〈問い〉 小林多喜二を虐殺した特高たちはどんな裁きをうけたのですか? (埼玉・一読者) 〈答え〉 72年前の1933年2月20日、日本共産党員の作家・小林多喜二が築地警察署で虐殺されました。多喜二と同じ警察署内での虐殺は80人、拷問による獄死が114人、病気による獄死は1503人にのぼります。 これは戦前の法律でも殺人罪等にあたり、現在の法律では「特別公務員暴行陵虐罪」等も加わる重大な犯罪にあたります。しかし、特高の犯罪は、ほとんど何の処置も行われず、謝罪もありません。一方、特高はいったんは公職追放されますが、戦後は大手をふって政官財の各界にほとんどが復活しました。 多喜二虐殺時の主犯格は警視庁特高部長・安倍源基、その配下で、虐殺に直接手を下したのが毛利基特高課長、中川成夫、山県為三両警部らです。 安倍が警視庁特高部長や内務省警保局長だったときは、特高がもっとも残忍性をあらわにした時期で、