この島を居住地の一つとするアイヌの言葉(アイヌ語)では、「アィヌモシㇼ」(ainu mosir、「人間の住む土地」の意)または「ヤウンモシㇼ」(ya un mosir、「陸地の国土」)[4] と呼ばれる(なおアイヌモシㇼとはカムイモシㇼ(神々の土地)に対比される語であり、今日の北海道という地理的概念と同じ言葉ではない)。日本人(和人)は古代には渡嶋(わたりのしま)、近代に至るまでアイヌを蝦夷(えぞ)、その土地を蝦夷地(えぞち)もしくは北州、十州島などと呼んでいた[注釈 2][注釈 3]。 アイヌ民族の写真 江戸時代末期になると、ロシアの進出に伴い「異民族の住む地」を意味する「蝦夷地」のままではいけないという意見がみられたものの、改称は実現しなかった[5]。 明治政府は開拓使の設置に伴い名称の変更を検討して、蝦夷地探査やアイヌとの交流を続けていた松浦武四郎は1869年(明治2年)に政府に建白
