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2016.12.31Takashi Yasui どうもこんにちは、保井崇志 @_tuck4 です。 016年も残りわずかですね。今年は拠点を東京に移しまして、そのタイミングで東京についての記事を書きました。 参照 : 東京で写真を撮るなら押さえておきたいあそことかこことか 引っ越してきた当初は「東京に馴染むなんてありえないな」なんて思っていたのに、ここにきてちゃっかり馴染んでしまった感じがあります。 半年前の前回の記事では、最小限の写真での東京紹介でしたが、時間もたって写真もたくさん撮っているので今回は深掘りバージョンということでお届けしてまいります。写真総数77枚!笑 おれたちの東京タワー 東京タワーの親しみやすさというのは、よそ者のじぶんにとって、よりどころのようなもの。場所や時間帯、天候や光などなど、たくさんの要素が絡まって豊かな情景を見せてくれます。前回紹介した世界貿易センタービル
こんにちは、FRAME編集部です。ブログ「ARTIFACTー人工事実」の加野瀬未友さんに記事を執筆していただきました。 ーーーーーーーーーー 一年ほど前から自転車趣味に目覚めてしまった筆者は、それまでタイトルぐらいしか知らなかった自転車漫画をよく読むようになった。自転車漫画を読んで驚いたのは神奈川県の舞台率の高さだ。 現在の自転車漫画ブームの筆頭である『弱虫ペダル』のインターハイの舞台は箱根、『のりりん』はヤビツ峠そばの秦野市が舞台で、今年10月にアニメが放映された『ろんぐらいだぁす!』や、来年1月からアニメが放映される『南鎌倉女子高校自転車部』は、特に現実の場所をモデルにしているのがよくわかる漫画だが、物語初期の主な舞台は神奈川県だ。『ろんぐらいだぁす!』は境川サイクリングロード、江の島、三浦半島を走り、『南鎌倉女子高校自転車部』は文字通り鎌倉が舞台である。 自転車漫画でこれだけ舞台にな
そもそも、人口の話をする場合、総人口の問題もさることながら、むしろ「稼いで、消費したり、納税して経済と財政を支えていく「生産年齢人口(15歳以上65歳未満の層)が減少する」ことの方が、実際には大きな問題を生みます。稼ぐ人が減少し、社会保障が必要になる=財政負担が必要な世代が増加していく、という事態になるからです。 大枠の数字を具体的に見てみましょう。2010年の国勢調査では約8100万人いた生産年齢人口が、2030年には1400万人も減少、約6700万人になると社会保障・人口問題研究所が予想しています。一方で同時期に減少する総人口は約1200万人。つまり総人口の減少スピードよりも、生産年齢人口の減少スピードの方が早いのです。 そのため、すでに地方では大都市よりも「働き手」不足の問題が深刻になっています。今は地方にも仕事はあるのですが、それを担う人がもはやいない状態なのです。それでは地方はど
p-shirokuma.hatenadiary.com mubou.seesaa.net これらの記事が嫁の目にも入り「(ニュースサイト復活のために)茄子料理を作ればいいのかな?」と言われたので訴訟案件なのではないでしょうかw さてさて。DeNAのウェルク(Welq)問題関連ニュースまとめ - まなめはうすを発端に、キュレーションサイトやまとめブログが連日話題になっておりますね。個人が提供するものは相変わらずグレーゾーンで悪意を集めるのみでありつつも、企業プラットフォームに個人がキュレーションを行うサイト(NABERまとめ、togetterなど)や、企業が発信するサイト(Welqや某まとめブログなど)は法令順守なり、企業責任なりで大きく炎上してしまうようです。 個人のブログも含め、アクセスの終着点となるサイトは大きくPVを集めるがゆえ、遊ぶ金欲しさ、生活のため、承認欲求などなど日々工夫なさ
近代初詣の誕生 神社仏閣の初詣の人出は2008年(平成20)に過去最高となる9818万人を記録し、翌09年には前年を上回る9939万人を突破した。 警察庁は09年の発表を最後に初詣の人出調査の発表を取り止めたことから、警察庁の記録においてはこの年が過去最多の人出記録となっている。 しかしその後も、初詣の人出は衰えをみせていない。 年の始めにあたり、「今年1年がよい年でありますように」と願うことは、多くの日本人にとって、素朴で切実な思いの現われだろう。 ところが、正月三が日に、地元の氏神社や菩提寺ではなく、郊外や遠方の社寺に初詣に出掛ける「風習」は、明治時代中期に成立したという説が交通史の立場から唱えられている。 その年の「恵方」にあたる社寺に参る「恵方詣で」や初天神・初不動・初午・初巳などの「縁日」にこだわらない「初詣」という言葉は、1885年(明治18)の『万朝報』記事中の、川崎大師(金
1年の区切りというものが、どんどん曖昧になっているように思う。のんびりと我が身を振り返る時間も意識しなければ作れないし、何かが終わるときには次のプロジェクトが始まっているわけで、文字通り「区切り」として生活の時間の中に意図して線を引く作業でしかないような気がする。 そもそも、なぜ僕たちはそうやっていろんなことに区切りを付けたがるのだろう。そんなことをしなくても、学校という場所に努めていれば、一緒に活動するメンツは半年ごとにごっそり入れ替わる。振り返ってみればあれがたった一年前のことだったのかと思うほどに、環境も関係も、そして自分自身の考えも変化している。区切りと区切りの間に存在するように見える何かの期間が、実はすべて移行期でしかなかったことに気づくのは、戻ることもできないほどの区切りが生まれた後のことだ。 アナログな周波数のように連続した波としての日々を、デジタルに階調化された区切りの集ま
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