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ブックマーク / note.com/yattokamelife (7)

  • 厳選食材が並ぶ、活気ある市場巡り|やっとかめ文化祭DOORS〜なごや文化の扉をひらく〜

    11月14日(土)「柳橋中央市場と名古屋の文化」に参加しました。 名古屋駅そばにある柳橋中央市場は、午前2時から10時頃まで開いているのプロが買いつける市場。一般の方も購入することができます。 まずは活気がある市場の中をマルナカ品センター 安藤社長の解説で巡りました。 地元や近海でとれた魚介、また肉・野菜・海苔などの専門店を見てまわり、参加者さんはプロの説明に耳を傾けながら楽しそうに見学していました。 スーパーとの違いは素材のクオリティの高さ。プロが厳選した材なので鮮度や味に太鼓判です。 一般の方は、お店が落ち着く8時30分頃から来れば、お店の人と会話をしながら選ぶことができます。 また、土曜は一般向けにお得な商品があるそう。 後半は料理研究家の鈴木先生より、名古屋の文化やお出汁についてのお話を伺い、出汁の試飲やおすすめレシピを試して楽しみました。 特別な日やお正月の材は「柳

    厳選食材が並ぶ、活気ある市場巡り|やっとかめ文化祭DOORS〜なごや文化の扉をひらく〜
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    advblog 2020/11/23
  • 名古屋城で出逢う七宝の煌めき~尾張七宝の歴史と本丸御殿の七宝~|やっとかめ文化祭DOORS〜なごや文化の扉をひらく〜

    紅葉も鮮やかな秋晴れの名古屋城丸御殿にて、七宝焼アートヴィレッジ館長 小林弘昌先生と、実際に丸御殿の七宝金具を復元された職人さんをお迎えして、尾張の七宝の歴史が語られました。 近代尾張七宝の始まりは尾張藩の鍍金師の梶常吉が舶来の焼き物に感動し、それを再現しようと研究を重ねたもので、その技術は近隣の多くの職人から切望され、工法を教えた中のひとりが七宝町の林庄五郎でした。そこから七宝町が一躍七宝焼きで名を馳せ、現代も製作や文化財修繕に活躍されています。 職人さんの話では、梶常吉以前と以降で尾張七宝の工法は大きな変換期を迎え、丸御殿に使われていた七宝金具は、古来から伝わる変換期前のものだそうです。 そのため、当時の技法や材料を駆使する復元は、有識者から何度もリテイクが出たそうで苦労なされたとか。 近代の技法を受け継ぐ職人さんが、手探りで当時の技法を研究しながら再現していくひたむきな姿勢は、

    名古屋城で出逢う七宝の煌めき~尾張七宝の歴史と本丸御殿の七宝~|やっとかめ文化祭DOORS〜なごや文化の扉をひらく〜
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    advblog 2020/11/21
  • レトロな建物が残る白壁エリアで、輸出陶磁器産業の”記憶”を巡る|やっとかめ文化祭DOORS〜なごや文化の扉をひらく〜

    ガイドは今回のスタート地点である橦木館(しゅもくかん)の保護・活用活動にも携わってこられた加美秀樹さん。 橦木館は、戦前、輸出陶磁器商として活躍した井元為三郎が大正から昭和初期にかけて建てた邸宅で、外国からのバイヤーをもてなしたという洋館はステンドグラスが多く飾られレトロな雰囲気が印象的でした。 名古屋市東区のこの辺りは、元々は尾張藩士の武家屋敷が立ち並んでいましたが、明治以降は地元財界人のモダンな邸宅が建てられるようになりました。橦木館の他にもカトリック主税町教会、旧春田鉄次郎邸や旧豊田佐助(豊田佐吉の兄)邸など戦火を免れた建物が多く、高級レストランや料亭、結婚式場などにも利用されています。 また、敷地の広さや瀬戸にも近いという交通の便から輸出用陶磁器の絵付け工場も多く集まるようなり、後に一大集積地となりました。そこで働く絵付け職人の人たちが住んでいたという当時の長屋も残っており、今も大

    レトロな建物が残る白壁エリアで、輸出陶磁器産業の”記憶”を巡る|やっとかめ文化祭DOORS〜なごや文化の扉をひらく〜
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    advblog 2020/11/20
  • 妖怪愛好家とゆく!名古屋百鬼夜行ー尼ヶ坂編ー|やっとかめ文化祭DOORS〜なごや文化の扉をひらく〜

    名鉄瀬戸線の尼ヶ坂駅から始まるこの町歩き。 普段馴染みがなく、且つ無人駅であるこの界隈は、降り立つとこんもりとした木立が広がっており、それだけで妖怪が出現しそうな雰囲気です。 その木立は、尼ヶ坂という公園で実は、名古屋城の方角から鬼門の位置に立っています。成る程それで妖怪が入り込み易い土地柄なんですね。 もう1つ特筆すべきは、尼ヶ坂は東区と北区を隔てる境界線である事。坂を登ると白壁に代表される武家屋敷、坂を下ると庶民の住まう下町。この格差ゆえに身分違いの恋物語がまことしやかに語られました。 権現小町と呼ばれた女性は、尾張藩の武士と懇ろになり、逢瀬を重ねました。それこそが私たちの訪ねた尼ヶ坂でした。蔵王権現を祀った片山神社は無数の木に囲まれ秘め事にはぴったりで、妖怪をも潜んでいそうな佇まいでした。 参加者はリピーターも多く熱心に案内人の島田先生の話に聞き入っていました。 〈レポート:まいづー

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    advblog 2020/11/18
  • 大満足な名古屋の和菓子名店めぐり〜芳光、山田餅本店、若雀編〜|やっとかめ文化祭DOORS〜なごや文化の扉をひらく〜

    愛知県は和菓子屋の数が京都府より多い隠れ和菓子大国。そんな名古屋の和菓子屋さんをガイドの大竹敏之さんと一緒に3軒巡りました。 わらびの「芳光」さんでは、作る所を見学しながら、ご主人から材料や作り方について伺いました。わらびを試させていただくと、口の中でとろける柔らかさで絶品でした。 次に菓子の「山田店」さんへ。 鬼まんじゅうのお話しや素材のお米のお話し等を伺いました。鬼まんじゅうを大量に蒸している光景が圧巻でした。 最後に外郎(ういろう)の「若雀」さんへ。 ご家族で丁寧に少しづつ作っている昔ながらの外郎は、モチモチ柔らかいのが特徴だそうです。外郎はまず地元の人に美味さを知ってもらいたいなと思いました。 参加者さんはご主人に質問したり、お買い物を楽しみ、お土産まで頂いて大満足の様子でした。 これをにどんどん和菓子屋さんに行って、愛知県の和菓子文化を もっと盛り上げていきましょう!

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    advblog 2020/11/11
  • 名古屋で長年愛される「地元パン」|やっとかめ文化祭DOORS〜なごや文化の扉をひらく〜

    名古屋の地元パンとは? 11月1日(日)午後、東別院会館で開催された、まちなか寺子屋「名古屋の地元パンとは?」が開催されました。 やっとかめ文化祭の和菓子めぐりでお馴染みの文筆家・甲斐みのりさんに名古屋で長年愛される「地元パン」についてのお話しを伺いました。 2016年に「地元パン手帖」を執筆された甲斐さん。まず何故パンに注目したのか、お話し頂きました。 幼少の頃からお菓子の包み紙のデザインが好きだった甲斐さんは、日の和菓子・洋菓子を知りたいと思い、全国のお菓子を巡る旅へ出ました。そこで気づいたのは製菓店にパンも売っている場合があり、パン屋にも洋菓子が売っている場合があるということ。パンとお菓子には密接な関係性があるのでは?と思い、パンについても研究を始めました。 甲斐さんが定義した「地元パン」とは次の定義のパンのこと。「昭和20年~30年代に創業し、歴史のある老舗のパン屋さん」「パンに

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    advblog 2020/11/10
  • 古代のロマンを感じる!〜古代・尾張氏と海人のルーツをたどる|やっとかめ文化祭DOORS〜なごや文化の扉をひらく〜

    やっとかめ文化祭の初日10月24日にまち歩き「古代・尾張氏と海人のルーツをたどる」に参加しました。 古代にこの地方を支配してきた尾張氏は、海人(あま)族とも深く関わりがあると言われていますが、文字資料が少なく詳しいことはよくわかっていません。とはいえ、名古屋市南部から東海市にかけて古墳や遺跡、ゆかりの神社、昔を偲ばせる地名が多く残っています。 この辺りは、昔は海が陸地の奥まで入り込み、舟も多く行き交っていたようです。最初に訪れた船津神社はそうした海の安全を守る神様で、この神社の前を通る舟は敬意を表して帆を下げたそうです。近くの貝塚には今でも貝殻が落ちていましたが、今ではあまり見られない貝が多いとのこと。急に古代が身近に感じられます。 ゴールは日武尊の妃・宮簀媛命(みやすひめのみこと)が祀られている氷上姉子神社。 参加した皆さんは古代史に関心がある人も多く、ガイドの名古屋市教育委員会文化

    古代のロマンを感じる!〜古代・尾張氏と海人のルーツをたどる|やっとかめ文化祭DOORS〜なごや文化の扉をひらく〜
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    advblog 2020/11/01
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