(文:清水 克行) 私自身もそうだが、東日本に生まれ育った者ならば、誰しも納豆については、大なり小なり一家言あるのではないだろうか。関西人から納豆はダメだという話を聞くたびに、心のなかで密かにその味覚の狭隘さを哀れむし、たまに外国人で納豆が食べられるという人に出会うと、「なかなかやるじゃないか」と、急に親しみを覚えたりする。 その根底には、あのニオイとネバリの良さが、そう簡単によそ者にわかってたまるか、という思いがある。納豆はクセがあるだけに、他の食べ物と違って、それを好む者同士の連帯感や自尊心をつねに複雑にくすぐるもののようだ。 打ち砕かれる私たちの納豆に対する既成概念 ミャンマーの奥地でアヘン栽培に携わり、西南シルクロードの密林を象で縦断、ソマリアで氏族紛争や海賊の現場を取材するなどして数々の“レジェンド”を築いたノンフィクション作家・高野秀行の最新作『謎のアジア納豆 そして帰ってきた
