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ブックマーク / orion12.hatenablog.com (381)

  • 視野の狭い人の使いたがる言葉 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人間というのは質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば『想像力』です。 ここでいう『想像力』とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが『想像力』を養う第一歩です。 逆に知ったつもりになればなるほど『想像力』を失っていきます。 全能感ほど無知から遠いモノはないからです。 ここでいう全能感とは何でも知っていると思い込むココロのことです。 「全能感が強い」というのはそれだけ「心の視野が狭い」ということを意味します。 心の視野の狭さとは人間に来備わった危機察知能力によって感じられるはずの感覚が十分感じられなくなった状態のことです。 心の視野が狭くなるほど周りのことなんて見えなくなります。 見えて

    視野の狭い人の使いたがる言葉 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 時代の変化とエネルギーの変化 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    私のヒーリングを受けた方はご存知ですが、ヒーリングをしている時というのは時々ゲホゲホとかいう以外は見た目は基黙って静かな状態になります。 「何やってんだ? このおっさんは~」って感じかもしれません(^_^;) そういう時に何が起きているのかというと簡単にいえばあまり良くないエネルギーが出てきているのです。 あまり良くないエネルギーを線香の煙みたいなモノと捉えてもらえれば分かりやすいのではないでしょうか? 線香の煙がブワッと顔にぶつかった感じと申しましょうか… まあ、いつも必ず咳き込むわけではないです。 また正直「どうして咳き込む時とそうじゃない時があるのか?」その違いについて深く考察したことはありません。 ただ、「咳き込んだら良くないモノが出てきてるだろうな」ということを経験則として持っているのは事実です。 ヒーリングで浄化する相手には生きてる人の想念エネルギーや亡くなられた方々やら物の

    時代の変化とエネルギーの変化 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 波動のレベルが下がればその分人間らしい感受性を失う - 『クリアー整体ヒーリング』です

    波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルが下がれば下がるほど、より波動のレベルの低い人•物•場所に親近感を持ちやすくなります。 「親近感を持つ」ということは、「それらがウエルカムな心の状態になっていく」ということです。 何が怖いってその心の状態になるのが一番怖いわけです。 何故なら、そのことによって他人からすればドン引きするようなモノを自慢して見せるような『鈍感さ』を手に入れてしまうからです。 すなわち、それは波動のレベルの高いモノに対する共感性を失うことを意味しています。 波動の低くなった人が行き着く果てを一言で表すなら「ストーカー的な気質」です。 「ストーカー的気質」になると「相手の気持ちを察す

    波動のレベルが下がればその分人間らしい感受性を失う - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 心のノスタルジー濃度を濃くしすぎない方が生きやすい - 『クリアー整体ヒーリング』です

    とにかく「昔は良かった!」っていう人がいらっしゃいます。 堕落した『現在』と理想郷であった『過去』を対比させるような心の在り方です。 昔の人は立派で純粋で、今の人間は心も身体も堕落してしまったと考えているのかも知れません。 「時代を経るにつれ世界は段々ダメになる」って考えるのは仏教の末法思想やユダヤ・キリスト教の終末思想もそうですし、古今東西よくある考え方なのでしょう。 私からしたら時代が進むほど世の中なり人間なりがダメになるって考えるのは、「現在進行形の『世界』を呪詛してるだけだろう」と感じてしまいます。 当は大して良くもなかった『過去』を持ち上げることで、今ここにある自らの不遇を『世界』のせいにしようとしているだけだとね。 非常時の今の世の中においては、理想郷であった『過去』は『古き良き日』として表現されたりします。 そして、「昔の日は今のような『堕落した道徳なき国』などでは決し

    心のノスタルジー濃度を濃くしすぎない方が生きやすい - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 創造主というモノを設定した人類と眼に見えない大きな存在 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 そのカミサマの所謂一つの正統性だの妥当性だのってモノには関係なくね。 今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。 簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。 じゃあ何故そんな風に神を規定するのか?というと、そもそも見えない『何か』に神という名を付けたのは他ならぬ人間だからです。 「神というのはあれでそれでこれで、こういうモノなんだ!」みたいな概念を造ったのが人間だってことです。 もっと簡単にいえば、何処かの誰かが神さまって呼びたい何かを「これは神さまだよ〜」って呼んでるだけの話です。それ以上でもそれ以下で

    創造主というモノを設定した人類と眼に見えない大きな存在 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 操れる系と「禍福は糾える縄の如し」 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。 、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。 一見繋がって無いようなピースも何処かで何かと繋がって最後は『大きな一つの絵』になるのです。 その大きな一つの絵を人は『運命』と呼ぶのだろうと思います。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。 人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な世界というパズルのささやかなワンピースに過ぎないからです。 もっと言えば古今東西世界で起こった出来事の全ても途轍もなく巨大なジグソーパズルの一欠片として存在しているってことです。 一人の人間の運というのもまた同じジグソ

    操れる系と「禍福は糾える縄の如し」 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • ホンモノの神とニセモノの神 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 そのカミサマの所謂一つの正統性だの妥当性だのってモノには関係なくね。 今回に限らず私がカミサマって言う時は『そういうモノ』のことを想定しているとお考えください。 簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。 じゃあ、「何故そんな風に神を規定するのか?」というと、そもそも見えない『何か』に神という名を付けたのは、他ならぬ人間だからです。 「神というのはあれでそれでこれで、こういうモノなんだ!」みたいな『概念』を造ったのが人間だってことです。 もっと簡単にいえば、何処かの誰かが神さまって呼びたい何かを「これは神さまだよ〜」って呼んでるだけの話です。 その

    ホンモノの神とニセモノの神 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 憑かれやすいココロと偏った心 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    所謂『憑かれる』といってもオカルト系の漫画みたいにド派手な怪奇現象が起こるなんてことはそうそうはありません。 もし起こったとしても随分状況が進行した段階でのことです。 それも誰にでも分かることってのは少ないでしょう… 憑きモノってのは最初はその人の内側からジワジワとゆっくり浸していきます。 浸した部分はその人じゃないモノにアハ体験のように差し替えられていくのです。 アハ体験というのは、差し替えられた部分がご人からは分かりづらくなってるという意味です。 意識して見れば違うのでしょうが、意識しなければ中々違いが分からないでしょう。 差し替えられた部分が大きくなればなるほど周りから見れば明らかにオカシク見えるようになります。 良くない意味で変化が表面にまで現れるってことです。 ただ、幾らオカシクたってその人が自分のオカシイことにピンと来なければそのおかしさに遅かれ早かれ慣れてしまいます。

    憑かれやすいココロと偏った心 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 勘の大切さとココロの鈍感さ - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人間生きてれば笑いもすれば泣きもします。 怒ったりも羨んだりもするものです。 快楽もあれば苦痛もあります。 そうした身体や心に起こる大波小波を日々乗り越え、また乗り越えてゆくのが『人間の日常』なんだと思います。 そういった『人間の日常』に根ざしたありふれた平衡感覚を先ず大切にすることが心がオカシげな方向を向いて突っ走らないようにするための最終的な羅針盤になるのです。 それは例えば「(理由は分からないけど) 何だかこれべたら危ないぞ⁉︎」という所謂『勘』や「(特に何があったわけではないけど) この店何か良くないなぁ(ー ー;)」という感覚のことです。 生きるためにこの世の動物に遍く与えられた危機察知能力と申しましょうか… つまり、勘ってのは選ばれた特別な人だけが持つ特殊能力などではないということです。 それどころかどこにでも誰にでもある、もっと言えば人間以外の生物も持っている生きるためのチ

    勘の大切さとココロの鈍感さ - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 運命は『選択』と『出会い』と『タイミング』によって決まる - 『クリアー整体ヒーリング』です

    人生は絶え間ない『出会い』と『選択』の連続によって成り立っています。 『出会い』と『選択』があれば、そこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。 つまり、運とは、人・モノ・場所との『出会い』とその際における『選択』の数々から生まれるということです。 そうやって生まれたたくさんの『運』が、巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。 一見何とも繋がっていないように見える一つのピースも何処かで何かと繋がって最後は大きなパズルの絵となるのです。 それが『運命の大きな流れ』なんだろうなと思います。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。 人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な世界というパズルのささやかなワンピースに過ぎないからです。 もっと言えば古今東西世界で起こった出来事の全ても『途轍もなく巨大なジグソーパズルの絵』の

    運命は『選択』と『出会い』と『タイミング』によって決まる - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 勘を大切にすることが最後には自分を助ける - 『クリアー整体ヒーリング』です

    波動的な変化を知るためのサインの一つとして『耳鳴り』があります。 いつでもどこでも誰にとってもサインになるとは限りませんけどね。 単に体の不調のサインである場合もありますし。 ただ、何かいつもと違うことが起こり、それに引っかかるモノを感じる時は、何であれ「変化の兆し」として気を付けておいたほうがいいでしょう。 そこんところを「単なる気のせいにして無視してしまうか、それとも少しでも心に留めるようにしておくのか」が運命の分かれ目になるなんてことも十分あり得ることですので。 「単なる気のせいにして無視してしまうか、それとも少しでも心に留めるようにしておくのか」どちらを自分の心のクセにするかで五感の鋭さに差が現れます。 五感の鋭さの差というのは、勘の鋭さの差を生みます。 繰り返しになりますが以上を改めていうと、感覚に引っかかるモノをおざなりにせず、何かあるのかなぁと心の眼を凝らしてみることをクセに

    勘を大切にすることが最後には自分を助ける - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 所謂一つの『ライン』と「人を支配したい」という欲望 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ここでいうところの『ライン』というのは何らかのエネルギーの送受信を可能にするために仕掛けられた隠された装置のようなモノのことです。 例えて言えば蟻の分泌するフェロモンみたいにA地点とB地点を眼に見えない道で結ぶようなモノです。 その眼に見えない道が一度結ばれるとそれを通じて色んなエネルギーがやって来るようになります。 そして、知らず知らずのうちに様々な影響を受けるのです。 この『ライン』というのはこの世界の至る所に当たり前のように仕掛けられています。 実に多種多様なカタチの『ライン』が世の中にはあるのです。 コードのようなモノもあれば、無線LANのようなモノもあれば、盗聴機のようなモノもあります。 もちろん物理的にそんな形をしているわけではないですがね… じゃあ、何故そんなモノ達が仕掛けられているかというとエネルギー的にあちこちをナニカを繋げるためです。 そんで上手いこと繋がったら自分たち

    所謂一つの『ライン』と「人を支配したい」という欲望 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 『ご先祖丸ごと性善説』は不自然で無理がある - 『クリアー整体ヒーリング』です

    以前に「誰かが亡くなったら自分の親族に悪いことをしてやろうと思うでしょうか? 当然、そんな人間などどこにもいないはずです!」みたいな意味の言説について述べたことがあります。 「ご先祖さまは子孫に対して良いことしかするわけないじゃないか!『悪いご先祖』なんて一人もいないんだよ!」って感じのお話です。 で、個人的にそのタイプな考え方を『ご先祖丸ごと性善説』と名付けました。 ただ、ご先祖丸ごと性善説というのは、死後のココロの変質というモノを前提にしないと成り立ちません。 だって、生きている時にみんながみんな、そんなにも善良で思いやりのある人間であったわけはないからです。 今の世の中でも見渡せば「今だけ欲だけ自分だけ」の人間が掃いて捨てるほど生きています。 つまり、ご先祖丸ごと性善説には、死ぬことによって生きている時のその人の生き方や人格が一度完全にリセットされるという考え方が根底にあるのでしょう

    『ご先祖丸ごと性善説』は不自然で無理がある - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 想像力とは人間らしさを測る一つのモノサシである - 『クリアー整体ヒーリング』です

    このブログでは何度も想像力の大切さについて述べてきました。 「想像力こそが人間らしさの根っこにある」ということについてね! ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 逆に何でも知ったつもりになればなるほど想像力は失われます。 一生懸命察したり慮ったりしようとする心(想像力)が正常に働いていれば、他者の痛みや苦しみまた喜びや希望などに対して否応なく敏感になります。 その敏感さこそが『人間らしさ』を生み出す源となるのです。 人間というのは質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですからそれは当たり前です。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。 逆に知ったつもりになればなるほど他者を慮る心は衰えていきます。 慮るチカラが衰えた状態が鈍感ってことです。鈍感というのは言い換えれば心の視野が狭

    想像力とは人間らしさを測る一つのモノサシである - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 百鬼夜行の世界と心を試される時代 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    前回「物の怪が減って、オニが激増している」という話をさせていただきました。 なので、今回改めてオニについて語らせていただこうと思っております。 「人間の想念の塊のようなんですが明らかに普通の想念エネルギーとは毛色が違うモノがこの世には存在する」ということに或る時気付きました。 それは「世の中全部気にくわない! 」とか「人間なんて滅んでしまえ‼」とかいった破壊的或いは破滅的なエネルギーが素になっているようです。 普通のネガティブな想念エネルギーと比べると遥かにドロ~と濃厚で禍々しく黒いイメージのモノです。 邪悪な『まっくろくろすけ』というか暴走モードに突入した『カオナシ』というか… 最初に真っ黒の中に裂けた口と牙が感じられたので個人的にソレをずっと 『オニ』と呼んでいます。 つまり、オニの製造元は人間だってことです。 人こそがオニの揺籃であるとも言えます。 残念ながら自分の中にオニを持ってい

    百鬼夜行の世界と心を試される時代 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • マヤカシの世界とぶっ飛んだお話 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    この世とはある意味マヤカシだらけの世界です。 マヤカシだらけの世界とは裏返して見れば『もっともらしさ』を競う場ということです。 出来のいいマヤカシは八分くらいの『当』の中に二分の大きな『偽り』がさりげなく混ぜ込まれているのです。 そうすれば、その『当』に目が眩んで『偽り』がもっともらしく見えるからです。 これもホント! それもホント! あれもホント! と小さな当を積み上げていって、最後に大きなウソでドーンとぶち込むわけです。 あの手この手で信用させてから、肝心要のウソ話に持っていくのです。 だから、この世のマヤカシにどっぷり浸かりながら、同時に己れの「正しい!」にべろんべろんに酔いしれることだって可能です。 っていうか今の世の中そういう人があちこちに溢れているようにお見受します。 目先の出来事の真贋ばかりにずっと心のピントを合わせていたら遅かれ早かれ心は迷います。 そういうやり方を続

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  • 行きずりの出会いと選択の意志が運命を決める - 『クリアー整体ヒーリング』です

    ヒーリングをしていると様々な波動エネルギーをヒーリングしている相手の方の中に見出します。 人間というのは誰しもそれだけ雑多なエネルギーを抱えているということです。 ただ、その雑多なエネルギーの一つ一つに誰しもが頷くような曰く因縁があるわけではありません。 ここでいう誰しもが頷くような曰く因縁というのは、例えば「先祖から続く怨霊があなたに憑いています!」みたいな話のことです。 それでご人が納得するかどうかはともかくとして「なるほど! だから、憑いたのか!」と感じるような理由のことです。 そういったなるほど感のある曰く因縁がある場合ももちろん中にはありますが、全体的に見れば随分少ないです。 それよりも例えば「病院通いをしていてそこにいる亡くなられた赤の他人を行きずりで連れて帰る」なんてことの方が圧倒的に多いと思います。 要するに個人的な経験から推測するに「世の中の大多数は行きずりのザックリと

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  • 因果のツケと運命の支配者になりたがる人々 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    何らかの現象があるならば必ずそれ相応の原因があります。 逆に言えば結果の無い原因なんて何処にもないということです。 それがここでいうところの『因果応報』です。 なので、因果応報というものはこの世の全てに遍くあります。 ただ、一人の人間の中にスッポリ収まるとは限りません。 また一人の人間の中に収まっても特定の時間の中だけに分かりやすく収まるとは限らないのです。 でも、因果応報って言っても悪いことばかりを指すわけじゃありません。 その人の積み上げてきたことは吉凶禍福どちらにでも転がります。 その人の選び取ってきたことの『報い』としてね。 何が言いたいかというと今まで生きてきた分はどうしたってチャラには出来ないということです。 良い意味でも悪い意味でも『報い』は受けるってことです。 でも、スピリチュアルな人々の中にはそういうシステムを改ざんしたいと思ってる人がいるんだろうなとは感じるのです。 「

    因果のツケと運命の支配者になりたがる人々 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 「人間は死んだら終わり」という迷妄 - 『クリアー整体ヒーリング』です

    「幽霊なんているわけない!何故なら自分は見たことがないからだ!」っていう人の話を以前に書きました。 所謂『幽霊否定派』についてです。 もちろん何を信じようとそれぞれの自由です。 「個人的な思想信条の範囲に収まってる限りは」ね。 ただ、現実にはそういう考え方は弊害をもたらしています。 「幽霊なんているわけない!」って考え方の延長線上には「死んだらお終い」っ 考えが横たわっているからです。 「肉体が無くなれば人間としての存在も跡形も無く無くなってしまう」って考えに行き着くのです。 それって「目に見えるモノ」だけを信じる唯物論の考え方です。 唯物論の考え方を続ければ、人は遅かれ早かれ「やり逃げ上等! ごまかし万歳!」って感じの心の在り方に傾いていくでしょう。 物事の必然としてね! だって、死んだら魂も含めて自分という存在は跡形もなく消えてなるんですよ?(あくまでその人たちのアタマの中ではですが)

    「人間は死んだら終わり」という迷妄 - 『クリアー整体ヒーリング』です
  • 「自分は絶対正しい!」と思いたがる人たち - 『クリアー整体ヒーリング』です

    眼に見えない世界に真摯に向き合えば向き合うほどアマゾンの密林に踏み込んだ生物学者のような気分になるはずです。 『発見』がそこら中に転がっている世界だってことです。 アマゾンとか行けば新種の生物がわんさかいそうですからね。 多分人類の知らない生き物がそこら中に当たり前に居るんだと思います。 我々のいるのはそういう世界だってことです。 そういうっていうのは「人間の無知に基づく新発見が溢れる世界だ」ってことです。 発見がそこら中に転がってるってのを逆にいえば知らないことだらけだってことです。 もっと簡単に言えば生身の人間ってのは一人残らず無知に溢れているということです。 でも、実際はどうかといえば所謂スピリチュアルな世界の人々の多くが「自分は見えない世界の全てを知り尽くしているぜ」って感じを醸し出しています。 簡単にいえば分かったつもり満々な感じです。 自分の意見をハッキリ表明すること自体は悪く

    「自分は絶対正しい!」と思いたがる人たち - 『クリアー整体ヒーリング』です