1 名前: チーマー(東京都) 投稿日:2007/04/27(金) 12:19:39 ID:IW05mg7y0● 公式ブログとmixiをめぐる騒動について。 このたび、私・赤井孝美および弊社社員のmixi日記上での記述を巡って、混乱を招いたことをここにお詫び申し上げます。 いずれも視聴者全般を侮辱したり、2ちゃんねる掲示板そのものを貶める意図はありませんでしたが、結果として多くの方に不快な思いをさせ、心を傷つけた事実は重く、弁解の余地はありません。 また、mixi日記が会員制とはいえweb上に公開されているメディアであるという意識が欠如していました。 この点も軽率であるとの誹りを免れません。当該社員には上長より厳重注意が与えられ、本人も深く反省をしています。 また、関係者各位、制作スタッフにも御迷惑・御心配をおかけしたことをお詫びするとともに、責任の所在を 明確にするため、私
お久しぶりの【artwork】は、好評のうちに放映が終了した『がくえんゆーとぴあ まなびストレート!』のキャラクター設定+αをお届けします。『まなび』のキャラクターデザインは、本作でビジュアルディレクターも務めた小笠原篤さんの手によるもの。決定稿に至るまでのラフデザインも含め、膨大な量のデザインが描かれているそうです。5回に分けて、その一部をご紹介します。掲載するのは、いずれも線画に色がつけられた[色見本]バージョンです。 今日、取り上げるのはメインキャラクターである聖桜学園生徒会メンバーの5人。本作では髪のグラデーション処理や頬の色などが話題になりましたが、それらの処理は撮影段階で入れています。ここに掲載する色見本は、撮影処理が施される前のもので、ご覧の通り、完成画面と印象が違う。制作現場で最初に塗られる色は、この色なんですよ。 掲載したものの中には「(仮)ラフ」と描かれた設定もあります
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■またしても、話のネタにしてしまって本当に申し訳ないのだが、『ニュータイプ』に連載中の、藤津亮太のコラム「アニメの門」を読んでいて、「んー?」と思ったことがあったのだった。件の記事が掲載されていたのは、2006年11月号。「B級映画のパラドックス」という、サブタイトルが掲げられている。 ■「んー?」と思った。……といっても、なにも批判しようというわけではなくて、藤津が挙げている論点に深く頷いたからなのだった。彼は言う。「B級映画」には、ふたつの側面がある。企画的特性である「低予算映画」と、ジャンル映画的な精神の在りようを指す「肩の凝らない娯楽映画」。このふたつのうち、アニメーションは後者しか実現できない。――というか、後者を実現しようとすると、必然的に制作予算が高くなってしまい、前者の達成が難しくなってしまうのだ、と。 ■さらに、藤津は続ける。むしろアニメとは、だいたいにおいてその成り立ち
春のアニメ新番組を見ながら。登場人物が学生(またはそれに準じた社会人一年生レベル)ばかりで特殊能力や勘、運で乗り越える話ばかりだなあというのを相変わらず感じた。プロが知恵をしぼって難題を解決する作品が見たいと思っても選択肢は限りなく少ない。そういう作品が見たいのなら、アニメ見ないでドラマ見たほうがいいよねということに。 アニメにおいてプロではなく学生が現場に出るのはなぜか : ARTIFACT ―人工事実― 以前からもこれは触れているんだけど。 そういう意味では『精霊の守り人』の主人公が30歳というのは期待したい。『攻殻機動隊SAC』もプロが知恵をしぼって解決するドラマだったし。
TVアニメ&OVA 1話当たりの予算 1941年 スーパーマン 40万円 1962年 鉄腕アトム. 210万円 1963年 鉄人28号 120万円 1965年 スーパージェッター 230万円 1966年 Marvel Superheroes 648万円 1974年 Shazam!. 2050万円 1982年 マクロス. 550万円 1987年 わんぱくダック夢冒険. 4350万円 1988年 銀河英雄伝説. 1000万円 1989年 トップをねらえ 1300万円(制作費2200万円) 1994年 ダーティペアflash 1660万円 1994年 スパイダーマン. 4120万円 199
「妄想代理人」第1話、「少年バット参上!」というサブタイトルに引っかけた、ただの語呂合わせのように思える見出しだが、その通りだ。先の「金の苦痛」という駄洒落に揃えようとしただけなのだが、眺めていたらあながちそうでもないように思えてきた。どんどんそう思うことにした。 先の黄色い爆弾事件から負の連鎖について考察してみたように……そんなたいそうなものではないが、私は身近に起きたどうでもいいようなことやつまらないことから屁理屈を生むのがたいへん好きである。これまでの作品もだいたいこういう思い付きで生まれる。きっかけなど何でもいいとさえ思えてきたくらいだ。 「傑作となる思い付きがあるわけではない。思い付きを傑作に育てるのだ」 といったのはスタンリー・キューブリックではなくて黒澤明ではなくて私である。 ではこの発想の方法をこの場で実践してみよう。大きく出たね、また(笑) ま
もうすぐ出る雑誌の原稿が来ていて、校正していたのですが、「なんでOpenSkyを始めたのですが?」と聞かれることが多いので、そのへんちょっと整理しておこうと思って書きます。 メーヴェ作りたいなぁ、というのはたしかエアボードの初期のころ・・・つまり1997年ごろ考えていたようで、そのころ吉澤くんと立川でエアボードの起動テストやりつつ飲み屋で雑談したり、あるいは1999年10月に龍勢祭りを見に行った帰りに揚力の計算をモスバーガーのレシートの裏で計算して、当時は「お!パイロットの体重50kg、翼面積8m2、機速が12〜13m/sくらいあったら行けるのでは?」とかざっくり思っていたりしたのです。 ただ、この時点ではそこまで本気だったわけではなく、具体的に考え始めたのは2000年に「インパク」の編集長を依頼された頃。この時に「オープンソースでメーヴェを作ろう」という企画を考えて、総務省の人に提案した
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