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哲学に関するamagasa99のブックマーク (19)

  • トップページ | DISTANCE.media

    DISTANCE.mediaは、人/自然/テクノロジーのつながりを問いなおし、新たな〈距離〉を考えるメディアです。断片的な情報に注意を奪われる〈いま〉から少し離れ、長く、ゆっくり、遠くまで見晴らすための新しい場をめざします。

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  • ぼっちを救うためのストア哲学 - 本しゃぶり

    なぜぼっちは恵まれているのに苦しむのか。 それは心像に負けているからである。 幸福になりたければストア哲学を実践しろ。 暗く狭い場所にて 『ぼっち・ざ・ろっく!』の人気が凄い。 1話の時点からクオリティが高いなと思っていたが、回を増すごとにどんどん人気が高まっている。最近はTwitterを開くたびにファンアートが流れている印象がある。 もちろん俺も楽しんで見ているわけだが、つい思ってしまうことがある。作の主人公、ぼっちこと後藤ひとりに対して、「こいつ、持っているな」と。 『ぼっち・ざ・ろっく!』第1話 感受性。創造力。優れた容姿。生まれの良さ。練習を持続する意志。アリストテレスならば、彼女のことを「外的な善を持ち合わせている」と評するだろう。 だが何よりもぼっちは、卓越した演奏技術、すなわちギタリストの徳(アレテー)を持っている。これほど素晴らしいことがあるだろうか。 しかし当のぼっちは

    ぼっちを救うためのストア哲学 - 本しゃぶり
  • 哲学者は認知科学の論文を読むか?|描写の哲学の場合 - obakeweb

    描写の哲学はかなり学際的な分野だ。異なるバックグラウンドを持つ研究者たちが、画像という同一の主題を、さまざまなアプローチで扱っている。 2021年6月26日㈯に、松永さん(@zmzizm)主催の「描写の哲学研究会」があり、今年度は「描写の哲学と認知科学」がテーマになっている。もう事前申し込みは締め切っているので宣伝としてはいまさらなのだが、会に先立ちこの話題に関して自分が気になっている点を整理しておきたい。 まずはHPに挙げられている「想定される論点」を引用しよう。 描写の哲学の議論は、心理学や神経科学といった認知科学からどう見えているのか。 哲学者は経験的な研究ぬきに特定の前提を置きがちだが、それは適切なのか。 認知科学者と哲学者の関心の違いは(もしあるとすれば)どこにあるのか 描写の哲学で共有されている諸概念は、認知科学にとって何らかの意義を持つのか。 (2021年度 描写の哲学研究会

    哲学者は認知科学の論文を読むか?|描写の哲学の場合 - obakeweb
  • 哲学書を「読む」こと

    この記事では、哲学書(特に西洋哲学書)を「読む」とはどういうことか(解説書を読むのと何が違うのか)、どうすれば哲学書を読めるようになるのかを説明してゆきます。 なお、この記事は、私が昨日書いたキルケゴール『死に至る病』冒頭を読解するを元に書いています。これは、キルケゴール『死に至る病』という有名かつ難解な哲学書の冒頭を、解説でなく「読解」しようと試みたものです。ご興味のある方はどうぞ。 哲学書の読解を書いた理由は、哲学者の思想を解説するサイトはあっても、哲学書の文章を読解するサイトがほとんどないから。そして、哲学書の解説を聞いたところで、実際に哲学書が読めなければ何の意味もないと考えるからです。 哲学書を読んだことのある方は、そこに書いてある文章がいかに意味不明であり、理解困難であるかご存じでしょう。哲学などまるで知らない方はいうに及ばず、哲学史に関する知識を多少持っている人であっても、哲

    哲学書を「読む」こと
  • 必読書コピペにマジレスしてみる・哲学編

    文学編→anond:20210222080124 追補編→anond:20210218080224 プラトン『饗宴』おっさんが飲み会で真実の愛について延々語るだけなので、哲学書の入門編にいいんじゃないかな。楽しそうにしてるおっさんはいいぞ。 アリストテレス『詩学』どうしてフィクションで人は感動するかについて述べたの走りで、後半は散逸しているんだけど、カタルシスについてはなるほどなあ、とは思った。作家になりたいんだったら普通にハリウッドの三幕構成のを買ったほうがいいかもしれないが、この読書リストを読んでいる人は実用的な知識よりも読んでいて楽しいかどうかを求めている気もする。 アウグスティヌス『告白』読もうと思ったまま長い時間が過ぎてしまったで、まだ読めてない。アウグスティヌスが若いころややりたい放題やっていた時期のことも書いてあるらしいので、宗教書として以外にも楽しめるんじゃないだ

    必読書コピペにマジレスしてみる・哲学編
  • 「ロボットにロボットを作らせてはならない」ただ1つの理由(更科 功)

    大学の数学 私は大学を卒業してから民間企業に入り、そこを退社してから大学に戻って大学院に入った。生物学(というか古生物学)を始めたのは大学院に入ってからで、最初に大学に入ったときは、4年生まで数学の授業がある学科にいた。 私は真面目な学生ではなかったし、もともと才能もなかったので、偉そうなことは言えないけれど、大学の数学は高校までの数学とは大きく違う。授業の多くの時間は、定理の証明に費やされる。問題を解いたり計算をしたりすることはほとんどない。というか、少なくとも私に関するかぎり、大学の数学の時間に計算をした記憶はまったくない(とはいえ最近の大学の教科書には、計算問題も載っているみたいです)。 半分冗談かもしれないが、ある友人がこんなことを言っていた。「大学の生物は化学みたいで、化学は物理みたいで、物理は数学みたいで、数学は何をしているんだかわからない」 大学の生物は化学みたいで、化学は物

    「ロボットにロボットを作らせてはならない」ただ1つの理由(更科 功)
  • なぜ何もないのではなく、何かがあるのか - Wikipedia

    「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか?」(なぜなにもないのではなく、なにかがあるのか、英: Why is there something rather than nothing?)[注釈 1]は、哲学の一分野である形而上学の領域で議論される有名な問題の一つ。神学や宗教哲学、また宇宙論の領域などでも議論される。なぜ「無」ではなく、「何かが存在する」のか、その理由、根拠を問う問題。別の形として、 「なぜ宇宙(または世界)があるのか?(Why is there a universe(world)?)」 「なぜ無ではないのか?(Why not nothing?)」 「なぜそもそも何かが存在するのか?(Why there is anything at all?)」 などと問われる場合もある[注釈 2]。 物事の根拠を「なぜ」と繰り返し問い続けることでやがて現れる問いであることから「究極のなぜの問

    なぜ何もないのではなく、何かがあるのか - Wikipedia
  • 人は人と出会うべきなのか|斎藤環(精神科医)

    「というのも、各々は直接的に他者のうちに自分を知るからであり…しかもそれによって、各々が、他者もまた同じように彼の他者の内に自分を知るのだ」(ヘーゲル『イェーナ体系構想』法政大学出版局) 「臨場性」はなぜ必要か コロナ禍の中で、心から消滅して欲しいと思ったのは「ハンコ」である。 大学が入構自粛になっているのに、ハンコを押すためだけに出勤することの徒労感。そういえばうちの大学では、会議からはほぼ完全に紙資料が駆逐されて、タブレットで会議資料を閲覧することになりはしたけれど、「ワープロで作成しプリントアウトした紙資料に押印したものをスキャンしてPDF化」という純和風デジタイズが横行しており、電子署名などまだまだ imagine the future の彼方——内輪ネタですみません——というありさまだ。というか、そもそも現政権におかれましてはIT担当大臣が日はんこ議連議長を兼任、という漫画のよ

    人は人と出会うべきなのか|斎藤環(精神科医)
  • 哲学者は物理学者の本気の拳をどう受け止めるか…谷村省吾「一物理学者が観た哲学」を読んで|R. Maruyama

    こんなものが読めるとは思っていなかった。驚き、悲しみ、何度も頭に血がのぼった。そして、著者の気度に慄いた。 物理学者の谷村省吾先生(以下、谷村氏)による、『〈現在〉という謎』への「補足ノート」が公開された。書の発行時から、公開が予告されていた文章だ。 谷村省吾「一物理学者が観た哲学」(pdf) http://www.phys.cs.is.nagoya-u.ac.jp/~tanimura/time/note.html 書籍『〈現在〉という謎』に関しては、感想をブログに書いた: 同書で谷村氏と分析哲学者たちの応酬を読んだ私は、当初は谷村氏が「挑発者」の役を演じているのではないかと思った。裏ではお互いわかり合っていながらも、を面白くするために、敢えて対立点を強調したのではないかと。そうであってほしいとも思っていた。 しかし、違った。気だった。谷村氏は、物理学者としてのインテグリティを賭し

    哲学者は物理学者の本気の拳をどう受け止めるか…谷村省吾「一物理学者が観た哲学」を読んで|R. Maruyama
  • まちょっと、本のこととか - finalventの日記

    ネタ元⇒ネットに時間を使いすぎると人生が破壊される。人生を根底から豊かで納得のいくものにしてくれる良書25冊を紹介 - 分裂勘違い君劇場 儀礼上ネタのほうはアフィらないことにしときます。 1 人間性の心理学―モチベーションとパーソナリティ 分裂君がA.H.マズロー好きなのはわかるので、まあ、かな。たしか、松永さんも好きだったかな。私は、正直に言うと、マズローは偽科学だと思っているのでなんとも。ただ、それをいうならユングやフロイトもそうだけど。じゃ、どっちもどっちかというと、以下略な感じ。 2 道徳の系譜 (岩波文庫) これは普通に読まなくていいんじゃないかな。日の伝統とは違うし。 3 ツァラトゥストラ (中公文庫) 私もこのヴァージョン持ってます。が、あまりお勧めしない。西尾幹二もそうだけど、みなさん、ツァラトゥストラを警句的に読み過ぎ。物語の構造がわからないと全体で何を言っているのか

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  • タイラー・コーエン 「『経済学と哲学』という名の講義を受け持つことになったとしたら・・・」(2004年5月5日)

    ●Tyler Cowen, “Economics and Philosophy reading list”(Marginal Revolution, May 5, 2004) 「経済学と哲学」と名付けられた講義を受け持つことになったとしたら、どんな文献をリーディングリスト(課題図書一覧)に加えたらいいだろうか? ブラッド・デロング(Brad DeLong)がこちらのエントリーでその腹案を開陳している。私なら、デレク・パーフィット(Derek Parfit)の『Reasons and Persons』(邦訳『理由と人格』)もリストに入れることだろう。ジャン=ジャック・ルソーの著作も追加するかもしれない。 ルソーは、『人間不平等起源論』の中で、「富」(wealth)と「厚生」(welfare)を同一視することに疑問を呈していて、市場社会は皆をして「承認欲求の罠」に追いやる――誰もが「他者からの

    タイラー・コーエン 「『経済学と哲学』という名の講義を受け持つことになったとしたら・・・」(2004年5月5日)
  • 現代認識論のひとつの紹介 - mercbeinpのブログ

    (公開後、2018/3/25に日語文献を中心に何か所か加筆しました。) この記事は、学部後半から修士2年の現在に至るまで分析哲学における認識論を勉強/研究してきた私の視点と関心から、私が読んできた文献を紹介してみることによって、現代の認識論を紹介してみようというものです。私はこの四月で大学および研究から離れるので、これから認識論を勉強しようという方の参考になれば良いなと思っています。 私が読んできたものを軸に紹介しているため、認識論の紹介としての偏りは当然あります。また、感想を述べている箇所が多いです。文献情報が不正確な箇所が多いかもしれません。挙げている文献のうち「(未読)」と書いてあるものは未読ですが、それ以外は少なくとも流し読みくらいはしました。 記事が長くなったので、全体の内容を概観しておきます。1.1.では入門書・教科書についてコメントしています。1.2.では入門から少し進んだ

    現代認識論のひとつの紹介 - mercbeinpのブログ
  • 有害無罪玩具

    前の話 トップに戻る 次の話 単行「有害無罪玩具」のお知らせ [2019年2月12日発売] 詳細はこちら ↓最初の方だけ読めます↓ 1.しゃぼん玉(および入館) 2.メガネ 続きは、単行「有害無罪玩具」に収録されています。 【2019年2月12日発売】 【amazonへのリンクはこちら。】 前の話 トップに戻る 次の話

  • 編集部に聞いた!岩波文庫、角川ソフィア文庫、講談社学術文庫、累計売上トップ10!

    編集部に聞いた!岩波文庫、角川ソフィア文庫、講談社学術文庫、累計売上トップ10!
  • Amazon.co.jp: 哲学の使い方 (岩波新書): 鷲田清一: 本

  • Amazon.co.jp: 「魂」に対する態度: 永井均: 本

    Amazon.co.jp: 「魂」に対する態度: 永井均: 本
  • オンライン英会話のおすすめ比較ランキング【安くて効果的な英語学習】 - クラシックス

    幼児高等教育が子供の成長に効果があると報道されています。音楽を聞かせたり、脳を活性化させるトレーニングを取り入れるなど、様々なものが取り上げられています。子どもが生まれたうれしさから、とても熱心に研究している親たちもいます。この現象は今に始まったことではなく、数十年前から提唱している評論家もいます。 確かに、それによって才能が開花し後に成功を収める人もたくさんいます。特に芸術の世界では、幼い時期に様々な経験をすることが良いといわれています。しかしながら、すべての子供に当てはまるわけではありません。全ての人が成功するのであれば、すべての親たちが幼児教育に取り組むことでしょう。子供の感性は幼児期に形成する、これは当でしょう。環境が人を育てるのも当でしょう。 大切なのは子供の成長を妨げないことです。才能を伸ばすことより、特別な能力を見つけてあげることより、子供の成長を邪魔しないことこそが重要

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  • 気鋭の哲学者・千葉雅也の東大講義録 #1「勉強とは何か」 | 文春オンライン

    『勉強の哲学 来たるべきバカのために』の発売から3か月あまり。現在5刷4万5000部と版を重ね、「東大・京大で一番読まれている」にもなった。5月25日には、東大の駒場キャンパスにて、著者の千葉雅也さんによる「勉強の哲学」講演会が開催。かつての学びの地である駒場にて、『勉強の哲学』のポイントを紹介しつつ、教養教育の意義が語られた。その一部を掲載する。 ◆ なぜ勉強を語るのか 『勉強の哲学』では、勉強に対する心構えや僕なりの勉強の原理論、読書によって考えを広げるための実践的な方法まで、大学に入ってからの勉強、そして研究につながる話を展開しました。駒場生の皆さんや、大学1、2年生の皆さんにぜひ読んでほしいです。このが生まれる背景には、僕自身の駒場での学びの体験があります。そこには、自己変革をともなう、深くてヤバい学びがあった。今日は、大学生活を振り返りながら、今の時代に勉強することの意義に

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  • 哲学の勉強の仕方。その1。 - On bullshit

    目次 ●哲学を学ぶのが難しいワケ ①言語の問題 ②文章の問題 ③基準の問題 ●日語の哲学が難しくなった背景 ●①②③に対する返答 ●まずは哲学史を ●最後に ●哲学を学ぶのが難しいワケ なんだこれ……?となるのが日語で学ぶ哲学ですよね。 ①言語の問題。 知らずに突っ込むとト・アペイロンとかア・プリオリとかが説明なしでズバズバ出てくる。 ②文章の問題。 日語なのに一体何を言っているのかわからない。一回読んでもわからないアレ。 ③基準の問題。 哲学史として理解するのか、世界史として理解するのかで表現は変わってくる。あるいは時代、主要な論争テーマといった切り口がある。 その理解がなく、哲学者あるいは哲学思想に対して断片的にそのまま読み進めてしまう。 ●日語の哲学が難しくなった背景 ・かつて日の哲学は海外の言葉をそのまま使いこなすことがカッコいいという風潮があったらしく、そのまま言葉が流

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