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ブックマーク / kamosawa.hatenablog.com (5)

  • 陰謀論者を擁護する - はてなの鴨澤

    読んだ。 gigazine.net 記事によれば、陰謀論を信じる人は: ランダムなパターンから意味のある図形を見出す傾向がその他の人より高く 高等教育を受けておらず 批判的思考スキルが低く 論理の欠陥を見つける能力が低い可能性が示されている らしい。 …ここまでバカ呼ばわりされて、自分の信念を「陰謀論であると認める」人は居ないんじゃないかと思うんだけどね。誰得記事だw あと、傾向としてはその通りであるにしても、例外はいくらでもいる。MIT卒でシリアルアントレプレナーのスティーブ・キルシュという人がいるけど(インフォシーク創業者)、この人の論理の欠陥を見つける能力が低いとは誰も思わないだろう。しかし彼は反ワクチン、などというレベルまで行ってしまった陰謀論者である。 www.technologyreview.jp 思うんだけどね、こうした傾向を持つ人がこれほどたくさん居るというのはむしろ、この

    陰謀論者を擁護する - はてなの鴨澤
  • 日本の国民性は知識の体系を拒絶する - はてなの鴨澤

    レッドブルエアレースが開催されているようで、東京湾岸をゼロ戦が飛んでた!という話があちこちから聞こえる。あれはP&W WASPを積んでてオリジナルの栄エンジンではないという会話もある。実のところ、栄はWASPから発達したエンジンであり、日人は自分で作ってみながら足したり引いたりしただけである。 日のオリジナル技術です! とかいうものは、はるか後の時代になっても、「海外の研究が得た原理を使い、自分らで製造できるようになり、自分らで発達させた部分が大きくなったからオリジナルと言い張ったもの」がすごく多い。海外技術だってそうではないかと言えば言えるのだけど、原理から現在の技術までのつながりがどれだけ可視化(公開)されており、学ぶことができるようになっているかという点で大差がある。日にオリジナルの研究がないわけではまったくないが、オリジナリティは単発的に生じるのみで、体系化ということを知ら

    日本の国民性は知識の体系を拒絶する - はてなの鴨澤
    Tomosugi
    Tomosugi 2017/06/04
  • 音声入力による知的格差の縮小 - はてなの鴨澤

    車で帰ってくる15分ほどの間に原稿用紙数枚分のテキストを入力する。これはこれまでの方法では全く不可能なことである。 世の中にはさまざまな格差があるが、そのひとつに大都市と地方での知的生産環境格差がある。都会では通勤時間が読書の時間になるのに対し、地方では通勤時には自分で車を運転するために知的インプットがない。ちょっとしたメールに答える程度の知的生産も不可能である。 知的集積そのものにもともと大きな格差が存在するのに、こんな「スキマ時間」の利用についても差があるのでは、地方で知的産業に従事することはそれだけで不利ではないか。 ところが音声入力において、この格差は逆転する。 読書という、いわば材料集めにすぎない作業しかできない都会に対し、運転しながらの音声入力は超高速の知的生産である。運転中や歩行中は、アイディアがうかびやすい。欧陽脩の三上(枕上、厠上、馬上)のうちの馬上であり、ここで浮かぶこ

    音声入力による知的格差の縮小 - はてなの鴨澤
    Tomosugi
    Tomosugi 2017/03/23
    インプットとアウトプット、音声とテキストをごっちゃにする知的レベル
  • なぜ初心者が大事なのか - はてなの鴨澤

    ちょっと前に持ちきりだった話題があります。市民団体が行政から借り出した線量計を分解して較正を狂わしちゃった話です。これについては以下が詳しいです: #原発 【これはひどい。】たんぽぽ舎メルマガ内『線量計に細工 分解してみてわかった!』への反応 - Togetter 一般的にいえば、この素人集団がやったことはダメダメです。精密な測定器は製造時に誤差を潰しきれないので、必ず較正が必要で、調整のための仕組みが組み込まれてます。キッチンスケールでも時々ゼロあわせしないと狂ってきたりするくらいなもので、複雑な現象を精密に測定するには精密な較正が必要で、その調整状態自体が資産です。これを駄目にしたのは非常にまずいです。 (較正状態が資産であるというのは、たとえばキッチンスケールのように線形変化するバネを使った測定器なら一次関数で近似でき、傾きは狂わないのでY切片を調整するだけでよいのに対し、高次関数的

    なぜ初心者が大事なのか - はてなの鴨澤
    Tomosugi
    Tomosugi 2013/02/01
  • DQNの教育問題について、またはわたしもDQNであるということ - はてなの鴨澤

    親子間での扶養や援助の問題がいろいろ話題に登るようになった。伝統的な日の価値観ではどうこう、と言われているが、基的に「忠孝」というやつは弱者を保護せず、自由を増やさず、不幸を防止しない。 親子の絆は美しいが、親子をあまり強く関連付けないほうがいい。これは社会システム的にもそうだし、個人の意識としてもそうだ。個人を単位に考えたほうがずっと良い。 不幸の多くは人間関係、特に親子を引き離せないからこそ起きる。一番大きいと思うのが教育の問題だ。 99年に交通事故で3ヶ月近く入院したことがある。整形外科病棟というのは交通事故とヘルニアと老人が三大勢力で、交通事故はバイクが大部分。このため他の病棟に比べ平均年齢が低く、雰囲気も明るめだ。オレはそこで長期入院中の高校生に九九を教えたことをきっかけに、そういう家庭の教育問題を考え始めた。そして信じられないほどたくさんの家庭が、「知」というものとまったく

    DQNの教育問題について、またはわたしもDQNであるということ - はてなの鴨澤
    Tomosugi
    Tomosugi 2012/05/28
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