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インタビューに関するabbey_rita_sadyのブックマーク (5)

  • 村上春樹ロングインタビュー - 勇気と想像力、そして少々のお金

    考える人 2010年 08月号 [雑誌] 出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2010/07/03メディア: 雑誌購入: 224人 クリック: 3,524回この商品を含むブログ (107件) を見る 村上春樹の3日間にわたるインタビュー。聞き手の松家仁之(マツイエマサシ)*1さんがどういう人か存じあげませんが素晴らしいですね。じっくりと人間村上春樹に迫ります。2007年の「走ることについて語るときに僕の語ること」は独自のメモワールでしたが、今回は松家さんという聞き手がいての、作家になる前となった後の人生の回想録。面白かったです。「走ることについて・・・」の時には、音楽はコンピュータを通してはまだ聴く気になれない、とかなんとかでMDウォークマンで走っていたのにすっかりiPodをフル活用しているあたり、しっかり進化しています(笑)。 中でも感銘を受けた生きる姿勢についてちょっとだけ抜粋。何せ一

    村上春樹ロングインタビュー - 勇気と想像力、そして少々のお金
  • 堀江貴文 エンジニアは誇り高くあれ|【Tech総研】

    東京大学文学部宗教学宗教史学専修課程中退。1996年に「有限会社オン・ザ・エッヂ」を設立。2002年に旧ライブドア社から営業権を取得し、2004年に社名を「株式会社ライブドア」に変更。2006年に証券取引法違反容疑で起訴されて一審、二審ともに有罪判決を受ける。現在上告中。1972年福岡県生まれ。 今、非正規雇用の増加やいわゆる「派遣切り」が社会問題になっていますけど、僕が前の会社(ライブドア)で社長をやっていたときは、技術者派遣やSI会社の常駐社員などは一切使わなかったし、逆に自社の社員を派遣することもしなかった。社内ではこうしたシステムを利用するようにかなり説得されたけど、ここだけは頑固に譲らなかった。 唯一、派遣会社を使ったのは受付の女の子たち。いろいろとあって押し切られてしまったのだけど、彼女たちが望めば正社員にしていたし、希望すれば総務や経理に異動もさせていた。ほかに社員でない人と

  • Cyanを設計した高校生、5カ月で5つの言語を習得

    読者の皆さんは、「Cyan」(サイアン)という言語をご存じないかもしれない。Cyanは、Lispのマクロを持ち、Python風のインデントによってブロックを表すプログラミング言語。2008年の春、林拓人という1人の高校生によって設計された。 連載第1回の竹内郁雄氏が「開発」の天才、第2回の五十嵐悠紀氏が「発想」の天才とするならば、今回の林氏は「プログラミング言語」の天才だ。 林氏がプログラミング言語に初めて触れたのは中学3年の夏休み。そこから冬休みまでの5カ月間に、5つのプログラミング言語を習得した。その後もいくつかのプログラミング言語を学ぶ中、林氏の興味はWebサービスなどのものづくりには行かず、ひたすら言語自体へと向かっていった。 高校2年の春、自身でプログラミング言語Cyanを作り上げた。Cyanを設計した林氏は、「U-20プログラミング・コンテスト」(以下、U-20プロコン)で経済

    Cyanを設計した高校生、5カ月で5つの言語を習得
  • 【インタビュー】デバイスを超えてインテグレーションを目指す - Qtの目指す未来とは (1) クロスプラットフォームのアプリケーションフレームワークを提供 | エンタープライズ | マイコミ��

    Nokiaがノルウェーのオープンソース企業「Trolltech」を買収したことは既報のとおりで、その買収は2008年6月に完了した。Trolltechは、Linux、UNIX、WindowsMac OS Xなどさまざまなプラットフォーム上で稼働するアプリケーションの開発が可能なクロスプラットフォームアプリケーションフレームワーク「Qt」を提供してきたが、Nokia買収後、同事業は同社の「Qt Software」事業部へと移管され開発が継続して行われている。 そんなQtの開発の最前線で指揮を執るのが、同事業部Chief Technologist(旧Trolltech CTO)のBenoit Schillings氏である。そんな同氏にQtの現状と、将来について話を聞いた。 Nokia,Qt Software,Chief TechnologistのBenoit Schillings氏 複雑なも

  • 谷口公一――「にぽたん」と呼ばれし剛勇の新たな挑戦

    谷口公一――「にぽたん」と呼ばれし剛勇の新たな挑戦:New Generation Chronicle(1/5 ページ) 谷口公一を形容する呼び方は一意に決まらない。それは、彼が歩んできた道のりが一調子ではない証左だ。Perlハッカーとして活躍する一方で、日でも最大級のポータルサイトで常にユーザーをワクワクさせるサービスを提供し続けてきた彼が米国に行くことを決めた理由は――。 「くだらないことばかりやっているからそちらで名前を知っている方もおられるかもしれませんね」――にぽたんこと谷口公一氏はこう話す。そして彼はこうも話す。「固有のサービスなどを手掛けたことで名が知られるようになったのではない」と。 ライブドアメディア事業部開発部システム開発2グループのシニアマネジャーとして日夜ユーザー志向のサービスを作り上げるべく奮闘するにぽたん。しかし、彼を知る者の中には彼がライブドアで働いているこ

    谷口公一――「にぽたん」と呼ばれし剛勇の新たな挑戦
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