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ブックマーク / keya1984.hatenadiary.org (13)

  • 共犯者が欲しいだけの正義の味方 - Backlash to 1984

    道徳的詐術とは何か - モジモジ君のブログ。みたいな。 「持っている資源を渡さない」ことによって死なせることがない。──(A) 「持っている資源を渡さない」ことによって死なせることがある。──(B) 以上は事実問題。(A)は端的に間違い。(B)が正解。これを「間接的に人殺しである」と述べるとしても、それは多少感情のうずきを感じさせる表現かもしれないが、あくまで事実の問題であり、ここに何の詐術もない。選択肢があり、そこから具体的な選択肢を選ぶ以上、そこには問いがある。問いの向こう側に、選択の結果を被る他者の顔が見える。ここでの他者の顔は、そこに見るか見ないか、というレベルで選択可能だとしても、そこに顔が「ある」ということは徹頭徹尾事実問題である。 ここで既にトリックがあるわけですよ。「(A)は誤りで(B)が正しい」というのは端的に事実。それはそのとおり。例えば、育児放棄(ネグレクト)による餓

    共犯者が欲しいだけの正義の味方 - Backlash to 1984
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/04/26
    わかりやすい…けどあとでよむ。
  • 「間接殺人派」の自己満足的な誤謬 - Backlash to 1984

    介護問題から募金問題になり民主主義理念の問題になり死刑制度問題が出てホームレス問題に及ぶ。「できないのと、しないのとは、違うでしょう」という観点から広がったもので、いづれも「それをしなかったことは人殺しと言えるか」が論点の基調になっている。もちろん、そうやっていろいろ広がっていくことは、今件のような話題の場合には避けられないだろうし、広がった先々で別の人が語り合いながら考えるのは悪いことではなかろう。その一方で、「話がどんどん広がってしまって元の話がどこかへ行ってしまっている」という声がある。私もそう思う。そこで、私はあくまで元の話に白黒をつけたい。他の関連話題は、その後にすることとする。 元の話は倫理の話として出されていたものだ。この段階では介護問題である。「できないのと、しないのとは、違うだろう」という問いかけも、「しようと思えばできることをしないのは、しようとしないということだ。それ

    「間接殺人派」の自己満足的な誤謬 - Backlash to 1984
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/04/23
    頭いいんだなぁ…。半分もわからなかったです。多分おんなじ感じの意見なのかもしれない。賛同を示した人が何か根拠(主張したいこと)があって、賛同をしたわけじゃないだろうにゃ…。反対するには必要かもだけど。
  • 恵まれない人を見殺しにすると言うけれど - Backlash to 1984

    マスメディアも発達していなかった頃には、自分の知らないところで多くの人が死んでいても知りようがない。ではその頃は、そうした恵まれない人たちを見殺しにすることが現代人より少なかったということになるのかな。現代では、テレビや新聞を見て、世界中の悲劇を見る機会が増えた。だけど何もしないで見ているだけだから、見殺しにしていることになるんだ間接的な人殺しなんだと言うけど、そしたらそれは、情報が発達したから間接的な殺人者が増えたということになる。何の話なのだ。こういうことじゃないか、テレビや新聞を見て「何もできない…見殺しにしちゃうしかない…間接的な人殺しなんだ私たちは…」と感傷にひたる人が増えましたよ、みたいな話でしかないだろう。 どうも変な自己満足的感傷が多いな、この話題は。ただの感傷ならまだしもだけど。 http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20070416/p2 人の

    恵まれない人を見殺しにすると言うけれど - Backlash to 1984
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/04/17
    わかってきたかな…。きっと、”間接的な人殺し”の範囲が違うのかもしれないですねー。後半はどうでもいいや(笑)
  • Backlash to 1984 - カルトな詐欺の押し売り口上

    「この○○を買うと、その代金で××の人々が命を救われます」「だからあなたも買いなさい、とは言いません」「しかし買わないのであれば、あなたが買わないことでその人たちが死ぬという事実を受け入れなくてはいけません」「買えなかった、のではなく、買わなかったのです。それで救える命を、助けられなかったのではなく、殺してしまったということです」「これを買うべきであると私たちは言っているのではありません。このように考えることを私たちはお奨めしているのです」 2007-04-15経由で「当は、できるでしょう?」の原初的風景 - G★RDIASを読む。uumin3さんに同意。加えて言えば、上記の理屈と同様に、どこからどう言ってもカルト教団の押し売り口上である。uumin3さんが指摘していない点を私が補うと、ここには「募金を呼びかけ、募金箱を設置する」という行為があることを見るべきである。ある人々への募金活動

    Backlash to 1984 - カルトな詐欺の押し売り口上
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/04/16
    心地いい切れ味だ。うっかり、流されそうになるけれど、ごちゃごちゃ考えて200円払わないんだったら、なんもかんがえないで200円入れた方が楽だなぁとおもった(笑)
  • 差蔑ではない差別(その2) - Backlash to 1984

    「差別」の語には「ある人がある人たちに偏見をもって蔑むこと」と「あるひとたちが世の中の仕組みの中で不公平な立場におかれていること」の二通りの用法があること、その二種類の用法から生じる齟齬について差蔑ではない差別 - Backlash to 1984で先述した。これについてブクマに寄せられたコメントをもとに、引き続き述べたい。 以下のやりとりをデフォルトとします。 A「それこそ差別だ!」 B「差別していない!」 A「差別する人ほど差別していないと強弁する!」 B「そういう決め付けこそ差別じゃないか!」 …お互い何を言い争っているか、ここでホンヤクコンニャクを出します。 (1)双方が、「差別」に該当者個人の蔑視や偏見を見て取る場合 A「それこそ人を見下した言い方だ!偏見だ!」 B「わたしはあなたを見下してないし偏見なんか持ってない!」 A「偏見で蔑んでいる人ほどそれを隠して言い張る!」 B「そ

    差蔑ではない差別(その2) - Backlash to 1984
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/03/20
    わかったようなわからないような… でもだいぶわかりやすくなった気はするです。
  • 差蔑ではない差別 - Backlash to 1984

    「差別」という言葉はもともと、「区別」や「選別」の類義語であった。この用法は今でも「無差別大量殺人」等というときに残っている。ここでは選別しないという意味だ。「誰も蔑視せずに殺しまくる」という意味ではない。もともとは「差別する=蔑視する」ではなかった。昭和のはじめころの文章に「あらゆる主義も教義も差別せずに論じてしまって云々」という表現があるのを見れば、ここでは「区別せずに」とほぼ同義である。「分別なく味噌も糞も一緒に」のニュアンスも帯びているようでもある。いづれかの主義や教義を蔑視すべきなのに…という文意ではない。 それが、いつの時代頃からかはわからないが「蔑む、卑しむ」と同義に使われるようになっている。おそらく戦後の平等教育で、「職業・出身・性別などによる差別をなくしましょう」というとき、それが「職業・出身・性別などで蔑んだり卑しんだりするのはやめましょう」というのと同義であったことと

    差蔑ではない差別 - Backlash to 1984
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    SeiSaguru 2007/03/20
    ふむふむ。ふーむ…。とりあえずブクマー
  • 加害者を睨みつけ被害者を見捨てる - Backlash to 1984

    私が田嶋陽子板に参加していた頃、あるフェミの主婦の人といろいろお話したことで忘れられないエピソードがある。その人の語るところ、このような話である。幼い頃、親戚の男から夜な夜な猥褻なことをされた。ものすごく怖くて嫌だった。それをある日、意を決して母親に訴えた。しかし母親は取り合ってくれず、「夢でも見たんじゃないの?」とか「いやらしいことを言わないの」として却下されて絶望したというもの。そのことのトラウマが元で母親とうまくいかない問題があったり、あるいは男性恐怖からレズビアンになっていていた一時期の話など、あれこれのお話があった。 "知的障害者"は合法的に犯罪が許されるのだろうか これは結論から言うと、「知的障碍者に甘い」のではなくて「性被害の訴えに鈍感」なんですよ。 仮に、こう置き換えてみるとわかりやすいかと。 この少年が知的障碍者だったとして、その悪癖が「盗癖」だったら? 「すぐにお尻触る

    加害者を睨みつけ被害者を見捨てる - Backlash to 1984
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/03/10
    性被害は…”絶対的な犯罪”じゃにゃいから…。恋人なら許せちゃうとか、こどもならいいとかが犯罪っぽさから遠ざけてるんじゃないかと思うにゃ。これだけじゃないとは思う。性を語るの禁止とか悪意を持つの禁止とか
  • 混線 - Backlash to 1984

    i_oritaさん(以下、折田さん)とMASASCIANTEのお二方のやりとりを、興味深く読んだ。すごく大事なやりとりなのだが、噛み合ってない。お二方とも、大事な点に言及している。しかし噛み合ってない直因は、これはやはり、お二方が未知の話題で議論をしているからにほかならない。だから、続かないと思う。このままでは単発で終わりそうだ。もったいない。そこで、私が論点を整理してみようと思う。 http://d.hatena.ne.jp/i_orita/20070225 ↑折田さんのコレは実にややこしいことになっていて、実は私も、MASASCIANTEと同じ違和感を持っていた。でも、 id:i_oritaさんへの書簡。 - みんな無敵だった、だけど…無敵だった ↑MASASCIANTEさんのコレのやりとり見て、折田さんの言ってることがわかった。 MASASCIANTEさんが違和感を持ったという二箇所

    混線 - Backlash to 1984
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/03/05
    潤滑油のような一言・・・なるほどです。挨拶とかもひょっとしたらそうなんだ… 揉め事の方はよくわかんないけど、いいものを拾いました☆
  • わかってくれべいべぇ…じゃねーだろという話 - Backlash to 1984

    久しぶりに凹んだけど、割と早く立ち直った。立ち直りのきっかけの言葉も、ありがたかった。自分の言葉で凹んで、他人の言葉で立ち直る。ありがたいことだと素直に思える。おっちゃんになって良かったと思うことの一つは、こういうことだ。年をうのも悪くないね。というわけで、障碍関連の話を続けてみる。 http://d.hatena.ne.jp/kmizusawa/20070227/p3 海外のことは知らないが、日でアスペルガー症候群が一般にも知られるようになったのはここ数年のことだ。今成人で診断されてる人の中には成人してから診断された人が多いと思う。アスペルガー成人の人が書いたものを読むと、子どもの頃から違和感を覚えていたけどそれがなぜなのかどこが悪いのかさっぱりわからず、わからないまま周囲にあわせようとして混乱したということがよく書かれている。この男性も、成人してから診断を受けて、それまで我慢してい

    わかってくれべいべぇ…じゃねーだろという話 - Backlash to 1984
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    SeiSaguru 2007/03/02
    ふむふむ。とりあえずブクマー
  • 「怒らないとわからない」と彼女は言った - Backlash to 1984

    昨日のエントリについて、ブクマでwackunnpapaさんより過分なお言葉をいただいた。 何だか,読んでホッとさせられた.すぐれた論考だと思う.現場で咄嗟にここまで考えられるかと問われると,自信は無いけど・・・・・・. 要領を得ない長文に、そのように言っていただけると…。ただ、私も、もしそこに居合わせたら、自信はないです。まして、私が喧嘩の当事者であれば、かな〜り、怪しいです。どちらかというと、現場を離れたところの、現在のウェブ内で交わされている意見に、私の主眼はあります。かえるさんの当該エントリのブクマコメ欄、udyさんの そんなすれ違いの積み重ねから醸成される空気 …というひとことにインスパイアされたと言いますか。そこで、もう少し続けます。 私も、まず謝るべきだと思う。 - ねこの日々 - ブログ版 私もそう思う。もし先方のお母さんがいち早くかえるさんの娘さんに駆け寄って、「大丈夫?ご

    「怒らないとわからない」と彼女は言った - Backlash to 1984
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/02/25
    ふーむ、わかりやすい。100%完璧な人間なんていないですにゃ。でも完璧であり続けるために、論理武装やら知識などの鎧を着てるようにみえるにゃ。関係ないけどそんなことを思いました。
  • Backlash to 1984-「怒らないで下さい」と彼女は言った

    何かと言えばすぐ差別だ差別だというアレの問題は、私も同感なのだが、北沢かえるの働けば自由になる日記←その日の出来事そのものは、お二方のお母さんどちらも、私はさほどに非難する気にはならない。なぜって、母親が咄嗟に「我が子を守るため瞬時に鬼と化す」のは、これは仕方ないだろう。誰が何と言おうが、我が子へのいきなりの攻撃に対しては身を張って阻止しようとする、咄嗟の行動。また、子にとっても「何があっても、お母さんだけは自分を守ってくれる」という安心感は、幼少の頃にはあったほうが良さそうだ。もちろんお二方ともエスカレートしてからの部分は「これでこそ良い」と言えるものでもないが、父親や第三者による、ことの内容の良し悪しその他の助言や苦言は、お二方の咄嗟の言動を責め立てることではないはず、と思う。まずは、お母さんどうしのこの種のぶつかり合いそのものには、母親という立場や感情に寛容であってほしい。次なる話は

    Backlash to 1984-「怒らないで下さい」と彼女は言った
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/02/25
    ふむふむ。なるほどねー。だとしたら、対応難しいね。見た目からわからないし。つい声を大きくしちゃうとか地声が大きいとか怖い口調の人とかいるし…。ただの注意だったのにー って人もいそうだ…
  • 肉体と機械 - Backlash to 1984

    トカゲの尻尾切りのようになってきたのかそうではないのか柳沢発言。まぁ政治家の進退については好きにすればいいと思うので、せっかくだからこの話題についてもう少し考えてみることにする。そこで今回は、ただ政論としての前回・前々回とは少し趣を変えたい。肉体感覚についてである。私が多く見たのは、「女が子を産む機械だというなら、男は種を撒く機械だろう」というものであった。たぶん、これは「非礼には非礼をもって報いる」ということなのだろう。表現の品や礼の問題から言えば、これは確かに正対称なのだが、どうもそういうことではないようにも思う。ことに女の人で、腹立ちまぎれにそう言い返したところ、思ったより効き目がないことにお気づきになった方もいると思う。そこから考えてみたい。 有り体に言えば、セックスの話である。男が種を撒くといってもそれはセックスのときだけのことで、気持ちが良ございましたの刹那であって、そこまでで

    肉体と機械 - Backlash to 1984
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/01/31
    なんか納得いかない感じがするなぁ…。産まない権利じゃなくて、その機能だけ持ち出して、女性=産む人 なのが嫌なのかも。こども産んだらあとは用済みみたいな感じを受けた人が反発してるんじゃないかな。
  • 「自虐現代観」あたりのこと。 - Backlash to 1984

    最近、はてな内で「自虐現代観」なる揶揄の言葉がそこそこ人気を博しているらしい。いわゆる「はてなサヨク」の人たちの間であるが(はてなブックマーク - 自虐現代観という言葉を知る - opeblo)。しかしこれは危うい。「今の世の中、おかしいじゃないか。何が悪くてこんなになったろう…」と過去を探ると、自虐的なんだろうか。というか、「はてなサヨク」って実は保守なんだろうか。そうかもしれない。私の子供二人、小学生だが、ふと思った。この子たちが受けている教育は、彼らの祖父母も、両親も受けた教育である。「教育法改悪反対」というのを、団塊世代の人で「全共闘運動以来、自分はずっと左翼ですよ」という人が言うんならまだしも革新の残り香があるんだろうけれど、若い人でそれを言う人は、たぶんすごく保守的な人なんだろうな、と思う。 「ふん、何が自虐史観だ。そういうあんたらこそ、自虐現代観じゃないか」…じゃぁ、そう

    「自虐現代観」あたりのこと。 - Backlash to 1984
    SeiSaguru
    SeiSaguru 2007/01/27
    同意できないですにゃ。比較する時、昔の都合の良い点と今の悪い点だけを比べるからきちんとした視点になってないのにゃ。今はおかしいって感覚はどこからきたのかにゃ?周りの人が変と言うと自分の意見も変わるし
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