ブックマーク / ameblo.jp/umionna3036 (82)

  • 『復興・・・?』

    今日は山田町のボランティアセンターへ。 仮設住宅への入居が始まったばかりという事と、お店がまだ少なく少し不便を感じている事を聞きました。 あと、子供達はボランティア団体が来ていろいろ遊んでくれていると言っていました。 途中で見た塩水で錆びてしまった車の山。 「老」という文字が見えたので老人ホームと思われる3階。車と船が屋上へ。 右を見ても左を見てもこんな感じです。 残った建物も炭の匂いがしました。 復興・・・まだ・・・かなぁ。そう思いました。 お隣の宮古市の商店街では、ボランティアの方に少しでも「ありがとう」を伝えたくて、市民の方のお料理持ち込みで、催し物があるそうです。 毎日、毎日、汚れる作業いろいろ・・・当に何と言っていいかわかりません。皆さんに助けられてここまでこれました。 でも、まだ、私達の力だけでは無理です。 震災の事が伝えられるのが前より少なくなってきました。良い事なのか悪い

    『復興・・・?』
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/07/06
    まだ、支援が必要です。
  • 『気になったこと』

    東日大震災で児童のおよそ7割が死亡、または行方不明となっている宮城県石巻市の大川小学校周辺では、警察の集中捜索が行われています。 集中捜索は、保護者などからの要望を受けて2日から実施されていて、警察官およそ160人態勢で行われています。大川小では児童68人が死亡、今も6人が行方不明です。 お父さんがインタビューを受けていて、(娘さんが行方不明) 「持ち物は出てきたが、体だけ出ていない。遺体で出ることはないので、骨だけでも出てくれれば助かる」 集中捜索は3日までで、これまでに遺体の一部や衣類などが見つかっています。 「2日間だけ?」 とびっくりしてしまいました。 いろんな事情があると思うけど、3ヵ月以上経った、今、2日間だけ? 震災以外でも色々なニュース、出来事があるため、伝えられることが少なくなってきました。 子供を亡くしていない私には、亡くした方の気持ちは分かる訳ない。どれだけ深いもの

    『気になったこと』
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/07/04
    警察の集中捜索は、3ヵ月以上経った今、2日間だけしか行われない。
  • 『前の自分に戻るのが怖い』

    タイトル通りです。 今日、私はファミレスに行きました。 震災後、初でした。再開してたのは知っていたのですが、なんとなく行く事が出来ず、そのまま過ごしていました。 やはり、なんとなくですが、高いものは注文できず、うどんを頼みました。 私の作る即席のような感じではなく、ダシの味がして、上に具もたくさんのっていました。 少しでも早くもとの生活に、と思う反面、前の贅沢な暮らしをする事に罪悪感を持ってしまいます。 震災前の私は、とても欲張りでした。雑誌に載っているものや、流行のものが欲しくて、他の人が持っているとつい自分も欲しくなったりしました。 それなのに今は、救援物資でもらった服を何日か着たり、自分で縫ったへんてこりんな服を着ていて、裸で外に出なければいいや、という毎日です。 周りの人には「変わったね~、どうしちゃったの?」とか、面と向かって、「被災したのにボランティアなんて奇特な人だね」とか言

    『前の自分に戻るのが怖い』
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/06/26
    少しでも早くもとの生活に、と思う反面、前の贅沢な暮らしをする事に罪悪感を持ってしまいます。
  • 『被災された事業主様へ』

    私が微力ながらお手伝いをしているのが、「がんばろう!岩手.com」です。 主に、被災地事業所支援をしています。 震災後の早期復旧・復興に向けて、少しでもお手伝いが出来たら、と思っています。 事務用デスク、PC、などの備品の他、名刺やHP作成もすべて無料で行っています。 デスクやPC、イスなどは中古が多いですが、できるだけ経費をかけず、復興して欲しい、その思いから皆、活動しています。 他にもご要望があれば、代表の方(HP制作、管理会社の社長さんです)にどんどん言ってみてください。 とても良い方で、話を親身になって聞いてくれます。 よく、「あとで金払えって言うんじゃないの?」と不審がられるのですが、そんな事は一切無いです。 ちなみに岩手県沿岸部は、私も行きます。 Office系のソフトの使い方、資格を取りたい方(MOSなど)が私の分野です。一太郎や他のソフトも大丈夫です。 ご連絡をお待ちしてい

    『被災された事業主様へ』
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/06/22
    「がんばろう!岩手.com」。
  • 『震災後のこころ』

    先週の週の後半、バタバタしていました。 岩手県の内陸部、盛岡市の心療内科に行ってきました。 決して近くは無い道のり。運転しているだけで疲れました。 最初は親戚の電話でした。 「叔母ちゃん、少しおかしいと思わない?」 いとこの叔母さんの事でした。離れていて、お互い被災しているので頻繁に行き来は出来ていませんでした。 家族を亡くし、一人ぼっちになってしまいました。 あわてて行くと、いつものやさしい叔母ちゃんだったのが、何をきっかけにか分からないまま、突然怒り出しました。 ずっと見ていましたが、怒らせるような事、気分を害する事など、誰も言っていなかったのに、キレる、という言葉のようにあたり散らす感じでした。 その後も相手を怒らせるような挑発的な言葉を言ったり、違う事に対しても怒り出しました。 そして、最終的には、「誰も私の気持ちを分かってくれない、心をえぐるような事を言う」と子供の様に(オーイ、

    『震災後のこころ』
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/06/20
    不幸のどん底を味わいたくないために、どん底を埋めてしまったら、平らになって幸せも不幸せも無くなってしまう。
  • 『百か日』

    今日で百か日です。 おじいちゃんを拝みに行くため、朝早くから準備しています。 お寺の和尚様が言っていました。 「無常の風は人を選ばず」 答えの無い「どうして?」を少しでも和らげてくれる言葉。 私の住んでいるところから南下すると、風景が変わってきます。 信号がまだ無く、おまわりさんが誘導してくれる交差点。 水がきていないので自衛隊の給水車が所々に停まっている地域。 水たまりのようなところを棒でつついている捜索隊の方々。 「○○さん夫婦昨日見つかったって」 3ヵ月経った今、聞くたびDNA鑑定ってすごいなって思います。 破片では無く、すべてを見つけ、弔ってあげたい。 もう無理なのはわかっているけど。 私もおじいちゃんの時、そうでした。反対されながらも、どこを探したらいいかも分からないのに探しました。 心の置き場が無かったのです。 あきらめられない。悔しい。悲しい。 このボランティアが私を癒してく

    『百か日』
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/06/18
    あきらめられない。悔しい。悲しい。
  • 『地震』

    昨夜の2回の地震。 震度はそれほどでもなかったけど、怖かった。 「これからの情報に備えてください」という放送が繰り返され、緊張する。 結局、何もなかったけど、もう眠られない。 楽しい事がひとつずつ増えていったと思うと、また逆戻り。 信じてもいない、どこの神様かもわからないものをうらむしかないのだろうか。 またネガティブなブログ・・・ごめんなさい。 浜に共同の作業に行く人は気が重いだろうなぁ。

    『地震』
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/06/16
    楽しい事がひとつずつ増えていったと思うと、また逆戻り。
  • 『陸前高田市』

    陸前高田市の小友地区付近。 昨日の夜から親類の家に泊まっています。 陸前高田市は特に地盤沈下がひどい。 瓦礫のなかをマスクをし、集団登校。 一人がドドスコをすると皆でやりはじめる。 毎日のようにどこかでお葬式をしている。 震災直後は、普段着や作業服だった参列者も、物がだんだんに入り始め、喪服のひとが多い。 前向きになったり、後ろ向きになったり。 辛い。 助けてください。 私達だけの力じゃ無理です。 ラーメン隊長さん。ありがとう。 お願いばかりでごめんなさい。 陸前高田、大船渡、釜石、大槌、山田…お願いします。

    『陸前高田市』
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/06/11
    前向きになったり、後ろ向きになったり。辛い。助けてください。私達だけの力じゃ無理です。
  • 『子供の未来』

    今日のニュース あしなが育英会によると、震災で親を失った子供たちは1101人。1500人を超えると見る。両親を亡くしたのは58人、行方不明17人。父親を亡くしたのは481人、 行方不明151人。母親を亡くしたのは302人、行方不明92人。 私の周りでもお父さんがいなくなったところは、お母さんが働き始め、お母さんがいなくなったところは、親戚などに預け、お父さんは働きに、でも決して裕福ではない今の状況で、体にも心にも大きな負担がかかってくる。 子供も親もその周りも。 両親がいない子供は、良ければ親類に預かってもらえるけど、親類さえもいなくなったところはどうなるのだろう。 3ヶ月経って行方不明という事は、もとのままでは見つからないと見ている。気づかれないで、瓦礫と一緒に収集場に集められるか、海の底にいると思われる。(引き波が大きかったため) 当にここは日なのか。 読んでいる人を辛い気持ちにさ

    『子供の未来』
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/06/10
    両親がいない子供は、良ければ親類に預かってもらえるけど、親類さえもいなくなったところはどうなるのだろう。
  • 『小学校』

    今日は宮古市にある小学校に行ってきました! 気温が高く、避難所となっている体育館の中にいる方も暑そうでした。 ステージ上にはたくさんの支援物資がありましたが、ほとんどが冬物でした。 さんまのつみれ汁の炊き出しがあり、すごくおいしそうでした! 小学校も再開しており、体育祭をしていました。 子供の元気そうな笑顔を見るたび、私も元気になるような気がします。 体育館の二階には洗濯物がズラリ。 天気のよい日はいいけれど、梅雨に入るとどうなんだろう。 皆、早く仮設に移れればいいなぁと思います。 臨時の床屋さんが出来ていて、私も切ってもらいました。 ボランティアなのだそうです。 ありがとうございます。 宮古市の鍬ヶ崎です。浄土ヶ浜が有名な観光地でした。 再建に向けて頑張っているそうです。

    『小学校』
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/06/09
    ステージ上にはたくさんの支援物資がありましたが、ほとんどが冬物でした。
  • 『クラクション』

    陸前高田市に行ってきました。 橋に一台の車が停まっていました。 細い橋で両側から車や瓦礫を積んだトラックが行き交っていたので、停められると片側が完全に塞がってしまう。 迂回路なし。 日海側のナンバーの車のおじさん!頼むよ!!!やめて~ いっせいに両側からクラクションの嵐。 腑に落ちない顔で乗り込んで行きました。 撮るな、とは言わないけどもう少し停める場所を考えて欲しい。 あと、天気のよい日はヘドロが乾いて風で舞うので、マスクをしたほうが良いよ。 多分、こんな感じのを撮りたかったのかも。 図書館やしまむらがあった辺り。

    『クラクション』
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/06/08
    細い橋で両側から車や瓦礫を積んだトラックが行き交っていたので、停められると片側が完全に塞がってしまう。
  • 『解決法』

    全然、更新していませんでした。スミマセン。 知人のおばあさんが仮設住宅に入ることができました。 津波の被害を受け無かった無事な土地となると、山の上しかありません。 バス停も遠く、道路も急な坂です。 趣味だったお裁縫もしなくなり(やる気がなくなり)、一人でじっとしていることが多くなり、心配でした。 私は、瓦礫の撤去作業、手続きなどで一日が過ぎるといった状態です。 夜に行けば、とも思い行きましたが、住宅の周りはすべて砂利なので壁が薄いため、「うるさい」と苦情があるそうです。 仮設住宅には、集会所のような建物がありますが、ずっと鍵がしまっていて、中を見ることができませんがテレビのアンテナや電気が来ているようです。 地元の病院の調べによると、震災のあと、うつなどの精神疾患を発症したり、悪化させたりして入院した患者が震災前の2月に比べると、9割増と発表しました。 30代女性は症状が再発し、3月下旬に

    『解決法』
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/05/28
    仮設では、一人暮らし、家族など色々な方がいますが、日中、お父さんは仕事に行き、子供も学校へ、幼い子と母親が残ります。
  • 『子供の笑顔』

    今、子供の笑顔を、と思い、作戦を考えています。 私の子供は、前のブログに書きましたが、津波に追われるように走りながら生き延びました。 その日から不安定な日が続き、今も「まだ、ちょっと・・・」という感じです。 津波は私のせいではありませんが、娘をこんな目に合わせてしまった、という気持ちはずーっと持ち続けていました。 そんな子供達がたくさんいます。 避難所で騒ぐと「うるさい!」と言われ、仮設住宅もものすごく壁が薄い。(仮だから?) 笑顔にしたい。 以前、支援物資はもう必要ない、というような事を書きましたが、それは間違いでした。 全国の人に支援をしてもらわなければ、出来ないことでした。ほぼ不可能でした。 この作戦が成功したら、写真をアップします。 被災者が被災者を支援する、なんておかしい感じですが、まずは実行してみようと思います。 午前中、仮設住宅に住んでいる知人の所に行ったら、「一日中ここに住

    『子供の笑顔』
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/05/24
    津波は私のせいではありませんが、娘をこんな目に合わせてしまった、という気持ちはずーっと持ち続けていました。
  • 『音楽の力』

    今、娘はピアノに通っています。 ちょっとセレブ(?)な感じがします。 実際は、空いている建物を借りて、ピアノも借りて、レッスンも譲ってくださる方がいてようやっと、という感じです。 先生も被災し、ピアノは壊れ、捨てるしかなかった、と元気に言います。 娘が震災後、初めてやりたい事を言いました。「ピアノをさわってみたい」 それからいろいろな人に聞き、この先生を紹介してもらいました。レッスンのたびに娘のサイズの支援物資の服を持ってきてくれて、レッスン30分、おしゃべり30分といった感じで娘も楽しそうです。 ピアノに触る時は、指全部に力が入り、親指でようやっと「ド」の鍵盤を押しています。 すごく緊張していて、後姿がかわいいです。 そんな私もピアノは習ったことは無く、付き添いなのに緊張します。 発表会が行われていた場所も壊れてしまったので、今年はどうするんだろうねぇ、と困ったように先生が言っていまし

    『音楽の力』
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/05/22
    30分間、「ド」の音だけを聞かされていても、とても幸せな音に聞こえます。
  • 『子供の心』

    最近、娘は「どーせ○○なんでしょ」と言うようになりました。 例えば「どーせ私はブスなんでしょ」など。 そんな時は「お母さんが美人なんだから、子供もかわいいに決まってるでしょ」とかなり無理な事を言ったりします。 「どうしてお家が流されちゃったの?おりこうしなかったから?」などと言われると、なんと答えてよいか悩みます。「どうして○○ちゃんの家は大丈夫なの?」子供が納得するような言葉が出てきません。 このように言ったら良い、というアドバイスがありましたら教えてください。 この前、クラスの懇談会がありました。 保育所での生活や役員を決めたりなど。 担任の先生が、 「震災の後、お子さんに何か変わったことがありましたか?」 と一人ずつ聞いていきました。 あるお母さんが、 「地震ごっことかよくやりますね~」 と言いました。若いお母さんでしたが、隣のママ友と思われるお母さんも 「ウチでもやるよ~地震だー!

    『子供の心』
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/05/20
    救ってあげたい。子供には笑顔でいてほしい。
  • 『休憩』

    たくさんの励ましの言葉ありがとうございます。 すごくすごくうれしいです。 知らない人同士のつながり、すごく強く感じます。 休憩という意味を知りました。今さらです。 震災後、休む間も無く、がんばってきました。ボーっとしている時は、これからの生活の事ばかり考えて一人焦っていました。 今日は瓦礫の片付けをせず、子供と過ごしました。 朝べ終わったら、餃子を作りました。 こうやってなんでもない時間を過ごすのって、いつ以来かな、と考えましたが、思い出せないので、考えるのをやめました。娘が(少しだけ)手先が器用になっていて驚きました。 そしてそれが終わったら、おもちゃの掃除をしました。 おかげさまで、あのおもちゃは、関東の方の、昔のおもちゃのお店の方が、買ってくださる事になりました。 ほとんど外だけの汚れだったので、布で丁寧に拭き取りました。 どのおもちゃも見た事が無く、当に大丈夫なのだろうか、

    『休憩』
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/05/17
    しらないうちに桜が散っていました。それも気が付かないでいました。子供が少し成長していました。
  • 『癒し』

    土曜日、日曜日と遠くに出掛けていました。 疲れてしまいました。毎日に。なんかもう死にたい、と思うようになってしまいました。 ちょっとビックリだと思います。すみません。 先週は何故か、遺体安置所に行った時の事を、夢に見たのか、思い出したのか、分かりませんが、夜見るようになり、また不眠が続きました。 娘と同じくらいの年の寝顔のようなまま、横たわっている子供の遺体や口をギュッと閉じたような困ったような顔も、苦しそうに口を開けたままの中学生か高校生の女の子の遺体も。 なぜあの人たちは死んでしまったのだろう、なぜ私は助かったのだろう。と答えの出ないことをグルグルと考えてしまいました。 そうなってしまうと、底なし沼のように沈んでいくしかなく、楽になりたい、しか考えられなくなってしまいました。 少しずつ前を向き始めたと思ったのに。時間がかかるのかもしれません。 そこで、贅沢だとは思いましたが、遠出をし、

    『癒し』
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/05/16
    死を身近に感じられたから、生きることができる。
  • 『思ったこと』

    NHKを見ていて、常にテロップが流れているのをご存知でしょうか? ニュースを見ていても、ドラマを見ていても上と左に一日中表示されている。もしかして被災地だけに流れるようになっているのかも、と気がついたのは最近でした。 それは、り災証明の交付、家屋撤去の有無、仕事相談、義援金の交付など。どれも生活に必要な情報。 現状としては、仮設住宅がだんだん建ち始め、第一次の入居が始まっているところです。仮設住宅は住んでいる地域によって違いますが、1人だと1DK(エアコン、電子レンジ、洗濯機、炊飯器、冷蔵庫完備、トイレ、風呂付)で2年まで住むことができ、家賃は無く、ガス代、水道代、電気代は各自負担。人数が多くなると、部屋数が増えます。 さらに、自力でアパートを探し入居、もしくは県や国の住宅(アパート)に入居した場合、二年まで家賃の全額(または一部)免除、岩手県は独自に家賃を全額補助し、敷金礼金も検討中だ

    『思ったこと』
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/05/15
    復興していくことへの不安。
  • 『ランタンが欲しい』

    朝起きると見る光景です。 何件も目の前に家があったのに、今は土台だけ。 どんな夢を見ても一気に現実に戻されます。 知り合いのおばあちゃん(85)から電話があり、住んでいる仮設住宅へ。 その場所は、山の上にあり、お店はまわりに無く、歩いていくには坂がきつ過ぎる。 そこで、近くの避難所に支援物資をもらいに行ったところ、仮設に住んでいるくせにべ物を持っていくんじゃねぇ、とその避難所のヌシのようなおじさんに怒られたらしい。 市役所の人が気の毒がって帰りに手で持てるだけ持たせてくれた。 そしたら、そのおじさんがわざわざ追いかけてきて取り返したらしい。 さらにおばあちゃんはその時、を盗まれてしまってスリッパで帰っている途中に。 ふんだりけったりです。 前のブログにも同じような事を書いていましたが、どこでも同じような事がおきてるんだなぁ、と思ってしまいました。 せめて帰るときのくらいくれてもいいの

    『ランタンが欲しい』
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/05/12
    夜は怖い。すぐあの時の事を思い出してしまいます。
  • 『必要なもの=欲しいもの、ではない』

    震災直後、私は誰のものか分からない服を着ていました。 ほとんどの人がそうだったように服を持っていなかったので、支援物資の中から、着られる物を探しました。 私はオレンジのパーカーとスキーウェアのズボン(明るい緑)を着ていました。その時期は3月なのに雪が降ったり、雨になったりしたので頭にかぶるものと、風邪などを引かないために、厚着をしていました。 かなりへんちくりんな格好だったと思いますが、当時は何も思わず、数キロ離れた隣町まで歩いて買出しに行っていました。 日が経つにつれて、お風呂に入ってないので顔や体がかゆい、頭が油でベタッとしてきているなど気になり始め、そこらへんのシャンプーを拾い、川の水で洗っていたりしました。外で裸になるわけにはいかないので、赤ちゃんのおしり拭きで体や顔を拭きました。 べ物は、おかゆ、おにぎり、パン、パスタ、配給されるものであれば何でもべました。べなければ次、い

    『必要なもの=欲しいもの、ではない』
    SasakiTakahiro
    SasakiTakahiro 2011/05/10
    自立できる人が次々前に踏み出して行かないと、本当に支援の届かない、ライフラインもいまだに復旧していない、孤立した所に支援が行かない。