16) 誰のことを言ってるんだろう。堂々と、名指しして、批判すればいいのに。 はてなブックマーク - kana-kana_ceoのブックマーク / 200

    罵倒するなら堂々と - 岩本隆史の日記帳(アーカイブ)
  • なぜ容姿だけを不可侵視するのか - 岩本隆史の日記帳(アーカイブ)

    頭髪の薄い人を「ハゲ」と笑って楽しいか、お前ら小学生か、という意見をもつ人がいる。その人が、別の場所では(自身にとって)幼稚な意見をもつ人を指して「バカ」と公言して楽しそうにしていたりする。実に滑稽だと思うんですがね。ああ、口調が移ってしまった。 容姿の悪さを笑うのは小学生レベルだが、知能の低さを笑うのはそうではないというのは、虫の良い話だ。他人の欠点を笑っていることに違いはないのだから。 その人にとって、容姿だけは不可侵視しておきたい理由が何かしらあるのではないか。だいたい推測できるのだが、言わぬが花というか。 追記(2008-07-10) id:pbhさんからトラックバックをいただきました。ありがとうございます。 しかしこれらは多分、個人個人が何処で線引きしてるかって問題に過ぎず、こうした線引きは「悪口を一切言わない」「どんな悪口も容認する」の間に無数の線が引けてしまうために、それこそ

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    REV 2008/07/10
    主題との関連性
  • 他人に頼る前に - 岩本隆史の日記帳(アーカイブ)

    そんなやりかたは、みんなもっと「間違ってる」と批判しないといけない。 http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/25 マザーテレサの「やりかた」が「間違ってる」と思うならば自ら批判するだけで充分ではないか。なぜ「みんな」も「批判しないといけない」という話になるのか。間違っていると思う対象を批判するもしないも個人の勝手だろう。他人に命じられる筋合いはない。 もしかしたら「マザーテレサの間違いを知らない」という無知そのものを責めているのかもしれないが、ならば自ら率先して「マザーテレサの間違い」の周知に努めるのが先だろう。 ただしというべきか、私は元記事を読んでもマザーテレサが「間違ってる」とは思えなかった。元記事は巨人ファンが「江川の手抜き」(古いな)を責めているようなもので、「じゃあ自分で投げれば」としか私は感じない。

    他人に頼る前に - 岩本隆史の日記帳(アーカイブ)
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    REV 2008/04/20
    よくわからないけど、批判した人(の中から恣意的なだれか)は、文句をいうならお前がやれ、という話ですね。//個人の価値観で批判するのはいいが、それを社会に要求するのはよくない、ということかな。
  • 不本意ながら「公共の福祉」問題について - 岩本隆史の日記帳(アーカイブ)

    7月29日の日記に、『私は、公共の福祉に反しているわけでもない他人の行動を「若気の至り」だの「アホ」だの評するのは公共の福祉に反することだと思っている』と「根拠を挙げずに」書きました。そのことを不満に思っている方がいらっしゃるようです。 さらに、「もちろん私と違う考えの人もいるだろうが、だからといって議論する気はない」とも書きました。そのことを不満に思っている方もいらっしゃるようです。 別に不満を持たれるのは構わないのですが、登録してもいないgooIDの登録完了メールが届いたり、「殺」タグを含むブックマークコメントで「必ず返答くださいね」と言われたりしている状況なので、不意ながら「弁明」してみます。 まず、『公共の福祉に反しているわけでもない他人の行動を「若気の至り」だの「アホ」だの評するのは公共の福祉に反することだ』という意見が正しいかどうかを考えてみましょう。 拍子抜けされるかもしれ

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    REV 2007/08/03
    「思う」に根拠がいるのか。
  • ブログのプロフィール欄に大学名を書くのは自由だし、芥川賞なんか簡単に取れると豪語するのも自由だ - 岩本隆史の日記帳(アーカイブ)

    大学名を書く学生さん: あんたジャージでどこ行くの http://blog.goo.ne.jp/funamushi2/e/c74fda4d223dd25ae79730cc4b09ba59 私は他人のブログのプロフィール欄に大学名が書かれていても何とも思わないし、「芥川賞なんか簡単に取れる」と豪語している記事を読んでも微笑ましく思うだけだ。 しかし世の中には、上記リンク先のような記事を書かずにいられない人がいる。(私にとっては)取るに足らない出来事に(私にとっては)過剰な意味を見出してしまう人たち。 私は彼らに、はっきりいって怒りを覚えるのだが、彼らと議論したところで不毛なのは目に見えている。リンク先のような記事を書かずにいられないほど彼らが感情的になってしまったのは事実なのだから。「あげつらうような話じゃないんじゃないの?」という批判など彼らの耳に届くわけもない。残念だが、性格の違いと割り

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  • 「罵倒を取ったら何も残らない罵倒」こそ対話でなんとかしてみたい - 岩本隆史の日記帳(アーカイブ)

    「罵倒表現の問題ではなく、罵倒、時には脅迫的言動を駆使する相手と対話できるか?というのが問題 - ARTIFACT@ハテナ系」を読んで思ったこと。 自分の好きなブロガー(交流のあるブロガーでもよい)が、下記のような罵倒を、特定の人間から(ブクマコメント等で)繰り返し受けていたとする。 脅迫的言辞を含まない非論理的な罵倒(罵倒を取ったら何も残らない) 脅迫的言辞を含む非論理的な罵倒(罵倒を取ったら脅迫的言辞のみが残る) ケースバイケースなんだろうけど、基線として私は、1の場合にこそ対話でなんとかしてみたい。 友人の隣家に越してきたおばさんが、なぜか友人に敵意を抱き、ことあるごとに罵倒してきたとする。「ぶっさいくな顔して」「だから女できへんのや」「気持ち悪いわ」 その光景を見かけたら、私は注意したい。「なんやねん」「お前に関係あるかーボケ」「香水くっさいねん」 私の性格上、だまって見過ごすの

    「罵倒を取ったら何も残らない罵倒」こそ対話でなんとかしてみたい - 岩本隆史の日記帳(アーカイブ)
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    REV 2007/06/16
  • 加野瀬さんカッコいいなあ - 岩本隆史の日記帳(アーカイブ)

    以前も「雑魚」などと罵倒していんだけど誰も止めていなかったのが不思議だった。もしかしたらメールで忠告している人がいるかもしれないが。自分が Marco11さんを批判しなかったのはMarco11さんに絡むと面倒な相手だと認識していたのでスルーしていたから。でも、大野さんの記事を目にして、目をつむる態度はよくないと思ったので、今後問題だと思ったMarco11さんの行為を見かけたら触れていく。 罵倒を芸風とかキャラクターだとして容認する場こそが問題 - ARTIFACT@ハテナ系 「絡むと面倒な相手」だと思うが「目をつむる態度はよくないと思ったので」「触れていく」と。 加野瀬さんが引用されている大野さんの記事もそうですが、このような考え方は評論家・日垣隆氏のそれに似ています(『どっからでもかかって来い!―売文生活日記』あとがきより)。 それが改善されるべきだと多くの人が思っているのに面倒くさいか

    加野瀬さんカッコいいなあ - 岩本隆史の日記帳(アーカイブ)
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    REV 2007/06/12
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