2日前から,ネット上が急に騒がしくなってきた。Googleが突如,テストサイト“Google Base”打ち上げてきたからだ。名前からして,何か大きな事を企んでいそう。 データベースのホスティングサービスで,ユーザー自身がコンテンツを投入できる。たとえばサービスや売りたいモノなどの案内コンテンツをアップできる。Craigslistのようなクラシファイド広告(案内広告)を少なくともやりそうだ。Googleは,地球上のコンテンツを掻き集めて検索したり,分類したりするサービスを展開しているが,さらにユーザー自身にコンテンツを提供させてサービス領域を拡大していくのだろう。まさに流行のWeb2.0的なやり方だ。現在の状況は,Google Blogscopeのスナップショットで見ることができる。 BusinessWeekも早速,「Big Waves from "Google Base"」のタイトルでレ
(翻訳しようと思ったきっかけであるクルーグマンのコラムを面白さを紹介する目的は果たせたと考えます。 今後の更新の予定はありません。) ポール・クルーグマン (Paul Krugman) の The New York Times のコラムから、 9.11テロ以降、特にイラク戦争などに関係していて、僕が興味深いと思ったものを翻訳して紹介しています。 英語に抵抗感を持っている人に内容を紹介するためにやっている事で、非公式なものです。 英語を得意としているわけでも、背景となる分野に詳しいわけでもありません。 正確な内容については、原文を参照してください。 もちろん、誤訳・誤字・脱字などの指摘、 もっとこなれた言い回しのための助言など、コメント大歓迎です。 「栄光の道」 ("Paths to Glory", 2003/05/16) テレビ上での勝利の栄光を追い求めること ―― そのため、ブッシュ政権
* ブログとはGoogle BaseやNingのチュートリアルだったのかも 突然、Google Baseの話が発火しているが、その中でも、Zopeジャンキー日記 :Google Baseは 「ユニバーサルCMS」 だというこの記事が、一番わかりやすい。 でも、逆に言った方がもっとわかりやすいと思う。つまり「ブログはGoogle Baseに飲みこまれる」と。 ブログは、形式が固定されたデータベースだ。ブログには、「エントリ」というメインのテーブルがあって、以下のような項目が定義されている。 タイトル 本文 更新日付 カテゴリ これとリンクした、「コメント」とか「トラックバック」というテーブルがあって、これも同様に形式が決まっている。 そして、これを特定の並び順で表示するのがブログだ。だから、実際のデータが、MySQL等の言わゆるデータベースに保存されていても、テキストファイルとして保存されて
歴史とは古代から年代を追った時代毎の記載に慣れている。しかしながらイ ンドネシア歴史をまとめようとして当惑した。独立前のインドネシア史とは島毎 の歴史である。ジャワ島が本流であるにしても、外島も重要なかかわりを有して いる。オランダ、日本という異質な外部者の統治もあった。日本との関係を付加 したい。魅力ある人物を紹介したい。これら切り口の異なる視点について統合 性と継続性を念頭におきつつ試行錯誤の結果が本冊子「歴史編」の構成であ る。無意識ながら結果的には司馬遷の「史記」本紀、世家、列伝という編集スタ イルを真似ることになった。 インドネシア史を学ぶことは日本歴史を学ぶことであることを改めて確認した。 日本という国はどういう経緯で存在したか、日本はなぜ植民地化を免れたかな どインドネシア歴史を学ぶことにより日本歴史への関心が深まったことである。
(『思想』932号、2001年12月) 一、「ナショナリズムの預言者」 「ナショナリズムの場合には(他の運動については必ずしも同じことは言えないが)一つ、もしくは複数の観念が実際にどう形成されたか、あるいは誰が正確に何を言ったか、もしくは書いたかといった問題は、大して重要ではない。いずれにせよ、鍵を握る観念は、あまりにも単純で簡単であり、およそ誰でもが、いつでもそれを作り上げることができるということなのだ。そして、ナショナリズムは常に自然なものであるとナショナリズム自体が主張できる部分的な理由はここにある。重要なのは、他のほとんどの状況の下ではその観念が奇妙なものであると思われるのに反して、その観念が説得力があると思わせるような生活状況が存在しているかどうかなのである」(『民族とナショナリズム』)(1)。 アーネスト・ゲルナー(Ernest Gellner)は、ナショナリズムについてこの
98東工大文系基礎科目 宗教社会学(前期)[9] 橋爪大三郎 1998.6.19 尊皇攘夷とはなにか 山崎闇齊学派と水戸学 江戸幕府はなぜ儒学を採用したか 日本史で、「徳川幕府は儒教を官学とした」と習ったはずです。なんとなく、当たり前のような気がします。しかしよく考えてみると、これは変だ。武士と儒学くらい、ミスマッチな組み合わせはないのです。 儒学は、中華帝国の正統思想。なかでも、宋の時代に起こった朱子学は、古典の新解釈と哲学的な宇宙観とを結合した、当時の最先端思想でした。朱子学の根本は、儒学の古典を学び徳を身につけた読書人階級が、官僚となって政治を行なうというもの。幕府は明の真似をして、朱子学を公認し、日本国家の指導原理としました。 徳川三百年の平和は、元和堰武げんなえんぶのおかげでした。もともと対立関係にあった大名の抗争を禁止し、城郭も一国一城に限って、現状を固定したのです。武力行
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く