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ブックマーク / www.highriskrevolution.com (6)

  • ゲームとシナリオの奇怪な関係 | Colorful Pieces of Game

    『ルーク・スカイウォーカー問題』で「難易度を下げれば解決する」という主張があったけれど、残念ながらそれでは解決しない。 問題を簡単に煮詰めると デススター撃破はそもそも無理な難易度で、普通は失敗する ⇒とてもムリなコトを成功するからヒーローだ。体験は原理的には時系列に従うので一回性。だから死んでやり直しとかはありえない (死んだら「死んで終わった体験」が正しいことになる) ⇒これを死んでもやり直せる世界観を作ることで解決しているのが例えば”All you need is kill”だとか、トルネコ/シレンの「不思議のダンジョン」って仕掛けだったり、最近だと”シャドウ・オブ・モルドール”だったりする(ただしモルドールは時間が戻るわけではないのでさらにスゴい)。ゲームデザイナーがユーザーに体験してもらいたいストーリーはもちろんデススターを破壊する ⇒100%成功するアイディア以外は、体験として

  • 『迷宮組曲』・連射測定の謎を解く | Colorful Pieces of Game

    『迷宮組曲』にはちょっとしたオマケとして、タイトル画面で連射速度を測定できるようになっていた。 <キミの連射は秒速何発?> このソフトには、直接ゲームとは関係ないけれど、楽しいオマケ機能がついているんだ。それが連射測定機能だ。タイトル画面のときに、Aボタンを押すと測定機能が働きだす。それから10秒間は、キミの全パワーをAボタンにそそぎこむのだ。10秒以上連射すると、画面の中央上部にキミの10秒間の平均連射数が表示されるんだ。だから、その数字を10で割った数がキミの1秒間の発射回数になるわけだ。これでキミの連射スピードをはかることができるんだ。ちなみに高橋名人の連射速度は秒速16.2発。キミは、名人をこえることができるかな・・・・・・。 『ゲームの説明書』より 画面の上には数字が出るだけで、リセットボタンを押す以外には消す方法もないっぽい乱暴な機能だけど、まあ当時だからOKだ(リセット以外で

  • 某プログラマが某有名ファミコンゲームのソースをgitに公開したの巻 | Colorful Pieces of Game

    ツイッターでポロっとつぶやいたのだけど、ここでも記事をば。 某プログラマが34年前に発売された某有名ファミコンゲームのソースをgitに公開したので、以下にリンクを置いておく。 GitHub - omuanko/nnjhtrkn: Famous Ninja game for NESFamous Ninja game for NES. Contribute to omuanko/nnjhtrkn development by creating an account on GitHub. 某プログラマからの箴言は以下。 ■某プログラマ ちなみに びるど とおりますうご(www act65 を cpm86 エミュで 試してみた ソース見られるの恥ずかしい いまさらおそいか ちなみに act65は つけてないよ どっかで ひろってね ところで、イマドキな方には全く理解できないことがいろいろあるだろう

  • シナリオ本+FF13本+前の電子書籍版通販中(7/15終了) - Colorful Pieces of Game

    Re:ゼロから始める ゲームシナリオ ライトニング伝説 さよならハドソン ドラクエとFFと ToHeart 誰得ゲームライフ ときめきメモリアル の時代 イースI・II製作メモ ■頒布ページ■

    シナリオ本+FF13本+前の電子書籍版通販中(7/15終了) - Colorful Pieces of Game
  • ハドソンがファミコンに参入するまで(4)::Colorful Pieces of Game

    ところで、何人かから質問されたけれど、今回の話がハドソンの解散に重なったのは全くの偶然だ。 どうしてこんなことを調べだしたのかといえば、たまたまTwitterでM2のほりいさんたちとハドソン参入前後の話になり、自分が雑に当時聞いた話をしゃべったところで「待てよ、これは当なんだろうか?」と思ったのが最初だ。 ハドソンの連中が昔はなんでも解析してたのもICEぶっさしてたのも知ってたし、確かファミリーベーシックを書いたのも知ってたし、だいたいどんな風に参入したのかの話も聞いたことはあったけれど、そこらへんの知識が自分の中で入り混じって、どこまで正しいか自信がなくて、ちょっと当時のハドソンの中核メンバーにお気楽に聞きはじめたのが最初だ。 いざ調べだすと、当時のPC事情や、実はハドソン東京が格的な開発拠点を持っていたこと、参入の流れが自分が思っていたのとゼンゼン違うことなどなど、いろいろわかって

  • ハドソンがファミコンに参入するまで(1)::Colorful Pieces of Game

    これは1984年に、ハドソンが初のサードパーティとして、ファミコンに参加するときの物語だ。 前のポストで、野沢さんの証言を元にブログを書いたら、いろんな人から細かい情報が集まって、どんな風にハドソンがファミコンに参入したのか、そのプロセスはどういうものだったのかを、ようやくその全貌が正しく明らかになったと考えられるようになったので、再度具体的に書いていきたい。 ところで、この記事は、前の物とかなり激しくかぶるのだけれど、前のものを消すとどのように変化したか? が分かりにくく、かつ前回のに付け加えをするには、あまりに多すぎるので、あえて新しい記事としてアップロードすることにした。 あと今回、何人か名前を出して欲しくないといわれた関係者が現れてしまったので、野沢さんの言葉と一緒に、当時のハドソン関係者と、今のところは伏せておくことにしたい。 …って考えてみたら、野沢さんの名前出していいかどうか

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