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2013年8月8日のブックマーク (12件)

  • 竹葉亭 木挽町本店 [うなぎ] All About

    新橋駅から旧新橋停車場を抜けて10分ほどだろうか、オフィス街の中に有名割烹料亭が集まる一角に、竹葉亭 木挽町店がある。 創業は江戸末期、慶応2年(1866年)京橋付近の刀預かり所を役目とした「留守居茶屋」として創業。1866年といえば、あの寺田屋事件の年だ。その後、明治9年(1876年)留守居茶屋から、鰻蒲焼や酒を出す店と変わったのだそうだ。当時、中国で酒のことを「ササ」と称したことから、屋号は「竹葉亭」と名付けられたようだ。木挽町とは古い町名で現在の銀座8丁目あたりのことだ。 昼前から満席の人気ぶり 座敷席とテーブル席の入口は別、向かって右に、テーブル席の入口があり、こちらのほうは入りやすい雰囲気。外観は高級料亭の雰囲気で、和風でシックな内装。テーブル席の脇にちょっとした荷物が置ける棚が嬉しい。店内は、右手にテーブル席、着物姿の仲居さんが、忙しそうにしている。まだ、昼前だというのに満席

    竹葉亭 木挽町本店 [うなぎ] All About
    ai89
    ai89 2013/08/08
    養殖/日本産?
  • 駒形前川 [うなぎ] All About

    ai89
    ai89 2013/08/08
    養殖だが日本産
  • 明神下 神田川本店 [うなぎ] All About

    商業ビル群のなかに「御蒲焼」と書かれた木製看板と、なんとも風情を感じる建物が現れる。創業は江戸末期、文化2年(1805年)明神下 神田川だ。 文化年間というと、文化5年(1808年)間宮林蔵が樺太を探検し、間宮海峡を発見した時代だ。嘉永5年(1852年)の当時のグルメ誌「江戸前大蒲焼番付表」によると、西前頭13枚目に登場する人気店だったようだ。 履物を預け、使いこまれた木製の廊下を通り、二重の襖を開け、松の間に案内される。2人用テーブル3卓と中庭が見渡せる、カウンター席2席。ガラス窓の木の質感、赤茶系で統一されたテーブルとレトロなライティングは温かみを感じる癒しの空間だ。 中庭を眺めながら待つ。 うな重のグレードで鰻の大きさと重箱の大きさが違うとのこと。仲居さんに人気のべ方を聞いてみた。男性は大きなお重を好んで召し上がりますとのこと。また、お酒と白焼き肝焼きなど、いろいろ楽しむ方も多いの

    明神下 神田川本店 [うなぎ] All About
  • ジャズを聴きながらひね子をいただく老舗「はし本」 [うなぎ] All About

    ジャズを聴きながらひね子をいただく老舗「はし」創業は天保6年(1835年)の、うなぎはし。創業当時から変わらぬ場所で営業しており、大ぶりなうなぎのやや歯ごたえを感じる柔らかい蒲焼。うなぎの向う骨という、骨の周りの肉を集めて串にしたものもめずらしい。 創業天保6年(1835年)江戸川橋はし 神田川の中流部、早稲田付近から飯田橋周辺の川を、かつては江戸川と呼んだそうだ。その名残が駅名に残る、地下鉄有楽町線江戸川橋駅。江戸川橋駅から歩いて5分ほどのところに神田川にかかる石切橋がある。寛文年間の架橋といわれる古くからある橋なのだそうだ。その橋のたもとに、創業は天保6年(1835年)の『はし』がある。現在でも創業当時から変わらぬ場所で営業しており、老舗でございますといった感じではなく、控え目な一軒屋だが、暖簾にはしっかり創業天保六年とある。 メニューはシンプル、気になる向う骨の串焼き 引き戸

    ジャズを聴きながらひね子をいただく老舗「はし本」 [うなぎ] All About
  • ひょうたん屋 6丁目店(銀座・新橋) [うなぎ] All About

    白焼きで一杯。プリッとした身は肉厚でボリュームあり。ビールにも日酒にも洋酒にも合いそうだ。わさび醤油でいただく。 カウンターの目の前で、つけ焼きと格闘する大将を前にビールの小瓶を手酌する。仕事をしている人が未だ多い時間に申し訳ない気もするが、なんとも贅沢な気分になる。 お通し(1000円)には茄子の素揚げ。カウンターの隅では常連さんだろうか、女性が焼酎マイボトルで一人飲み。粋だなあ。 お酒がすすむ、釜炊きおこげ飯の鰻重 鰻重は松をお願いする。待つこと15分。やや厚めの身は、地焼きならではのプリッとした身。鰻的なコクを感じられる身だ。 この量でこのお値段なら満足だ。タレはやや甘目の控えめタイプ。ご飯は少なめで、加減も丁度よい。ごはんは釜で炊いているようで一部おこげが入っていた。このおこげ飯と鰻とタレが美味い。吸い物はつくが肝は入っていない。 カウンターの雰囲気から、調子にのって、日酒も追

    ひょうたん屋 6丁目店(銀座・新橋) [うなぎ] All About
  • 築地本願寺近く、宮川の総本山「つきじ宮川本廛」 [うなぎ] All About

    築地願寺近く、宮川の総山「つきじ宮川廛」築地三丁目の交差点を曲がった先あたりから、うなぎを焼く香ばしい香りが周囲に漂う。創業は明治26年(1893年)、首都圏の宮川の総山として現在も続くうなぎの老舗「つきじ宮川廛(みやがわほんてん)」だ。 江戸時代からの深川宮川の暖簾分け「つきじ宮川廛」 地下鉄日比谷線築地駅から、築地願寺に背を向け銀座方面に歩く。築地三丁目の交差点を曲がった先あたりから、うなぎを焼くこうばしい香りが、周囲に広がっている。この匂いに誘われるのだ。 創業は明治26年(1893年)、深川のうなぎ専門店「宮川」で修業をした初代店主が、深川宮川の廃業を受けて築地橋東詰めにうなぎ屋を開業したのが、この「つきじ宮川廛(みやがわほんてん)」なのだそうだ。 その後、暖簾分けがすすみ、戦後つきじ宮川のれん会が発足、首都圏の宮川の総山として現在も続く老舗だ。ちなみに、四代続い

    築地本願寺近く、宮川の総本山「つきじ宮川本廛」 [うなぎ] All About
  • 五代目 野田岩 麻布飯倉本店 [うなぎ] All About

    うな丼は2,300円から、うな重は菊、梅、萩、山吹、桂とあり2,800円からいただける。他には志ら焼、中入れ丼、柳川、鰻とふかのひれ入り茶碗蒸などと、各種鰻を楽しむためのコース料理もある。うな重梅3,200円をお願いする。 先に漬物と肝吸い、おろし大根が登場。そして待つこと10分、うな重登場。身も皮も柔らかく、身の厚さは普通ながら、タレはコクを感じる甘辛あっさりめで、上品なうな重。 こちらの山椒は飛騨山椒を使用しているとのこと、ピリッとしたスパイシーな感じが特徴なのだそうだ。ほうじ茶のお代わりをいただきながら、仲居さんにちょっとお話を伺ってみた。 建物、内装、装飾品など、すべて五代目店主のこだわりとのこと。建物は飛騨の合掌造りを職人さんの手で移築、天井の太い黒光りした梁が特徴的だ。真っ赤な壁面は、フランスの画家が描いた美術品なのだそうだ、さらに、照明の傘は、京都の骨董屋で五代目店主自らが探

    五代目 野田岩 麻布飯倉本店 [うなぎ] All About
  • 都心の静かなお座敷でいただくうな重、江戸川 石ばし [うなぎ] All About

    都心の静かなお座敷でいただくうな重、江戸川 石ばしかつて神田川の中流域である早稲田から飯田橋付近を江戸川と呼ばれていたそうだ。創業は1910年(明治43年)の江戸川石ばし。戦前は中之橋のたもとに店があったが、東京大空襲により一帯焼け野原となり、戦後現在の場所に移築。建物には戦前の材料を使い、空襲にも耐え今も残る玄関の煉瓦塀は、今では石ばしの顔にもなっている。 空襲にも耐え、今に残る玄関の煉瓦塀 地下鉄江戸川橋駅にて下車、地上に出ると神田川がある。江戸時代には神田上水として利用され、1970年頃までは神田川の中流域である早稲田から飯田橋付近を江戸川と呼んでいたそうだ。この駅名もその名残だ。このあたりは、神田川を隔てて新宿区と文京区の境目で、町名も”水道”と”水道町”に分かれていて、水に関係する土地であることを想像する。駅から神田川沿いに歩いて5分ほどのところに、創業は1910年(明治43年)

    都心の静かなお座敷でいただくうな重、江戸川 石ばし [うなぎ] All About
  • 徳川二の丸御用商として創業、ての字西新橋本丸 [うなぎ] All About

    徳川二の丸御用商として創業 創業は1827年(文政10年)、時の将軍は第11代家斉の頃だ。徳川二の丸御用商として、芝田村町(港区芝二丁目)付近に海老屋鉄五郎が創業した。海老屋が屋号なのだが、親しい同志から「ての字」と呼ばれていたのだそうだ。当時は名前の頭文字をとって「○○字」と呼び合うのが習慣だったようで、鉄五郎さんであるから「ての字」となり現在の会社名となっっているようだ。 お店に近づくとあの香りが 地下鉄の御成門駅を出て東京慈恵医科大方面へ歩く。芝郵便局前の交差点を曲がると、煙が見えてくる。そしてあの香り、病院の隣でこんないい香りさせちゃっていいのかと思ってしまう。煙の奥には大規模な立て場が見える。鰻の卸と加工をしている、鰻問屋直営のお店なのだ。店頭でうなぎ弁当を販売している、その横の階段を上って二階が事どころだ。階段を上がりきったところにレジがあり、レジ前のメニューを見て注文するこ

    徳川二の丸御用商として創業、ての字西新橋本丸 [うなぎ] All About
  • 勝海舟やジョン万次郎も食した、浅草田原町やっ古 [うなぎ] All About

    創業は寛政年間(1789~1800年) 江戸は徳川将軍第十一代家斉の時代、浅草寺の参拝客で賑わう浅草に創業。当時のグルメ誌『江戸買物独案内』(1824年)に「奴鰻」として記されている。また『江戸前大蒲焼番付』(1852年)には、西の前頭筆頭として紹介されている。他にも夏目漱石などの文学にも「奴鰻」登場する老舗うなぎ店だ。 大正レトロな店内で事 浅草駅から雷門通りを雷門方面へ歩く。観光客で賑わう雷門の前を通り、田原町交差点にうなぎ田原町「やっ古」がある。大型の木製看板に「蒲焼やっ古」とあり、店頭にはメニューも出ていて値段を確認することができる。店内に入ると和服姿の女将さんに出迎えられ、おひとり様になのだが、4人用のテーブルに案内された。内装、調度品は大正ロマンの雰囲気。広々とのんびりとした空間だ。女将さんとお客さんのやりとりを聞いていると古くからの常連のお客さんが多いようだ。 人気があると

    勝海舟やジョン万次郎も食した、浅草田原町やっ古 [うなぎ] All About
  • 寛政年間創業の日本橋の老舗 [うなぎ] All About

    寛政年間創業の日橋の老舗昭和通り沿いに、老舗の風格が漂う小豆色の建物。江戸時代創業の麻布の野田岩、浅草のやっ古などと並ぶ老舗だ。暖簾で仕切られた半個室のボックス席でお江戸日橋を楽しむ。 浮世絵が飾られた半個室でいただく 昭和通り沿いに、老舗の風格が漂う小豆色の建物。創業は1800年頃(寛政年間)という麻布の野田岩、浅草のやっ古と並ぶ老舗だ。暖簾をくぐると正面の入り口はお座敷用だ。右手の御事処と書かれた自動ドアを入る。右手一列にボックス席が並び、それぞれのボックス席は暖簾で仕切られている。半個室席の中には、浮世絵などが飾られている。着物を着た店員さんに案内される、鮮やかなブルーの着物が印象的だ。 土曜日限定の3いかだが人気 割烹料理屋らしく季節の料理などがありメニューは豊富、日酒のラインナップも割烹料理店らしい。うな重は、ふみづき2310円より、ながつき、しもづき、やよい5460円

    寛政年間創業の日本橋の老舗 [うなぎ] All About
  • リーズナブルなお値段でいただける老舗 すず金 [うなぎ] All About

    リーズナブルなお値段でいただける老舗 すず金学生街で賑わう早稲田界隈、夏目坂を中心に夏目漱石のゆかりの地としても有名だ。創業は1877年(明治10年)、箸袋の裏に「我輩もかつてした、ここの蒲焼」とあり夏目漱石もしたという蒲焼。けっして高級店ではなく、リーズナブルなお値段でいただける地元に愛される普段づかいのうなぎ屋さんでございます。 夏目漱石もしたという老舗の蒲焼なのでございます 東京メトロ東西線早稲田駅近くのすず金。老舗と言うと古い建物を想像してしまいがちだが、立派な鉄筋5階建てのビルの一階にある。入口を入ると左側ににテーブル席が4卓ほどあり、そのままの間口の広さで奥へと続く細長い店内。モダン和風の店内の奥にカウンター席4席と厨房そしてテーブル席6卓がある。昼時、席はほぼ満席、学生の街なのだが年齢層は高い。木製の椅子には白い綿のカバー、レトロな雰囲気を残す。割箸とお茶が運ばれ、箸袋

    リーズナブルなお値段でいただける老舗 すず金 [うなぎ] All About