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ブックマーク / mattune.hatenadiary.org (12)

  • のんのんびより2話〜錦織博の距離感〜 - まっつねのアニメとか作画とか

    のんのんびよりは1話も、 その「圧縮演出」に心打たれたのですが、 2話はさらに俺好みな錦織演出が! 錦織さんは00年代以後は、 オサレ系バトルモノの仕事ばかりが増えてしまいましたが、 私の中ではやはり、 少女革命ウテナの七実回の人! (参考:http://nextsociety.blog102.fc2.com/blog-entry-2259.html) シュールなメルヘンこそが錦織さんの領だと思うわけです。 その意味では、 都会人のメルヘンとしての田舎を描いている「のんのんびより」は まさに錦織さんにうってつけの題材! しかも錦織さんは コンテが脚から変わって良いと言うと、「監督だからでしょ」と返されますが、僕はコンテマンの時の方が変更する事が多いです。話を変えるのではなくて、状況設定をはっきりつくる事で、その場面のリアクションが変わってきます。 https://twitter.com

    のんのんびより2話〜錦織博の距離感〜 - まっつねのアニメとか作画とか
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    alphabate 2013/10/20
    距離感は意識してなかったなー
  • ステラ女学院10話 凛の正体と判断〜大佐と大尉と少佐の狭間〜 - まっつねのアニメとか作画とか

    ステラ10話を見たときに、強く感じたのが 凛はネオジオンのシャアほどはクズではなかった ということだった。 彼女にはまだ迷いがあるのか、 暴走しているゆらを良い様に使ってマシーンにしてしまおうとまでは思っていない。 その点でいえば、シャアとクエスというよりは、 この二人の関係は「Zガンダム」のクワトロとカミーユの方に近いかもしれない。 つまり、凛はネオジオンのシャアではなく、エゥーゴのクワトロだ、ということだ。 そう考えると気になる台詞がある。 「前回の戦いを踏まえて判断したの、それ以上でもそれ以下でもありません」 なにげない台詞のように見えますが、 この「それ以上でもそれ以下でもありません」という 厳密には日語としておかしい表現。 これはいわば「アニメオタク間の符合」なのです。 そう 「今の私は、クワトロ・バジーナ大尉だ。それ以上でも、それ以下でもない」 このクワトロさんのかっこよさと

    ステラ女学院10話 凛の正体と判断〜大佐と大尉と少佐の狭間〜 - まっつねのアニメとか作画とか
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    alphabate 2013/09/08
    おー腑に落ちる
  • プリズムイリヤを見て感じたこと - まっつねのアニメとか作画とか

    久々の休日! 俺の今期はここからだ! というわけで見たんですよ、プリズムイリヤ これ、思ってた以上にプリティサミーですね というかですよ、考えてみれば、 奈須きのこって00年代の梶島正樹だなって思うわけです。 この二人の共通点として、 裏設定クロスオーバーてんこ盛りの中二病ハーレム世界観 ってのがある。 この男子中学生の妄想みたいなものを爆発させて それをヒット作にするという手腕。 最近だとこれに「とある」の鎌池和馬が連なるんだけど、 彼は実はちょっと違う。 何が違うか。 奈須と梶島のもっとも強固な共通点はその 「年上好き、ロリ無関心」 わざわざ国会ですら問題になるくらい、 「オタク=ロリコン趣味」は実際にマジョリティで そういうキャラが人気になる世の中であることは間違いない。 でも、奈須と梶島はあんまりロリに興味がない。 彼らはオタク向けに絶大な人気を誇ったにも関わらず、である。 天地無

    プリズムイリヤを見て感じたこと - まっつねのアニメとか作画とか
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    alphabate 2013/07/13
    年上ヒロイン作品の外伝でのロリ化って視点は興味深い。なのはもそうかな。魔法「少女」ってフォーマットの関係もありそうだけど
  • あいうらのOPはなぜ蟹なのか - まっつねのアニメとか作画とか

    アバンがないアニメの場合、 その作品にとって、OPは最初に見せる映像ということになる。 それは、その作品がどういう作品であるかとを示す 作品の顔であり、 その作品の「格」を示すものでもあり 非情に重要だ。 そのため、多くのアニメではOP用にスペシャルな演出家や原画マンを呼んだり、 特徴的な歌手・楽曲・詩を用意したりと、 その作品の全てをOPへと凝縮する。 あるいは、そういったことを逆手にとった「OP詐欺」なども存在する。 それもいわば「このアニメはOP詐欺をするようなアニメなんですよ」という宣言であり、 やはり重要だ。 「あいうらのOPがなぜ蟹なのか」 これはあいうらのOPを見た多くの人が疑問に思ったはずだ。 私も最初は分からなかった。 放映初期にそれを分析しようとしたものとして ストレンジャーさんの http://d.hatena.ne.jp/tunderealrovski/201304

    あいうらのOPはなぜ蟹なのか - まっつねのアニメとか作画とか
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    alphabate 2013/06/28
    マジかよ…でもそう考えると全ての辻褄があう…
  • あいうら11話で凄いことやってる - まっつねのアニメとか作画とか

    あいうら11話。 これ! おっと間違えました。 いや、このカットも凄いんだけど、(恐らく小木曽さん) それよりも11話はこのカット! 動いてるんですよ、背景が! 最初、何が起こっているのかわかりませんでしたね。 背景が恐らく3段かそれ以上になっていてそれをそれぞれ動かしているのでしょう。 劇場版ウテナの動く校舎に近いですが、 あれよりも、もっとゆっくりと、しかもパースに合わせて動かしているように見えますね。 技術的には、CGガイド付きのレイアウトで背景を作って、 それをCGガイドに従って撮影で動かしているのかな? 傘もCGですし。 今はCGガイドレイアウト・写真レイアウトも多いですが、 その場合は、そのリアリティに合わせて背景自体も写真風のリアリティが高いものがほとんど。 このあいうら11話の、「絵」としての魅力を残したまま、それをCG的に動かすというのは、 まさに「ギャップ」の発想、で

    あいうら11話で凄いことやってる - まっつねのアニメとか作画とか
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    alphabate 2013/06/20
    この傘のところはホント印象的。あいうら、見どころの密度高くてすごく満足度ある
  • 楽しめないアニメから護身する方法・99%のアニメを楽しむ方法 - まっつねのアニメとか作画とか

    おはぎさんの (アニメを厳しく見ること、厳しく評価することについて ) http://nextsociety.blog102.fc2.com/blog-entry-2186.html にインスパイアされて。 以前はアニメを厳しく見ること、厳しく評価する事が良い見方だと信じていました。 厳しく見れば、評価すれば、良い見方が可能になると思っていました。 そして自分が大好きな作品のレベルに達しない作品はダメだという評価をしていました。 この考えの元、色々な作品を見ては、 「作品Aはダメ。○○な理由で良くない」 「作品Bはダメ。○○な理由で良くない」 と評価を下していきました。 そう、学生時代の頃から数年間は以上のような見方を続けたと思います。 でも、自分なりの厳しい見方をし続ける内に、 自分の中にある変化が起こっていることに気がつきました。 「あれっ。新しく見る作品が無くなってきている…」 「最

    楽しめないアニメから護身する方法・99%のアニメを楽しむ方法 - まっつねのアニメとか作画とか
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    alphabate 2013/05/27
    エミュレート、までいかなくとも、他の人の見方を知ることで楽しみ方が増えた作品は多い気がする
  • あいうらは三度刺す - まっつねのアニメとか作画とか

    毎年のことだけど、この時期は仕事が忙しくて、 記事を書くのが億劫になってしまう。 今期も色々と面白いからもうちょっと書きたいんだけど。 というわけで、「あいうら」 時間のない私にぴったりの優秀な5分アニメ なにが優秀って、あいうらは1に少なくとも3カットは素晴らしいのがある! あいうらの編部分は実質3分だから、 実に1分に1回はグッとくるカットがあるということになる。 この密度は素晴らしい。 1話から見ていこう。 まずはこれ フトモモ!フトモモ!!フトモモ!!!(ヤマカンの妄想ノオト風に) 久々に「脚アニメ」が来たな!という印象 かつては、アニメ様提唱の「3大脚メーター」として 沖浦さん、山内(則康)さん、平松(禎史)さんの3忍が君臨していた。、 (参考:http://www.style.fm/log/01_talk/okiura03.html) 比較的近年であれば、平松さんがエンジェ

    あいうらは三度刺す - まっつねのアニメとか作画とか
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    alphabate 2013/05/18
    脚の描き方、動きのつなげ方、心情と絵の一致って感じなのだろうか
  • アニメ砂場論についての整理 - まっつねのアニメとか作画とか

    ストレンジャーさんが 「「砂場」なんかいらない - いつだって"気"じゃないと気が済まない君へ」 http://d.hatena.ne.jp/tunderealrovski/20130425 という記事を書いていた。 その引用元が、たまごまごさんの 「「砂場」としてのアニメがある、日々の楽しみ。」 http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20130423/1366738022 さらにその引用元が 「革命機ヴァルヴレイヴ」プロデューサーが語る作品誕生・企画の秘密 池谷浩臣(サンライズ)×丸山博雄(MBS) http://animeanime.jp/article/2013/04/11/13652_2.html さて、この元の元の >アニメが好きだったり、メカが好きで見てくれる方々やスタッフ含めてみんなが、 >毎週遊べる砂場みたいなものになれたら幸いですね。 この

    アニメ砂場論についての整理 - まっつねのアニメとか作画とか
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    alphabate 2013/05/16
    砂場発言には業界の人の発言が下敷きになってる可能性あるのか
  • 脚 - まっつねのアニメとか作画とか

    小木曽さんの脚がやっぱり超ヤバイ 5話は小木曽さんの一人原画だったわけだけど、 ファーストカットから度肝を抜かれた 小木曽さんの描く脚の何がヤバイって 膝から下の部分、つまりふくらはぎなんですよ フトモモを頑張って描くというのは、 もうある程度みんなやっている。 なぜかというと、フトモモというのは 「脚フェチ」以外にも「尻フェチ」にも人気があるんですよ。 脚とお尻の境界であるフトモモは同時に、 脚フェチと尻フェチの境界でもあるんです。 だから、菊池愛さんのあいうら6話では こういう感じで、やはり5話に比べると「ふくらはぎ」へのこだわりは薄め。 もちろん、菊池さんのフトモモも、スタジオライブ所属らしい 健康的なエロスが非常に素晴らしい。 これなんかも フトモモ重視ですね。 あるいは、ちょっと目先を変えると ゆゆ式6話のこれとか。 もうちょっと膝から下を頑張ってほしいと脚フェチ的には思いますが

    脚 - まっつねのアニメとか作画とか
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    alphabate 2013/05/16
    あいうらの脚はとても官能的ですね
  • 元作画オタク的に見る、ラブライブ7話のチョップ - まっつねのアニメとか作画とか

    インスパイア元はアルファベータさんの http://d.hatena.ne.jp/alphabate/20130224/1361685037 これ アルファベータさんはこれを寸止めと言ってるわけですが、 作画オタク的にはこれを寸止めと言ってしまうのは ちょっとアニメーターが可哀想かな、と思ってしまう。 ちょっとしたおさらい。 アニメというのは、連続した絵を次々と見せることで 動いているように見せます。 その次々の単位は、 最小でも1秒間に24枚(コマ)。 リミテッドと呼ばれる、いわゆる日のアニメは 3コマ作画として、3コマに一枚の絵を見せている。 つまり、 1秒間に8枚の絵というのが日アニメの基だ。 そして、1秒間に8枚の絵を見せるとしてどんな絵を見せるか。 もっとも良く使わせる手法が 「ポーズトゥポーズ」 ポーズの絵からポーズの絵へと繋いでいく手法。 例として、基に忠実なドキドキ

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    alphabate 2013/02/24
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  • メディアの違いを理解せよ - まっつねのアニメとか作画とか

    「メディアの違いを理解せよ」とは生徒会の一存1期1話の台詞でよくギャグのように使われるが、 この台詞はそんな軽いだけのものではない。 生徒会の一存1期監督の佐藤卓哉さんは、 元々は原画マン出身。 最初はアニメーターとして活躍し、そこから演出・コンテマン、そして監督へ。 さらにそれでは飽き足らずに脚家・シリーズ構成としても活躍している。 こういった例はそんなに多くはない。 宮崎駿さんと吉川惣司さんくらいのものではないだろうか。 つまり、アニメの主要工程を押さえた上での 「メディアの違いを理解せよ」 という言葉なのだ。 ではメディアの違いをどう考えるのか。 それが顕著に現れる部分についての話をしよう。 顕著に現れる部分、 それは「モノローグ」だ。 小説漫画とアニメではこのモノローグの意味合いがまったく違う。 小説漫画というのは時間を支配していない。 1行、1ページあるいは1コマが具体的に

    メディアの違いを理解せよ - まっつねのアニメとか作画とか
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    alphabate 2013/01/07
    モノローグと言えばホワイトアルバムの画面に文字を出すモノローグ(?)が印象的かなぁ。静かさを出しつつ冬弥の気持ちも表現してた面白い手法だったのかも
  • アニメキャラクターのパーソナリティ - まっつねのアニメとか作画とか

    キャラクターというのは実在はしない。 ただ、フィクションの魅力は、命のない形に命が吹き込まれることでもある。 実在はしないが命はある。 まあそこらへんの記号論的なこととかあるいはフィクションとはみたいな 一般論はおいておいて、アニメの話。 キャラクターが「生きている」と感じるためには キャラクターのパーソナリティ・アイデンティティが必要だ。 そしてアニメにおいてそのパーソナリティを支えている二大要素が「声」と「絵」である。 この流れで「絵」の話でいえば、 一人のアニメーターが一人のキャラクターを担当するという いわゆるディズニー方式は理に適っている。 この場合、アニメーターのパーソナリティが即ち担当キャラクターのパーソナリティとなる。 アニメーターの手癖、みたいなものも キャラクターのパーソナリティとして許容しやすいというわけだ。 しかし、日のアニメーションはそういうシステムを取っていな

    アニメキャラクターのパーソナリティ - まっつねのアニメとか作画とか
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    alphabate 2011/06/19
    メモメモ | アニメキャラクターのパーソナリティ
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