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美しい国と歴史に関するSIVAPRODのブックマーク (2)

  • NNNドキュメント'12「135枚の証言 遺された戦争ポスター」 - Apeman’s diary

    10月7日(日)25:20〜(8日01:20〜) 日テレビ系列 「135枚の証言 遺された戦争ポスター」 戦時中、国民に戦意高揚を図るため製作された135枚の戦争ポスターが、長野県阿智村に残されている。終戦後、国はGHQの検閲を逃れるため、それらの焼却処分を命じた。しかし、旧会地村(阿智村)の原弘平村長(享年59)は、命令に背いてポスターを自宅の土蔵にしまいこんだ。戦地から生きて帰ってきた三男・好文さん(90)だけに、その存在を告げていた。「いつか役に立つだろう…」と。半世紀以上もの間、光の届かない蔵に眠り続けた135枚。その一枚一枚からは、かつて日が突き進んだ戦争への道のりが浮かび上がってくる。取材で見つかった原村長の日記に綴られていたのは、反戦への思いだった。そして今年、村の高校生が、ポスターが語る戦争を学ぼうと動き始めた。 (http://www.ntv.co.jp/docume

    NNNドキュメント'12「135枚の証言 遺された戦争ポスター」 - Apeman’s diary
    SIVAPROD
    SIVAPROD 2012/10/11
    ”軍機”以外のこういうものまで”証拠隠滅”(それも敗戦直後に)しようとした心理が興味深い。心から”愛国”を信じて無かったってことだよねえ。
  • 命懸けるに値しない兵器 特攻艇の元乗組員【大分のニュース】- 大分合同新聞

    命懸けるに値しない兵器 特攻艇の元乗組員 [2012年09月26日 14:53] メールで記事を紹介する 印刷する <写真上>旧日軍の特攻艇「震洋」=「写真集 人間兵器震洋特別攻撃隊上巻」(震洋会編)より<写真下>波佐さんが予科練時代の写真(1944年夏ごろ)  太平洋戦争末期、ベニヤ板製の小型ボートに大量の爆薬を積み、敵艦向けて体当たりした旧日軍の特攻艇「震洋(しんよう)」。その乗組員だった波佐(はさ)義明さん(89)=大分市=が太平洋戦争末期の隠れた歴史の一端を語った。波佐さんらが台湾の観光局から、震洋に関するドキュメンタリー制作で取材を受けたことがきっかけ。「命を懸けるに値しない兵器で『仕方ない』と特攻するつもりだった…」。不条理さへの耐え難い思いに駆られた戦争当時を振り返る。 波佐さんは福岡県出身。1943年、飛行機に乗るつもりで旧海軍甲種飛行予科練習生(予科練)に志願。憲

    SIVAPROD
    SIVAPROD 2012/09/28
    私の父親は17歳でこれに乗ることを半ば強要された。数年前に亡くなったが生涯”権力者”というものを信用せずにいたな。
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