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ブックマーク / khyogen.exblog.jp (10)

  • 「作」をよむことと「著」をよむこと | eXcite ことば・言葉・コトバ

    岩波文庫のタイトルでは、「作」と「著」が厳密に分けられている。これは読書人のあいだでも常識にはなってはいないことだろう。つまり、その作品が創作の場合には「作」であり、そうでない場合には「著」なのである。ちなみに、「芥川龍之介作、羅生門」、「芥川龍之介著、侏儒の言葉」というような具合である。 わたしはさまざまな音訳(音声訳)を聞いているうちに、これに気づいた。音訳の人たちはどんな作品をよむとときにも、冒頭で「○○(作者)著、○○(作品名)」とよみはじめる。この言い方は音訳というものの考え方を示すものである。つまり、音訳とは作品をよむのではなく、作品のかたちである書物をよむのである。だから、「○○著」ということになる。 それに対して、わたしは「○○(作者)作、○○(作品名)」ということにしている。作品の文字づらを声にするのではなく、作品の世界を表現するのだという意味である。ただし、エッセイや詩

    「作」をよむことと「著」をよむこと | eXcite ことば・言葉・コトバ
    Yuny
    Yuny 2005/09/30
    岩波文庫のタイトルでは(略)作品が創作の場合には「作」であり、そうでない場合には「著」
  • 「朗読」は点字と同じではない! | eXcite ことば・言葉・コトバ

    著作権法第37条は、(点字による複製等)として、次の3項目がある。あらためて読んでみると、それぞれについて思うことが出てくる。 (1)公表された著作物は、点字により複製することができる。 (2)公表された著作物については、電子計算機を用いて点字を処理する方式により、記録媒体に記憶し、又は公衆送信(放送又は有線放送を除き、自動公衆送信の場合にあっては送信可能化を含む。)を行うことができる。 (3)点字図書館その他の視覚障害者の福祉の増進を目的とする施設で政令で定めるものにおいては、もっぱら視覚障害者向けの貸出しの用に供するために、公表された著作物を録音することができる。 (1)は点字が明らかに著作物の「複製」という判断である。これに準じて、(3)の音声訳(音訳)の規定が出てくるわけだ。現在、音訳の録音は「もっぱら視覚障害者向けの貸出しの用に」なっているので、一般の人たちは聴くことができない。

    「朗読」は点字と同じではない! | eXcite ことば・言葉・コトバ
    Yuny
    Yuny 2005/08/19
    著作権法の隙を点訳と朗読の違いから突いた見事な論。
  • 「朗読」と著作権の問題(7/終) | eXcite ことば・言葉・コトバ

    今回はこがわ法律事務所webnotesの「朗読と著作権(終)」へのコメントである。(こがわ氏の解釈をさらにわたしなりに解釈している。ここに示した見解の責任はすべてわたしにある) ●表現としての朗読の価値 こがわ氏は朗読というものの価値を次のように述べている。 (1)巧みな表現による朗読作品はそれ自体芸術的な価値がある。 (2)原著作物に新しい生命を吹き込み、原著作物への興味をよびおこす。 この意見に、わたしも大いに同感である。 こがわ氏の最終的な結論はこうである。 「原著者の口述権、上演権を侵害しない範囲でなされた朗読であるかぎり、その録音を被営利的目的で公開することは原著者の公衆送信権を侵害するものにならない。」 ●インターネットでの「朗読」運動 はたして、新しい著作などがよまれた録音がインターネットにさまざまなかたちでアップされることで、原著作物が売れなくなるだろうか。おもしろければ、

    「朗読」と著作権の問題(7/終) | eXcite ことば・言葉・コトバ
    Yuny
    Yuny 2005/08/18
    原著者の口述権、上演権を侵害しない範囲でなら……。同感同感。
  • 「朗読」と著作権の問題(6) | eXcite ことば・言葉・コトバ

    今回は、こがわ法律事務所webnotesの「朗読と著作権(3)」についてのコメントである。(こがわ氏の解釈をさらにわたしなりに解釈している。ここに示した見解の責任はすべてわたしにある) ●「朗読」の創造性 こがわ氏は結論的にこう述べている。 「朗読」が原著作物のの「複製」でないとすれば公衆送信は、原著作物それ自体の公衆送信にはあたらない。 「公衆送信」という用語の意味は、インターネットで複数の人たちに見せたり聞かせたりすることである。「朗読」の場合には、ネットで録音を聞かせることになる。 ここでも問題は文字メディアと音声メディアのちがいである。音楽の場合、「複製」も音声メディアであるし、映画の「複製」にもメディアの変化はない。ところが、「朗読」は、原著作物をメディア変換している。それは創造的な行為である。 福井健策『著作権とは何か』(2005集英社新書)はアメリカの著作権問題の事例として『

    「朗読」と著作権の問題(6) | eXcite ことば・言葉・コトバ
    Yuny
    Yuny 2005/08/13
    読み方一つに創造性が認められるんだから、朗読は創作行為。複製とかではないと思う。
  • Blog ことば・言葉・コトバ 音声ブログは声の「暴力」になるか?

    さまざまなボイスログが増えてきた。それをポッドキャスティングしている人もいる。わたしが「Blog表現よみ作品集」をアップしているケロログでも日記形式で声を発信している人が大ぜいいる。 わたしもいろいろなサイトを聞いてみた。自らの発する声のブログについての反省をするためである。まず、気がついたのは、文字のブログとのちがいである。文字ブログならば感覚を圧迫するような力はないが、声のブログには聞き手に迫る力がある。いきなり音楽が耳に飛び込んできてびっくりしたり、そうかと思うと、「えーと……」というような聞き手を無視したつぶやきのようなコトバが聞こえたりする。 いきなり聞こえる音楽も、何を言いたいのか分からないようなつぶやきも、聞く側にとってはある種の暴力となる。日常の話しよりも「うるさい」のである。一人でパソコンに向かうときには集中しているからだろう。だから、新しいサイトを聴くときには決意を要す

    Blog ことば・言葉・コトバ 音声ブログは声の「暴力」になるか?
    Yuny
    Yuny 2005/08/13
    しゃべるだけしゃべってそれで良いのかな? 受け手の事を考えて。
  • 「朗読」と著作権の問題(5) | eXcite ことば・言葉・コトバ

    こがわ法律事務所Webnotesで「朗読と著作権」全4回の記事が掲載された。法律の専門家の方がこの問題について書いてくださったのがじつにありがたい。わたしも下書きを書いて準備していた。そこで抱いた疑問の多くは解決した。 まだ書くことがあるかどうか、まずは、こがわ氏の記事から学びながら、コメントをしたい。そのあとで、発言したいことがあればまた書きこもうと思う。 今回は「朗読と著作権(2)」についてのコメントである。(こがわ氏の解釈をさらにわたしなりに解釈している。ここに示した見解の責任はすべてわたしにある) ●「朗読」の二種類と「口述権」 こがわ氏は「朗読」を二つに分けている。a単なる口述としての朗読、b創作性をもつ朗読、である。そして、bは「上演」の権利を適用すべきだろうし、aは「原著と独立した著作物性を取得しない朗読」であるから、あえて言うなら「口述」の対象だという。にもかかわらず、それ

    「朗読」と著作権の問題(5) | eXcite ことば・言葉・コトバ
    Yuny
    Yuny 2005/08/08
    専門家の間でも朗読の公開についていろいろ意見があるみたいだなあ。宣伝になるから無償なら黙認、に?
  • 「朗読」と著作権の問題(4) | eXcite ことば・言葉・コトバ

    ●著作権保護の大前提 著作権とは何か、なぜ著作権が保護されるべきかという根問題があります。これには二つの大前提があります。一つは社会的な問題、もう一つは個人的な問題です。この両者の利益を保護するために法的な調整が必要なのです。 第1は、文化の発展のため、第2は、著作権者の権利の保護です。 わたしは、著作物の一部の「朗読」をインターネットで公開することが、はたして著作権の侵害になるのかどうか疑問をいだいています。結論としては、わたしの行為は文化の発展になるし、著作権者にとっても利益になると思うのです。 まず、第1に、著作権による社会の発展という問題です。朗読についても、社会の発展のために、著作物が読まれることを期待したいと思います。福井健策『著作権とは何か』(集英社新書)で、著作権の大前提を「はじめに」で「芸術文化活動が活発に行われるための土壌を作ることだ」(9ページ)としています。 また

    「朗読」と著作権の問題(4) | eXcite ことば・言葉・コトバ
    Yuny
    Yuny 2005/07/28
    「インセンティブの付与」と「フェアユース」から著作物の利用を考える。
  • 「朗読」と著作権の問題(3) | eXcite ことば・言葉・コトバ

    ●著作権法第38条の「非営利・無料・不報酬」の原則 わたしの「Blog表現よみ作品集」を訪問した法律家の方が次のように書いてくださった。 「著作権法38条は,公表済著作物について,営利を目的としない上演,口述などを認めていますから,ファイルが無償で公開され,かつ朗読者が報酬を受けない限りは,朗読の公開は著作権を侵害するものではなく,またそのようにして適法に公開された朗読を,個人が私的に使用する限りにおいて朗読ファイルをダウンロードしても著作権侵害は生じないと考えられます。」(こがわ法律事務所のwebnotes「朗読とpodcast」) わたしも著作権法第38条はうろ覚えであるが聞いていた。今回あらためてこれが有効だと思い当たった。ならば、わたしのしていることには問題はない。しかも、引用の原則も付加しているので、著作物の販売にも貢献しているはずだ。 わたしがしていることは、現代著作について、

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    Yuny
    Yuny 2005/07/28
    著作権法38条では公表済著作物の非営利の上演,口述などを認めてることとPodcastingについて現行法の解釈。
  • 「朗読」と著作権の問題(2) | eXcite ことば・言葉・コトバ

    ●現代著作の「朗読」についての提案 はじめに……ポッドキャスティングが日でも注目され始めています。アメリカでは2000万人以上の人口があります。音楽ばかりではなくオーディオブックと呼ばれる講演や朗読なども聴かれているそうです。今後、日でポッドキャスティングが発展するためには問題があります。「朗読」など聴くべきソフトの少なさです。とくに現代著作が欠けています。 わたしがケロログで「Blog表現よみ作品集」を公開しているのは、将来のポッドキャスティングの発展を見込んでのことです。多くの人たちにさまざまな作品を聴いていただきたいと思っています。最近、わたしと同じように「朗読」のファイルを公開する人たちも出てきています。 ところが、日では著作物の権利について堅苦しい原則があります。「没後50年を経ない著作物は読めない」という単純なものです。それは「朗読」についての正当性を欠いた解釈です。わた

    「朗読」と著作権の問題(2) | eXcite ことば・言葉・コトバ
    Yuny
    Yuny 2005/07/28
    Podcastiongでの著作権を守る私案。
  • 「朗読」と著作権の問題(1) | eXcite ことば・言葉・コトバ

    わたしはこれまで「朗読」の著作権のあり方に疑問を持ってきた。それで個人的に、ある解釈にもとづいてよみを公開する実践を続けてきた。その成果があったか、7月7日にスタートしたNIFTYの「ポッドキャスティングジュース」で「Blog表現よみ作品集」が紹介された。ところが、即日紹介が中止となった。そのとき、わたしは著作権について根的に考えてみようと思った。 これから何回つづくか分からないがこの問題について書きたい。わたしが参考にするのは、福井健策『著作権とは何か―文化と創造のゆくえ』(2005.5.25集英社新書)である。すばらしいだ。既成の法律の解釈を振り回すのではなく、社会の発展という一つの理想のもとで著作権の問題を検討している。わたしが示唆されたことがたくさんある。このを片手に「朗読」と著作権について、わたしの考えを論ずることができそうである。 ●「朗読」の著作権問題とは? 現在、「朗

    「朗読」と著作権の問題(1) | eXcite ことば・言葉・コトバ
    Yuny
    Yuny 2005/07/27
    朗読は演劇じゃないと思う。
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