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ブックマーク / www2.odn.ne.jp/~cao17240 (1)

  • マリアージュ・フレールとレピシエの不思議な関係

    10パーセントの推測をを裏付ける為に90パーセントは体験談の紹介になります。 少々、長い話なので、時間と気力に余裕のない方は青い文字部分を拾って御覧下さい。なお、コメントはふたつの店に優劣をつけるものではありません。 最初のページに戻る マリアージュ・フレールとレピシエの不思議な関係 左が1995年3月号で休刊(廃刊)になったマリアージュ・フレール・ジュルナルと、お茶のサンプル。 右が同年7月号がVol.1になるレピシエだよりとお茶のサンプルです。 1992年~1995年 マリアージュ・フレール フランス最初のお茶の輸入業者として、フランスのお茶の歴史の中心にあるマリアージュ・フレールが東京、青山に店を開いたのは1990年のことのようですが、欧州の隣国でもなく、紅茶の国と言われる英国でもなく、日が顧客対象になったのは、“茶の湯”の伝統があったからかもしれませんね。 わたしがマリアージュの

    aliaki
    aliaki 2014/02/17
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