タグ

2007年4月15日のブックマーク (6件)

  •  AV女優・森下くるみ『すべては「裸になる」から始まって』 - 花房観音  「歌餓鬼抄」

    画面の向こうで裸になり、セックスをする女達。彼女達の仕事は、「AV女優」。 私はAVを見る。「男の欲望」の為に作られたアダルトビデオを見る女だ。誰かに頼まれて見ているわけでもない。仕事で見ているわけでもない。自分の意思で見ている。お金を出して購入し、アダルトビデオを見ている。 女がAVに何を求めるか、何を見ているか。それは人それぞれだろう。男優に欲情しながら見ている人もいるだろう。性的幻想を映像化する創り手である監督に焦がれて見る人もいるだろう。女優に自分を投影して見る人もいるだろう。ただただ、そこで繰り広げられる性の世界に羨望しながら見る人もいるだろう。 女がAVを見ているというと、女優に自分を投影して男優に「AVのようなことをされたい」から見ているのだろうと捉えられて戸惑うことがある。それを否定はしないけれども、私はどちらかというと男優になり、女優とセックスしたいという欲望の方が強い。

     AV女優・森下くるみ『すべては「裸になる」から始まって』 - 花房観音  「歌餓鬼抄」
  • 想像力の欠落が大惨事を招く

    ずいぶん前になるが、これは東海村でウラン溶液のバケツリレーやってたら臨界事故を招いた事件のときに柳田邦男が評論していた内容だ。「そもそも『これをやったら、こうなる』という推理をしながら、やらないからこうなるわけだ。『幼児がうるさいから殴ったら、死んだ』とか『いじめてたら自殺した』とか。最近の日人は想像力が欠落している」とかいう話だった。 仕事でも同じことで、「電話しなけりゃこうなる」とか「説明しなけりゃこうなる」とか思うわけだ。「だから、どうしてそれをやったら(もしくはやらなかったら)どうなるか想像してみなかったのだね? こうなることは火を見るよりも明らかではないか」とプリミティブな失敗をやらかした某君に昨日説教をしてたら・・・ 「自分はそういうのが苦手なんです。想像力が乏しいんです。どうすればできるようになりますか?」と聞かれた(ってか逆ギレ?)。それで、僕なりの回答を書いておく。 「

    想像力の欠落が大惨事を招く
  • 焼き飯 - mugen

    焼き飯 † 米 新米は水分が多い。古米がいい。インディカ米とか風味が嫌いじゃなければそっちもいい。新米でも水分を少なめにな。 べちゃっとした飯を使う時点で負け確定だ。 火力と腕力に自信があれば冷や飯を使え。中華鍋を16ビートのリズムで振れるならな。 炊き立てはやめとけ。かなり固めに炊かないと難しい。 いったん冷やしてレンジでチンしろ。そのときラップはかけるなよ。 コンロ ガスだガス。火力がでかいほうがいいけど、まぁ、あるもんでいいよ。 電気コンロとか電磁調理器でも何とかなる。そこの丸い中華鍋は使えないがフライパンでやれ。 フライパンでの作り方も教えちゃるから待っとけ。 鍋 中華鍋もしくは北京鍋な。テフロンコーティングなんか買うなよ。鉄だ鉄。電気コンロのやつはそこの平たい中華鍋みたいなのでもいいぞ。 あんまり、大きなのは買うな。おまえんちのコンロじゃでかくても意味無いぞ。 だからって、テフロ

  • 狐の王国 孤独死50%時代を迎える団塊Jrの老後の暮らし方

    #1 孤独死50%時代を迎える団塊Jrの老後の暮らし方 今、老人ホームが足りてない。団塊世代が老人と言われる年齢になるにしたがって、これは解決するだろう。しかし、団塊Jrはそうもいかない。 団塊世代の需要によって増えた老人ホームも、団塊Jrの時代にはまた減っているだろう。それに、団塊Jrは就職氷河期世代でもあり、結婚できなかったりしなかったりしてる世代でもある。貯蓄も子供の支援もまったく望めないだろう。 こういう我々団塊Jrは、孤独死の確率が高い。へたをしたら50%以上が孤独死するのではないだろうか。 誰も部屋で腐り落ちてしまいたくはないし、そもそもそんなに孤独死してたら 特掃隊長 が過労死してしまう。 こういう問題は以前から認識してたが、ふとIRCでそういう話になったとき、 さかどん がなかなか先見の明がある発言をしていた。 <Sakadon> 老後にルームシェアをして知り合いと暮らし合

    TAU
    TAU 2007/04/15
    老後の迎え方に関する一提案
  • 友達は労働。 - たいしゅううんどう

    ろうどうたいへんここでよく話の出る早稲田の「あかね」という部分から話をしたほうがいいかもしれない。今日はイベントがあって、途中から大勢で押し寄せてきたひとには不愉快なことをさせてしまったかもしれない。それは申し訳ない。それはともかくとして、やはり、なんていうか、自分の正直な感覚としては、スタッフとして、イベントをやるというのはどうも疲れるという印象が強すぎるなあと思ったりもしたのでした。それは、イベントというものを客として眺めることと、スタッフとして眺めることの重要性みたいなところで行き来しなきゃいけないんだなあと思ったりもしたのだった。それが疲れるのは、別に人がたくさん料理を頼んで「キムチチャーハン作らなきゃー」とか、伝票のつけ忘れがあったりして「うわー」となることでもない。いや、それは結構重要なんだけどね。でも、それはあまり嫌いではない。問題は、スタッフ目線からやると、やっぱりなんだか

  • 家庭にはPCの代わりにThinClient(家庭にはPCの,シンクライアント11)を