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2008年7月6日のブックマーク (3件)

  • 個性とは、他人から独自のやり方であると認められたものに過ぎない。個性が周囲とは無関係に存在すると思っていること自体が間違っている。 - 消毒しましょ!

    個性は当に獲得するものなのか? あれっ? この人は個性なんかを信じていたのか。そういう風には見えなかったんだが。一種の釣りかな? 引用されているエントリが「世界にひとつだけの花」症候群の事例を紹介して「そもそも君らに個性などない」と断じているのに対して、こっちは「誰かに教わった」「写生メソッド」を知らずに絵を描いたことをもって「個性というのは、やはり人間それぞれがもともと持っているものである」と肯定している。 個性とは、他人から独自のやり方であると認められたものに過ぎない。個性が周囲とは無関係に存在すると思っていること自体が間違っている。Nくん以外の幼稚園児だって、隔離されて育ったのならば其々違った書き方をしたであろうし、それは当たり前のことなのだ(あるいは絵を描くということ自体が出来なかったかもしれない)。才能も同じことであって、周りから認められて初めてそれは才能となる。 それに対して

    個性とは、他人から独自のやり方であると認められたものに過ぎない。個性が周囲とは無関係に存在すると思っていること自体が間違っている。 - 消毒しましょ!
    Rikerike
    Rikerike 2008/07/06
    基礎から基づいているからこそ、個性は発揮出来る
  • 人がもともと持っているすばらしい感性をなるべく失わないようにする方法 - ハックルベリーに会いに行く

    感性を育てる?人は誰でも、すばらしい感性というのを生まれつき持っている。それは、当にすばらしいものをすばらしいと判断できる能力だ。当に面白いものを素直に面白いと思える心である。 ところが大人になると、人はそれを失ってしまう。失うのを避けることは、どうやらとても難しいらしい。大人になると、たいていが自動的に失われてしまう。たまに、大人になっても失わない人もいるが、しかしそういう人でもずっと保持し続けることはやっぱり難しい。たいてい何かのきっかけで失い始めるし、しかもそういう人たちは失い始めるとアッという間で、また失う量も人より多い。 最近、NHKで放送された「ミラクルボディー第3回『ハイジャンプ 翼なき“天才”』」という番組を見た。そこでは、2人の世界的なハイジャンプの選手が特集されていた。そのうちの一人に、とても興味を引かれた。彼が、類い希な子供の心の持ち主だったからだ。その選手のプロ

    Rikerike
    Rikerike 2008/07/06
    絵を描く為の講座みたいな本で、親から絵を教えてもらえば親の望む型にハマり、かといって独学だと自ら型にハマってしまう、という記述を思い出した。
  • 「落書き」は文化を破壊しているか? - 過ぎ去ろうとしない過去

    もし例の大聖堂の落書きが、50年前に長嶋茂雄が書いたものであれば、みんなもっとほほえましいエピソードとして扱ったのではないか。「見てください、壁にたくさん落書きがありますね。おや、こんなところにミスターのも。というわけで正解は、『マジックを売る』でした」 たとえば我々は21世紀のフィレンツェの大聖堂においてなされる落書きをノイズとして拒否するのに対して、1世紀のポンペイの街並みにある落書きは、「生き生きとした庶民感情の発露」として受け入れる。でも、もちろん1世紀の時点において、ポンペイの落書きが「生き生きと」したものとみなされていたわけではない。それは、2000年を経過した我々の視点から見る限りにおいて「生き生きと」したものとして認識される。 とはいえ、ポンペイの「生き生きとした庶民感情の発露」は2000年かけて、火山灰の中でだんだんと醸成されていったものではない。むしろ、あらかじめそこに

    「落書き」は文化を破壊しているか? - 過ぎ去ろうとしない過去
    Rikerike
    Rikerike 2008/07/06
    芸術テロリストを気取るならもっとセンスを極めよってね