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こんな素敵な作品を、ここで終わらせちゃ駄目だ。 読み終えた時に沸き起こった思い。 この「はなまる魔法教室」という作品が本当に素敵で。 2017年に一目惚れの表紙書い。中身を読んでさらにガチ惚れ。 続刊が出るのを心待ちにし、2巻が発売されて更に惚れ込んで。 3巻が出るのを心底待ち望んでいたけれど、一向に発売されず。 まさか見逃した?そんなハズは。。。いや、まさか。 打ち切り。 「裏サンデー」でWEB連載されていたこの作品、 3巻が出せる話数があったにも関わらず、単行本の発売自体がなくなったそうで。 んな馬鹿な。 こんな素晴らしい作品を、素敵な作品を、打ち切りにするのもありえないのに、 単行本を最後まで出さずに、そのままお蔵入りさせるなんて。 ありえないでしょう。こんなにも心に響きわたる作品なのに。 そんな風に思った人が沢山いたのでしょう。 読者の声が作者に届き、まさかの作者自ら自費出版で3巻
小学生の頃「シャーペン禁止」「電卓禁止」の試験になぜ!? と思った人は多いのではないだろうか。思えばここが文系人間と理系人間の分かれ道だったのかもしれない。POLAR BEAR BLOGによると、日経新聞で「宿題の答えをググって出す小学生についての批判」が書かれた事を取り上げ、『ググって手にいれられないような内容を教育すべきではないか。ググって手に入る情報はGoogleで探せばよろし』との意見を表明している。404 Blog not foundでは...本意が把握し辛いがおおむね「同じものを手にいれるにしても、ググって出した人と自分で導き出した人では得られる対価が異なる。いつでもググれるのだから、若いうちはググらず手にいれられる経験を積むべきだ」と述べている。 答えを出してくれる便利なツールがある世界で、それを排除する形で教育を進めるのはあまり意味がないと思います。基礎的な情報はググって手
クビにされそうだった大学教員です。現役大学生とか、これから大学生になる人とか、大学生の親になる人向けのつもりで。 面白かったときにブログランキング【ココ】を押してもらうと、中の人が喜びます。 中学数学教材研究ノート++(http://d.hatena.ne.jp/jizobosatsu/20060314/p1)経由、One for オレ。All for オレ。からの出題。サイコロが二つあります。 そのサイコロは当然立方体です。 当然6つ面があります。 (図を入れられれば見やすいんですがね・・・。すみません。テクがないです。) その2つのさいころは、6つの面のうち、 3つの面が○マーク。 2つの面が△マーク。 1つの面が×マークが書かれているとします。 この二つのサイコロを同時に振ります。 何マークと何マークの組み合わせが、 一番確率が高いですか?深く考えずに直感で答えてみましょう。 はい、
先日の「ビル・ゲイツの面接試験-クイズ編」に対して、メール、トラックバック、mixiなどを通じて沢山の方から答えをいただいた。そこでここで模範解答を発表。さすがに難しかったのか、全問正解者はたった一名であった。予想した通り、第三問が難関であったようだ。 [第一問]多くの人が正しく答えた通り、手順は以下の通りである。 (1)8個の金貨のうち6個を適当に選び、3個づつ天秤に乗せて比べる。 (2)片方が軽かった場合(3)へ、釣り合った場合(4)へ。 (3)軽かった側の金貨のうち2個を適当に選び、1個づつ天秤に乗せて比べる。片方が軽ければそれが偽造品、釣り合えば残りの金貨が偽造品。 (4)(1)で天秤に乗せなかった金貨2個の重さを天秤で比べ、軽い方が偽造品。 [第二問]81個。 天秤は、一回の操作で、「左が重い」・「釣り合う」・「右が重い」の3値の情報を与えてくれる。それを正しく利用すれば、一回の
GoogleによるHubSpotの買収 まもなくリリースされる Meta の Llama3 Tesla のカルチャー IntelのGaudi3はNvidiaの牙城を崩すか? Steve Jobsが語るクラフトマンシップ 「6年勤めたNTTを退職しました」という記事が、注目を浴びているようですが、この筆者が NTT を辞めた理由が、私が32年前(1986年)に NTT を辞めた理由とあまり変わらないのに、少々驚きました。 私が NTT を辞めた件に関しては、これまで色々なところで話しては来たのですが、まとまって文章にしたことがなかったので、これを機会に書くことにしました。普段ならメルマガ(週刊 Life is beautiful)の読者限定で書くところですが、今回だけは、出来るだけ多くの人に読んで欲しいので、ブログ記事として公開します。 当時、NTTは電電公社から民営化したばかりで、1985
先日、たまたまティーンエージャー(13~19才)の子供を持つ親のための講習会に出る機会があったのだが、そこで『二つのWhy』という話を聞いた。日本語にも若干通じる部分があるので、今日はそれに関する英語うんちく。 その講師は、親はティーンエージャーの「Why」には二種類あるので注意すべき、と主張する。一つは単なる質問の「Why」で、この場合は普通に答えて良い。もう一つが、こどもが自分が何かを拒否したい気持ちを伝えたくて「Why」と言っている場合。この場合に、その気持ちを理解しておきながら、理屈だけで納得させようとすると泥沼にはまってしまう、と指摘するのだ。 良い例が登校拒否のこども。親が「学校に行きなさい」というと「なぜ学校にいかなければいけないの?」と言い返してくる。そこで親としてはつい「ちゃんと学校を卒業しなければ、ちゃんとした会社に就職できないんだよ」などと答えて説得を試みたくなるのだ
やや唐突ですが僕の友人のユダヤ系アメリカ人から面白いメモをもらったので、本人了解のもと転載します(名前は一応仮名にしておきます)。原文は英語ですが適当に訳してみました。事実誤認など突っ込みどころ満載なんですがあまりに面白いのでそのままにしてあります。 僕から見ると皮肉が利きすぎているように思うのですけど、本人はいたって大真面目のようです(笑)。どっかに載せるつもりなんだろうか。止めといた方がいいと思うけどなあ。わはは。 日本語で上手な文章を書くには アイザック・シュワルツ(仮名) 私たちには日本の公立学校に通う小学6年生の娘がいる。彼女は小学生になる前から日本で暮らしているため日本語には不自由していないのだが、毎年の夏休みの課題でどうしても良い評価をもらえないものがある。読書感想文だ。 日本の小学校には課題図書というものがあり、全国の小学生たちはみな同じ本を読んでそれについて感想文を書くこ
世界中どこを見渡してみても、価値中立な教科書はない。偏向していない教科書もない。けれど、最近の日本には不思議な教科書観が広がりつつある。価値中立で偏向していない教科書という教科書観だ。ついでに言えば、学習指導要領も価値中立ではないし、偏向している。教科書も学習指導要領も価値中立ではないし偏向しているというごく当たり前のことを前提になぜ考え、議論しないのだろうか。 なぜこれほど「学力テスト」について無理解なのだろうか。静岡県知事が「責任の所在を明確化するため」として成績上位校の校長名を公表するという話。学力テストの成績の責任と言うけれど、そもそも、その学力テストは何を評価するためのものだろうか。子どもの学力?教師の力量?全国学力テストはあらゆるものを評価できる万能のものだと考えられているようだ。しかし、それは間違いであり、妄想であり、勘違いだ。 全国学力テストは、国が行っている。それは、国が
塾要らずの公教育実現 谷垣氏、政権構想を具体化 子どもが塾に通わなくても済むよう公教育の質を充実させる 谷垣氏に限らず、よくこういうことが言われる。果たして、塾に通わなくて済む公教育は本当に素晴らしいものなのだろうか。塾に通える子と通えない子との間で格差が生じていると言われている。その格差を解消するためには公教育の質の向上が必要だと言われる。しかし、それはおかしい。 まず、塾と学校は全く同じ役割を担っているものではない。塾に通う目的は人それぞれだが、大まかに言って二つある。一つ目は受験の準備をすること。二つ目は学校の授業だけでは理解が十分ではないので、そこを補うこと。そういうものは、公教育の質が高ければ必要がないのか。それは違う。受験の準備にしても、理解できないところを補うにしても、「公立の学校とは異なる」からできることだ。公教育には様々な制約がある。そういう制約は塾にはない。その点だけで
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