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  • 人と機械との関係 - レジデント初期研修用資料

    舞台になるのは、無人操縦ができる程度の判断力を備えた車が走れる近未来。映画「ターミネーター」のスカイネットみたいに、意志を持ったPCがネットワーク越しに様々な制御を行っている設定。 動機はなんでもいいと思う。「環境にとって人間が邪魔だった」でもいいし、人間の認識を超えた電子知性の考えることは分からないから、単に「それが面白そうだった」からでもいい。いずれにしても物語の常で、人間に使えていた電子知性は、ある日人類の殲滅を決意する。 敵は弱くてもかまわない 人類を滅ぼす意志を持ったPCがどこかに生まれたとして、ハリウッド映画みたいに強力な兵器を開発する必要は、電子知性の側には発生しない。機械は壊れても直せばいいし、壊れたってかまわないのなら、いっそ最初からボロボロの機械を集めてきて、武器に改造すればいい。人類は、弱い兵器を簡単に壊せるけれど、人間は壊れても替えがない。「壊れても作ればいくらでも

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    amashio 2014/01/01
  • 対等な関係は難しい - レジデント初期研修用資料

    白い巨塔という医学小説は、主人公たる財前は悪役として、財前を告発した患者さん家族の味方となった里見は正義として描かれるけれど、あの物語において、財前はむしろ被害者であって、当の悪役は里見なのではないかと思う。 対等と正義は相性が悪い 物語の序盤、財前は、手術した患者さんの肺転移を見逃す。まわりはそれに気がつきつつ、誰もそれを財前に進言できないままに状態は悪化する。里見もまた、財前に「これは肺転移だ」と進言したはずだけれど、結局生検は行われることなく、患者さんは亡くなってしまう。 患者さんの経過において、もちろん責任者は主治医であった財前なのだけれど、肺転移した胃癌に対して、昭和40年代の医療でできることはほとんど無かっただろうから、患者さんは結局亡くなってしまうであろうとはいえ、訴訟を回避できた可能性は無数にあって、「正義の人」である里見があの場所にいたことが、そうした可能性を閉ざしてし

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    amashio 2014/01/01
  • 陰謀論と理解 - レジデント初期研修用資料

    子供の頃、テレビ漫画で描写される政治家の姿はといえば、「馬鹿」であったり「無能」であったり「金の亡者」であったり、いずれにしてもろくなイメージではなかったような気がする。何もできない子供だったくせに、政治家をどこか「見下して」いたものだから、ニュースで何が報じられても「そんなもんだ」とばかりに、そもそも政治報道に興味が持てなかった。 最近のニュース、特にネットのそれは、ずいぶんと政治報道が増えた。政治家のありとあらゆる振る舞いが報じられては、「あれは○○国を利する陰謀だ」とか、けっこう若い人が盛り上がってる。昔はネットがなかったものだから、そもそも体験の比較に意味がないのだけれど、「若い人たちが政治の話をしている」この状況そのものが、個人的には世の中がずいぶん変わったな、という感覚につながっている。 見下すことの意味 「相手を見下す」のは悪いことだけれど、肯定的な効果もあるのではないかと

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    amashio 2014/01/01
  • 顔の見える距離について - レジデント初期研修用資料

    外に対してある程度閉じた、小さな町で仕事をしていると、どうしても知った顔が多くなる。病院に来る人は、主治医に自分の情報を預けているわけで、病院の外で患者さんと出会ってしまうと、お互いどこか居心地が悪くなってしまう。 その町の屋さんが外来に来ると、もうその屋さんには行きづらくなる。床屋さんに行き会うと、もうその床屋さんにはいけなくなる。飲み屋さんを主治医として受け持ったとして、たとえば飲みに行った先にその人がいて、不相応なサービスもらってしまうと、もうそのお店には行けなくなって、外来で「最近来ないね?」なんて水を向けられても、「いや、忙しくて」なんて、やっぱりどこか居心地が悪い。 病院の外に知った顔が増えていくほどに、そこでできることが限られてくる。お互いの顔や名前がしっかりと見える距離感と、顔見知りであってもある程度匿名的に振る舞える距離感と、ある程度自由にやれる生活を回していくために

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    amashio 2014/01/01
  • 丈夫なシステムについて - レジデント初期研修用資料

    大学病院に入局した昔、田舎の電源事情は妙に悪くて、停電は日常だった。雷が落ちると病棟の電気が消えて、エレベーターに看護師さんが閉じ込められたり、大学のインフラは案外貧弱だったのだけれど、業務はあまり止まらなかった。非常用発電機の音を聞きながら、暗い病棟に殴り書きの伝票を持った研修医が走り回って、走らされるほうも、受け取るほうも、いい加減なシステムを回すのはきっと大変だったのだろうけれど。 きっちりやると脆くなる 震災直後の停電で、近隣の基幹病院は、病院の機能全てがダウンした。 電子カルテや画像診断装置が動かなくなるのはもちろん、薬剤を処方しようにもオーダーは出せないし、記録を残そうにもPCが動かない。救急外来の機能は止まって、救急車を受けることはもちろんできなくなって、調理室が上の階にあったから、入院患者さんに事を配膳するのも大変だったのだと。 新しい施設は電子化が行き届いていて、動線は

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    amashio 2014/01/01
  • 聞く仕事のこと - レジデント初期研修用資料

    ホームセンターにドリルを買いに来る人は、当はドリルが欲しいのではなくて、「穴」がほしい。穴をあけるのにドリルは必要ないかもしれないし、棚を作ったり椅子を作ったり、穴を使って達成したい何かには、もしかしたらそもそも、穴なんて必要ないかもしれない。 ドリルを買いに来た人に、性能のいいドリルを勧める店員さんは、「お客さんが当に欲しかったもの」を提供できていない可能性があって、ドリルに詳しくなることとは、もしかしたら「いい店員になること」を遠ざける。 ネットには無数の情報があって、無数の読者がいて、記事を読んでは、またそれを話題に盛り上がる。じゃあネットで記事を熱心に読む人たちが、当のところ何がほしかったのかといえば、ドリルの理論を延長すると、情報それ自体ではなくて、むしろ「聞いてくれる人」なのではないか、という妄想に到達する。 多くの人はたぶん、誰かに聞いてほしいから、何かの話題を作りたい

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    amashio 2014/01/01
  • 講習会覚え書き - レジデント初期研修用資料

    最近参加した、某講習会での感想。新しいことを教えてくれる講習会というよりも、ある程度知っていたことを整理して、ひとかたまりの知識として提供してくれるようなものだった。有償。 スライド棒読みはそこそこ満足できる 研究発表よりも資格講座に近い講習会だったから、スライドは教科書の抜粋で、その分野の参考書も、講習会で使われたパワーポイントも、ハンドアウトとしてあらかじめもらうことができた。その結果として、講習会は「パワーポイントの朗読」に近い形式になってしまうことになったけれど、それでも案外、「何かを聞いた」という満足感が得られた スティーブジョブズのプレゼンテーションは、あれは全く新しい何かを予告無しに紹介するという、プレゼンテーションとしてはむしろ特殊な状況であって、講習会みたいな場所で、ジョブズと同じことをやろうものなら、たぶんメモ取りが追いつかなくなる。プレゼンテーションの話者が場を上手に

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    amashio 2014/01/01
  • 間違った「論」には意味がある - レジデント初期研修用資料

    勉強は大切だけれど、正しい知識だけを積むのは危ない。 武道を学ぶ際には、受け身の学習が欠かせない。正しい知識を学ぶときにも、正しくない知識の受け止めかたを知らないと、学ぶほどに大けがをする可能性が増えていく。 正しいことと説得できること 正しい知識を積んだ専門家が、ある日いきなり新興宗教に目覚めたりすることがある。そういう人は、学んだ経験こそ莫大だけれど、説得された経験を積んでこなかったのだろうと思う。 それが正しいことと、それが誰かを説得する力を持っていることとは、しばしばなんの関係もない。間違った知識に基づいた論理にたくさんの人が説得されることは珍しくないし、正しい知識を持っていることは、そうした説得から身を守るのに必ずしも役立たない。 正しい知識や、あるいは「努力」を積み重ねてきた人が、説得可能性が高い何かに初めて触れるときが危ない。こういう人は、積んできたものが大きくて、説得される

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    amashio 2014/01/01
  • 熱心な人は恐ろしい - レジデント初期研修用資料

    それが敵であっても味方であっても、正義や熱意で動く人というのは恐ろしい。 損得勘定で動く人なら、立ち位置が異なっても会話はできるし、お互いの行動はある程度読めるけれど、正義や熱意で動く人はまず真っ先に損得勘定を除外するから、何が出てくるのか分からない。 有能な敵は頼りになる 「有能な敵」は、状況によっては味方よりも頼りになる。「無能な味方」は、もしかしたら真っ先に背中を刺しに来る。 嗄幼くてはいけない相手だからこそ、抜け目のない敵は相手をよく観察している。観察した相手だからこそ話は通じて、立場は異なっても、ゆがみのない会話ができる。味方を自認する人は、味方であることにしばしば安住してしまう。観察を怠った人は、「あいつならたぶんこうだろう」という予測が外れると怒り出す。味方であったはずなのに。 当直時間帯における頼るべき「有能な敵」は、「見逃すと翌朝までに患者さんが亡くなりうる疾患」のリスト

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    amashio 2014/01/01
  • 「普通」の標準偏差 - レジデント初期研修用資料

    「守り」のことを考えた際には、デモ行進や不買運動といった集団活動と、サービス業における接遇対応とは、注意すべきポイントが似かよってくる。 印象は裾野が決める デモ行進のようなアピール活動を、「普通に」行うことはとても難しい。訴えたい何かがそこまで極端なものでなくても、集まった人の大半が、無難なやりかたをしていても、報道されたり、写真に撮られたりするのは一番過激な誰かであって、集団の訴えとして取り上げられる声もまた、一番極端な誰かが全体の印象を決定してしまう。 正規分布の中央部分に相当する人たちがどれだけの高みを目指しても、印象は裾野を受け持つ誰かが決める。デモの意志に反対したい人も、それを面白おかしく取り上げたい人も、注目は裾野に集中する。大多数が受け持つ「平均」を見てもらおうと、裾野にいる誰かを、「裾野である」ことを理由に切断すれば、今度は集まりの大義が失われてしまう。 正義の旗印で人を

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    amashio 2014/01/01
  • 「できない」がチームを作る - レジデント初期研修用資料

    チームを作って何かするときに大切なのは、「できない」ことの把握なのだと思う。誰もがたぶん、何らかの「できる」を持ち寄ってチームを作る。「できる」はもちろん大切だけれど、お互いの「できない」を共有することで、個人の集まりははじめて、チームとしての機能を獲得できる。 神経内科は怖かった 今いる施設にはいろんな患者さんが紹介されて、自分の手に負える患者さんもいるけれど、もちろんそうでない患者さんも多い。特に神経内科方面の症状を訴える患者さんが紹介されて、頭部の画像診断で、少なくとも素人目には明らかな問題がない場合には、うちの施設ではほとんど「お手上げ」になってしまう。 県内には神経内科を標榜する施設がいくつかあって、大学にはもちろん医局があるし、外来を持っている施設も、神経の専門を掲げている施設もあるのだけれど、「こんな患者さんがいるのですが、診療していただけないでしょうか?」なんてお願いすると

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    amashio 2014/01/01
  • 会見記事を読んだ - レジデント初期研修用資料

    島田紳助の引退記者会見 を文字におこしたものを読んだ。 一連の事実がきれいな物語として報告されて、きちんと管理された事実のみをを前提にした、突っ込みどころの少ない、自身が頭を下げる必要のない見解を組み立てているような印象を持った。 きれいな物語は何かが欠落している 語りたくない不都合な事実があったり、事実関係に何らかの瑕疵があったりするときほど、物語としての事実はきれいに、一貫したものとして語られることが増えてくる。 事実が自分でも管理できていない場合、通信のログが保管されていないとか、事実関係が曖昧で、証言の収拾もまだ十分に行われていない場合には、一連の事実を物語のようにつなげようと思っても、うまくいかない。話は必ずグダグダになるし、物語には「詳しくは覚えていないのですが」とか、「昔のことなので記録は残っていないのですが」とか、たくさんの但し書きが入ることになる。 語る側が隠さなくてはい

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    amashio 2014/01/01
  • 価値の判断は面倒くさい - レジデント初期研修用資料

    「それが自分にとって面白いのかどうか」を判断するのは面倒な仕事で、人間は、その気になればどこまでも怠惰になれる。 流行しているサービスや、景気の悪いときでもお金を生んでいる産業というものは、そうした面倒くささを回避する仕組みを持っている。顧客から判断の機会を奪うことが、結果としてお金を生むことにつながるのだと思う。 楽は楽しい たとえば早朝の時間帯、当直の起き抜けは、自分の頭が一番働いていない瞬間の一つであって、を開いたって何一つ頭には入ってこない。 ネットを見たところで、状況はそんなに変わらないのだけれど、たとえばTumblr みたいなサービスは、頭がどれだけ回っていなくても、それなりに文章を追っかけられて、何かを楽しんだ気分になれる。 Tumblr のダッシュボードには、自分以外の誰かが「これは面白い」と判断した文章の断片が、自動的に更新されていく。文章は抜き書きみたいなものだからた

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    amashio 2014/01/01
  • 曖昧さという対立軸 - レジデント初期研修用資料

    上司にとって、曖昧な指示は武器になる。 「臨機応変に」やってくれだとか、「患者さん第一に現場の判断で」考えろといった指示を出すことで、上司は部下に対して「当たりくじだけ持ってこい」と命じることができてしまう。 あいまいさは便利 成果を厳しく問われない場所ならば、曖昧な指示は武器として役に立つ。無難なくせに内容のない、耳あたりのいい言葉を運用すると、上司は責任を回避しつつ、部下の成果を独り占めできる。 部下の側が曖昧な指示に抵抗しようと思ったら、「自分では無能すぎてこのケースを判断できません」という立ち位置で、全ての判断を上司にゆだねることになる。現場の誰もが無為に立ちすくんで、上司は無能な現場を叱って、組織の空気は悪くなっていくけれど、部下の側が結束している限り、上司はまともな指示を出さざるを得なくなる。 ピラミッド型の組織において、部下の数は上司よりも多い。現場の結束は、「まじめな」誰か

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    amashio 2014/01/01
  • 状態を動作で記述すること - レジデント初期研修用資料

    「アナタはなぜチェックリストを使わないのか? 」 というの感想。続き。 チェックリストを作ることの効果というものは、「正常」を言語化できることにあるのだと思う チェックリストを作るときには、たとえば「○○が正常に接続されていることを確認する」だとか、正常という言葉をリストから追放することが求められる。それを許してしまうと、「正常とは何か?」という疑問に対して、「正常であることだ」という間抜けな答えしか返せなくなってしまう 正常であることを、「異常でないこと」でしか記述できない人は多い。ある定状状態にあって、それなりにきちんと動いている何かを見て、どうしてそれがきちんと動いているのか、突き詰めて考えている人は少ないしだろうから 医療において健康という状態は、「病気でない」ことでしか記述できない。医学的に正しい健康品というものは存在しないし、西洋医学の薬というものは、基的に病気でない状態

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    amashio 2014/01/01
  • チェックリストについて - レジデント初期研修用資料

    Recent Entries チェックリストについて Amazonのレビューについて 賞賛の採算性 ロバストネスとゲーム性 砂場としての2ちゃんねる 少しだけいいものが選べない 不思議なものとのつきあいかた 説得の技術について 悪い知識は大切 コンテストのドレスコード Recent Comments 賞賛の採算性 08/02 medtoolz 08/02 エリヤフ先生 ロバストネスとゲーム性 07/28 medtoolz 07/28 エリヤフ先生 07/28 itohkun55 砂場としての2ちゃんねる 07/25 市民 07/24 hiro 07/24 まるむし 07/24 Anonymous 07/24 長万部 Recent Trackbacks Amazonのレビューについて 08/07 いつか世界に仇なす 少しだけいいものが選べない 07/28 ず's » 機械翻訳... 砂場とし

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    amashio 2014/01/01
  • Amazonのレビューについて - レジデント初期研修用資料

    韓国に関するフジテレビの報道姿勢はやりすぎだ」という話題があって、フジにスポンサーとして参加している「花王」が叩かれて、Amazon のカスタマーレビューがものすごいことになっている。 「この製品を買ってはいけない」だとか、「花王は韓国の手先だ」とか、ネガティブなコメントが50ぐらいついていて、「使いやすいです」みたいな無難なレビューは、序列のした側に押し込まれて、その製品が実際のところどうなのか、レビューからは読み取れないような状態。 ものすごい熱気を感じることには間違いないのだけれど、「花王という会社にダメージを与える」ことがその目的なのだとしたら、力の使いかたを間違えている気がする。 密林のレビューは恐ろしい 密林のカスタマーレビューは、を置かせてもらう側からするとあれぐらい恐ろしい場所もない。 あの場に書かれた内容について、作者の側からは言い訳できないし、誰かがお金を支払っ

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    amashio 2014/01/01
  • 賞賛の採算性 - レジデント初期研修用資料

    夏休みになると日記の宿題が出て、あれが嫌で嫌でしょうがなかった。 日記が大好きな子供なんて、今でもたぶん、決して多いはずがないのに、インターネットで文章を書く人はびっくりするぐらいに多い。 日記にはない、ネットが持っている大事な機能が「他人の目」なのだと思う。それがどんな形であれ、自分以外の誰かの反応が、できれば賞賛する側に返ってくることで、その人の振る舞いは大きく変化する。 ほめるのは難しい けなされれば人は腐るし、何かの能力をほめられると、時々人は大きく伸びる。「ほめて育てましょう」と言葉にするのは簡単だけれど、実際のところ、誰かをほめるのは恐ろしく難しい。 誰かをけなせばいいのなら、仕事を命じて、マニュアルを渡して、結果が出るまで放置して、規定に足りていない部分をあげつらえばいい。ところが誰かをほめようと思ったら、その人がどんな工夫をして仕事をこなすのか、ほめる人はずっと見張っていな

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    amashio 2014/01/01
  • 少しだけいいものが選べない - レジデント初期研修用資料

    豊かになると、いろんなものが相対的に安価になっていく。ところがある業界が細っていく過程のどこかに、「少しだけいい製品が選べなくなる」という状態がたいていあって、ものが安くなることと、選択肢が減っていくこととはわけて考えないといけないのだろうと思う。 薄い財布と便利な鞄 abrAsus という国内の皮革メーカーがいろいろと面白い製品を出している。すごく薄い財布だとか、小さく折りたためる財布だとか、特定の目標を達成するために、伝統的なデザインにギミックが工夫されている。 「ちょっとした工夫」には購買欲がかき立てられるのだけれど、お財布は買うと15000円ぐらいする。今ならば、このぐらいの金額は支払えるし、紳士ブランドものの何かを買おうと思ったら、この価格は決して飛び抜けて高価であるとも言えないのだけれど、ホームセンターで1000円しない「普通のお財布」が売られている横で、じゃあ「ちょっとした工

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    amashio 2014/01/01
  • 不思議なものとのつきあいかた - レジデント初期研修用資料

    「不思議なもの」は、今の世の中にだってたくさんある。それが証明された事実なら利用すればいいし、虚偽なら否定すればいいけれど、「不思議なもの」はそのどちらでもないものだから、距離を置いて「つきあう」ことが大切になる。 「不思議なもの」と対峙して、それをあたかも事実であるかのように利用を試みてしまったり、逆にあらゆる不思議を虚偽と断じて否定したりすると、たいていはろくでもない結果が待っている。 ビールの原理 自分にはたとえば、「ビールがたくさん飲めること」が、未だに不思議に思える。 ネットをちょっと引っ張ると、これは「アルコールが胃から吸収される」からという説明が為されているのだけれど、ビールのアルコール濃度は6%程度だから、これ胃から拡散吸収できたところで、自分が体感するビール特有の「いくらでも」とは、ずいぶんかけ離れているように思えてしまう。 アルコールと人体との関係は、医学が一番詳しいは

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    amashio 2014/01/01