【吉本美奈子】東京都千代田区三崎町と猿楽町の住所表示に、かつて冠していた「神田」をつけるかどうか。実は40年以上前に神田を外した歴史がある。10年近く、住民の意見が二分するなか、区は25日、34年ぶりに住居表示審議会を開いた。賛成派、反対派双方から主張を聞く場を設けることなどが決まったが、解決の見通しはついていない。 両町はJR中央線の水道橋駅の南側の地域で、人口は計1663人(11月1日現在)。区内には「神田神保町」や「神田小川町」など神田のついた町名が26残る。 歴史をたどると、明治初期は「三崎町」「猿楽町」という町名だった。1947(昭和22)年、千代田区ができた際、「神田三崎町」「神田猿楽町」に。62年、郵便配達などの効率化を目的に施行された住所表示法を受け、区は64年、「神田冠称の不採用」を決め、67年に神田三崎町は三崎町に、69年に神田猿楽町は猿楽町になり、今に至る。 2004
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