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ブックマーク / blog.goo.ne.jp/sinanodaimon (5)

  • 原始仏教典中村元選書の「犀の角」を読んでみた話 - 思考の部屋

    最近は哲学における「存在」に熱中していました。せっかくの日曜日、曇り空でしたが市内の近代美術館のバラ園が今見所ですとの話を聞き、さっそく見に行きました。 さまざまな色のバラが、種類の異なるバラが咲き乱れ甘いバラの香りが漂っていました。 自宅に帰り久しぶりに仏教サイトを見ると原始仏教典のスッタニパータの「犀の角のようにただ独り歩め」の話が書かれていました。仏教学者の中村元先生の訳の話について書かれてて、当かなぁという話なので分厚い中村選書の「犀の角のようにただ独り歩め」の35-37番を見てみました。第6章「慈悲」に書かれ次のように解説されていました。 <中村元選集[決定版]第15巻『原始仏教の思想』Ⅰ春秋社> ・・・・このように心が柔和で慈しみ深くなるためには、心の平静をたもっていなければならないのであるが、心の平静をたもつためには、他人との交わりを避け、独りでいなければならぬという主張が

    原始仏教典中村元選書の「犀の角」を読んでみた話 - 思考の部屋
  • V・E・フランクルの『夜と霧』の第三回・態度価値に思うこと - 思考の部屋

    [思考] ブログ村キーワード 昨夜Eテレ100分de名著でV・E・フランクルの『夜と霧』の第三回の再放送がありました。「運命と向き合って生きる」と題して「生きる力を与えてくれる“3つの価値”ある」というフランクルの創造価値、体験価値、態度価値が解説され、姜さんが「ある種のバイブル」と語った「態度価値」が最後に語られました。 昨夜のブログに書きましたが新版『夜と霧』の池田香代子さんの「私はこう読んだ」という言葉に感銘し個人的に態度価値については考えさせられるところが多い概念です。あくまでも個人として・・・・夏目漱石が自己位で苦悩から脱却できたと語っていましたが、・・・・その意味では自己位のフランクルの教えを受けて別の意味理解を受けて私にとっての態度価値観を持たせてくれました。 まえがきが長くなりそうなのでここまでとし、今月の初めごろに「震災遺産」について書きました。その中で3.11東日

    akihiko810
    akihiko810 2013/06/11
    フランクルの『夜と霧』
  • 100de名著ニーチェ『ツァラトゥストラ』3-(1) 永遠回帰 - 思考の部屋

    NHK教育の「100分de名著ニーチェ『ツァラトゥストラ』」も3回目となりました。哲学者の東京医科大学教授西研先生の解説は、ニーチェの世界を知りたいと熱く思う思う人にとっては西先生流のニーチェ論によって西先生の体系で整理でき、素人なりにも自分流のニーチェ論を原文(翻訳ですが)を読み合わせながら構築できるのではないかと思います。 学問としての理解として、または人生観、自己理念として何がしかの道を開いてくれるように思います。 今回のテーマは「永遠回帰とは何か?」です。別の哲学者では「永劫回帰」とも呼ばれています。この言葉と仏教でいう「輪廻転生」が非常に似ていると思う人は私ばかりではないと思います。 ニーチェは仏教について語る場合もあります。19世紀のドイツの哲学者、当時伝えられた仏教をどの程度理解出来たかはわかりませんが、文学博士の湯田豊(ゆだ・ゆたか)先生が10年ほど前に『ブッダVSニーチ

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  • ニーチェの「受動的ニヒリズム」「疲労したニヒリズム」としての仏教 - 思考の部屋

    [思考] ブログ村キーワード ニーチェに再燃というわけでもないのですが、世間に影響され易き身の上、留め置かまし初老魂で一筆啓上したくなるわけです。 ある仏教系サイトに「1881年、ロンドンにパーリ聖典協会が設立されて」という言葉を見て私がすぐに思い出す哲学者がフリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844年10月15日 - 1900年8月25日)な訳なのです。 以前「ブッダVSニーチェ」に言及したことがありますが、ニーチェの思想に「ブッダのことば」(原始仏教典)が大きな影響を与えていることは言及するまでもないことですが、植民地時代にインドを中心としたアジアからもたらされた仏教経典が何であったかは「ロンドンにパーリ聖典協会が設立」でも明らかです。 多くの思想家はこれに飛びつくわけですが、なかでもニーチェは刺激を受けたわけです。 「

  • NHK教育「100分de名著 ニーチェ“ツァラトゥストラ”」2-(2)・”神は死んだ”から”超人” - 思考の部屋

    「NHK教育、100分de名著ニーチェの『ツァラトゥストラ』の2回目「”神は死んだ”から”超人”」の続きです。 西研先生は、『ツァラトゥストラ』の解説の中で貴族的価値評価法を 聖職的な高僧価値評価法(キリスト教徒的)に従うことは、心清く生きることであり、固定的な生き方となってしまう。一方ツァラトゥストラの新しい提示である生の高揚にはさまざまのものがありそれを実験していくのが「よい」とする、評価法と説明されます。さらに、 生きることは実験である、それぞれが高揚を目指して生きて行こうではないか。 ニーチェの主張したいところは、どうやれば自分がパワーアップし、元気が出て喜びを感じてゆくかということで、人様に尽くし天国に連れて行ってもらうことではない。 これが楽しいし、人に何かしてあげてニッコリ笑う顔を見たらうれしいというのが「生の高揚」の生き方。 と語り、現在を正にニヒリズムの世の中と見ています

    NHK教育「100分de名著 ニーチェ“ツァラトゥストラ”」2-(2)・”神は死んだ”から”超人” - 思考の部屋
    akihiko810
    akihiko810 2011/08/25
    現代人に超人は可能か?http://is.gd/yJG8J8
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