来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
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来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…
NYコレクションに参加するデザインデュオ「ロダルテ(RODARTE)」が手がけたM・A・Cのメイクアップラインが、攻撃的だとみなされ非難されている。 メイクアップラインは、映画『ボーダータウン報道されない殺人者』の舞台ともなった、レイプや殺人事件が多発しているメキシコの貧困工場地帯フアレスからインスパイアされており、コレクションには"ゴーストタウン"や"ファクトリー"といったキーワードが並べられている。 ロダルテはこの非難に対して「フアレスで起こっている女性への暴力には、積極的な対応が取られるべきだと考えており、深刻な問題を軽んじるつもりはありません。本当に申し訳ありませんでした」とコメントした。MACは、製品の名称を変更した上で、9月に同コスメラインの発売を予定している。
ボーダータウン 報道されない殺人者/Bordertown――2007年/アメリカ/カラー/112分/ヴィスタ/ドルビーデジタルSRD グレゴリー・ナヴァ監督の『ボーダータウン 報道されない殺人者』の題材になっているのは、実際の未解決事件だ。アメリカとの国境に近いメキシコの街フアレスで、15年間に推計5000件もの女性殺害事件が起こっている。被害者の多くは、グローバリゼーションを象徴する外国資本の工場で働く若い非熟練労働者だ。 メキシコでは1980年代初頭から市場改革が進められ、サリナス政権の時代に保護主義から自由市場への転換が決定的となった。アメリカとメキシコの間でNAFTA(北米自由貿易協定)が締結されたのが1992年、そして事件が起き始めたのが1993年のことだった。 「映画の冒頭に入れた字幕でも明確にしているように、メキシコの市場改革やNAFTAの締結と事件はとても密接な繋がりがある
8月26日、スリランカ当局が、サウジアラビアでメイドとして働いていたスリランカ人女性が雇用主から24本の釘を打たれる拷問を受けたと明らかに。写真は女性の手の中の釘を写したレントゲン写真(2010年 ロイター) [コロンボ 26日 ロイター] サウジアラビアでメイドとして働いていたスリランカ人女性(49)が、重労働の不満を雇用主夫婦に漏らしたところ、手足や額に計24本の釘を打たれる拷問を受けたと訴えていることが分かった。スリランカ当局が26日明かした。 この女性は3児の母親で、サウジアラビアに5カ月滞在し、20日に帰国。スリランカ海外雇用局によると、家族は女性が痛みを訴えて病院へ連れて行くまで、被害の事実に気付かなかったという。 レントゲン検査の結果、釘は約2.5―5センチで、1本は目の上で打たれたことが判明。同局によると、女性は釘が熱い状態で打たれたと話しているという。釘は手術で除去された
米アリゾナ州フェニックスを初めて車で離れたときに驚いたことが2つある。1つは耐え難い暑さ。もう1つは街があっという間に終わり、その先に巨大なサボテンと低木クレオソートブッシュが生える砂漠が広がっていたことだ。 私の両親がアリゾナ州に引っ越したのは20年以上も前のこと。今は、砂漠を走るハイウエーの脇にショッピングモールと宅地が帯状に並ぶ。数年前に聞かれれば、ここは安全で子育てにふさわしい場所だと私は答えていただろう。だが今ならこう言う──考え直したほうがいい。 アリゾナ州で4月23日に成立した移民法に全米から批判が噴出している。移民法では、警察官は「合法的な」職務質問をして相手が不法移民と思える「合理的な疑い」が生じれば、その身分証明書を確認する義務がある。 まるでナチスかアパルトヘイトだと、州議会議員や州民を非難する声もある(州民の70%が移民法に賛成)。だがアリゾナ州で少し時間を過ごせば
ナイジェリアから奴隷としてベナンに運ばれる途中、国境付近で救出され、警察車両に保護された子どもたち(2003年9月26日撮影)。(c)AFP 【11月12日 AFP】ナイジェリア南東部の大都市、エヌグ(Enugu)の住民は、日中は静まり返り夜になると人の出入りが激しくなるその産科医院のことを、不審に思っていた。誰一人として知らなかったのだ。その正体が、赤ちゃんを売買するための施設であることを。 「赤ちゃん農場」「赤ちゃん工場」とも呼ばれるそうした売買施設のネットワークが存在することが、最近になり警察の摘発によって明らかになった。エヌグにあるこの医院では、5月の摘発で10代の少女20人が保護された。2階建ての医院には、現在シャッターが下ろされている。 地元紙の報道によると、逮捕・起訴された50代の産婦人科医は、望まぬ妊娠をした少女たちを「中絶をしてあげる」と言って誘い込み、医院に監禁。出産後
俺は国際労働機関(ILO)によって、児童・女性売春撲滅のためのメコン準地域プロジェクトの一環でアジアに派遣された。俺の仕事は、日々女性や子どもたちが耐え忍んでいる問題を写真に収めることだった。俺が今回行くように指示されたのは、タイ、カンボジア、ラオス、そして中国だ。俺は1999年から同じ問題を撮影し続けていて、バングラデシュやインドネシアにも行ったことがある。 最近のILOの調査によると、アジア太平洋地域では136万人もの人々が人身売買により不当な労働を強いられていると推定されている。それは、全世界にいるそのような不当な扱いを受けている人々のうちの約55%にあたる。人身売買犠牲者の40〜50%は子どもであり、その多くが性産業に携わっていると考えられている。子どもたちを性産業へ送り込んでいるのは、多くの場合がその家族だ。彼らは絶望的な貧困の中で暮らしており、自分たちが生き残るためにできる唯
人身売買はなくならない コロンビア人娼婦が「スペイン人」だとか「ロシア人(ほとんどの日本人は、ロシア人とコロンビア人の違いも分からない)」だと紹介されて日本の風俗街やホテル街に出没して売春を持ちかけていたのをよく見かけたが、中南米はアジア・アフリカと共に人身売買のメッカである。 最近、コロンビアでふたりの上院議員が人身売と戦うための法案を教授しているが、これは、売春斡旋業者(Pimps)を取り締まると同時に、被害に遭った女性をシェルターに保護して、カウンセリングを受けさせることを法律で援助するものだった。 つまり、今までコロンビアではそのような法律がなく、女性たちは常に人身売買の標的だったことを意味している。中南米では、どこの国も状況は似たようなものであり、ブラジルも投資家から注目されているとは言えども、人身売買が横行している国家であるのは間違いない。 アメリカと国境を接するメキシコ
Guardian紙で男性の買春についての調査結果のニュースが興味深かったので、ご紹介。英国では、強制的に売春させられている女性や人身売買された女性に性行為の対価を支払ったばあい、人身売買を知っていたかどうかに関係なく罰せられるという法律が、もうすぐ施行されるんだってさ。 Why men use prostitutes | Society | The Guardian この調査によると、買春した男性の半数以上は、自分の関わった女性たちが何か事情を抱えてたことに気づいてたんだって。 More than one third said they thought the prostitutes they visited had been trafficked to London from another country, and a small number said they suspected
【ブリュッセル=尾関航也】ハイチ大地震で被災した児童を、養子縁組の形で引き取る動きが欧米諸国で広がっている。 被災地の厳しい環境から救う人道目的だが、一歩間違えば本人や家族の意思に反する一家離散につながりかねない。組織的な人身売買に利用される恐れも指摘される。 オランダ南部アイントホーフェンの軍用空港に21日、ハイチで被災した子供106人を乗せたチャーター機が着陸した。国際的な養子縁組を支援する複数の民間団体とオランダ外務省が手配した。子供はオランダとルクセンブルクの里親に引き取られる。 米欧メディアによると、これまでに米国が53人、フランスが33人の子供を受け入れた。いずれも震災前から準備されていた縁組予定を前倒ししたケースで、5歳以下の幼児が中心という。 ハイチにはもともと約38万人の孤児がおり、今回の地震で両親を失った児童は数万人に上るとされる。被災して運営を続けられない孤児施設もあ
南アフリカ・ヨハネスブルク(Johannesburg)近郊の児童保護施設で、サッカーをする子どもたち(2009年8月24日撮影)。(c)AFP/PABALLO THEKISO 【12月15日 AFP】レソトに住んでいたタト(Thato)さん(10)は、3歳の時に、「グラニー(おばあちゃん)」と呼んでいた女性から、ここ南アフリカに連れてこられた。 その5年後、「グラニー」によって売春宿に売り飛ばされ、児童売春を強要された。ソーシャルワーカーに保護されたのは3か月前のこと。彼女は現在、ヨハネルブルク(Johannesburg)近郊の児童保護施設で暮らしている。 この施設を運営するグレース・マシャバ(Grace Mashaba)さんは、タトさんの物語を語ってくれた。「『グラニー』は、子どもが一人もいないこともあり、周りの人々に、女の子をくれないかといつも懇願していた。立派な家を建てていたこともあ
[ニューヨーク 28日 ロイター] カンボジア出身のソマリー・マムさんはクメール・ルージュの残忍な支配下で孤児として育った。家族の思い出もなく、本当の年齢や名前も分からない。だが、売春宿に売られたときのことは思い出すという。強制的売春と闘う活動家へ転じたマムさんは、劇的な人生を回顧録「The Road of Lost Innocence(原題)」にまとめた。 9月28日、自身の経験を基に強制売春の撲滅運動を展開するカンボジア出身のソマリー・マムさんが回顧録などについて語った。提供写真(2008年 ロイター/Thierry Falise-Random House) 1970年代前半に生まれたマムさんは、クメール・ルージュの支配を少し覚えている。1970年代後半、クメール・ルージュが虐殺や拷問、飢えによって死に追いやった人の数は推定170万人に上る。マムさんは16歳ぐらいのとき、売春宿に売られ
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