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  • 「10回やったら3回は勝てる」5部のクラブが天皇杯でJ1広島に快勝…サッカー未経験の分析官が語る“おこしやすの奇跡”の裏側(澤田将太)

    2021年、日サッカー界最大のジャイアントキリングは、天皇杯2回戦で起きた“おこしやすの奇跡”だった。関西1部リーグ所属のおこしやす京都ACが、J1の強豪サンフレッチェ広島を5対1で破ったのだ。その舞台裏には、「まともにボールを蹴ったことがない」と語るサッカー未経験の分析官がいた。(全2回の1回目/後編へ) 学生時代、部活に所属していなかった“サッカー店長”こと龍岡歩は、サッカーを見ることに多くの時間を費やした。高校卒業後は、9年間の海外放浪を経てサッカーショップに就職。並行して書いていた戦術ブログが関係者の目に留まり、サッカー素人でありながらJ3の藤枝MYFCに分析官として加入することなる。その後、おこしやす京都ACに活躍の場を移した龍岡は、先述したジャイアントキリングの当事者となった。 「試合前に『この試合勝てるよ』って言ったら、チームのみんなに笑われました(笑)。監督ですら10回に

    「10回やったら3回は勝てる」5部のクラブが天皇杯でJ1広島に快勝…サッカー未経験の分析官が語る“おこしやすの奇跡”の裏側(澤田将太)
  • 落合博満「ドラ1は野本でいってくれ」ドラフト前日に落合と中日スカウト陣が異例の内紛…13年前ドラゴンズが大田泰示の指名を見送るまで(鈴木忠平)

    中日ドラゴンズで監督を務めた8年間、ペナントレースですべてAクラスに入り、日シリーズには5度進出、2007年には日一にも輝いた落合博満。それでもなぜ、彼はフロントや野球ファン、マスコミから厳しい目線を浴び続けたのか――。12人の男たちの証言から、異端の名将の実像に迫る『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』が発売1カ月で6刷8万部とベストセラーになっている。 そのなかから、山井大介の“消えた完全試合”の翌2008年、中日スカウト部長だった中田宗男が抱えていた“苦悩”の場面を紹介する。同年ドラフト前日、中田の予感が的中。落合監督とスカウト陣は1位指名を巡って決定的に対立してしまう(全3回の3回目/#1、#2へ)。 落合「1位は野でいってくれ」 会議が始まってから、もう4時間が経とうとしていた。室内には睨み合ったまま動かない2つの空気があり、中田はその中で無力感を握りしめていた。

    落合博満「ドラ1は野本でいってくれ」ドラフト前日に落合と中日スカウト陣が異例の内紛…13年前ドラゴンズが大田泰示の指名を見送るまで(鈴木忠平)
  • 9年ぶりのJ復帰・酒井宏樹31歳に聞く“欧州と日本の違いは?”「全く違うスポーツ」「その質問も禁止にして欲しいくらいです」(了戒美子)

    欧州から帰国しJリーグでプレーする選手が増えるにつれ、彼らの経験が言葉となり発信されるようになった。特に目立つのは、酒井高徳、長友佑都、すでに引退した内田篤人の発言だろうか。彼ら3人は偶然にもそろってサイドバックというポジションで、それぞれにドイツ、イタリア、フランス、そして日本代表で結果を出してきた選手たち。彼らが発信、発言する日と欧州の違いは現実的で面白い。 彼らと同じサイドバックである酒井宏樹も日に復帰し約半年。欧州と日の違いを今どう感じているのか、言葉にしてもらいたいと思った。が、少々難航したと正直に明かしておきたいと思う。酒井は言葉を選びながら語ってくれた(全2回の2回目/#1から続く)。 ◆◆◆ 「何か見せなきゃいけないとかは全く思ってないですね」 あらためて言うまでもないが、酒井は現日本代表で、東京五輪のオーバーエイジにも選ばれた。現状日のナンバーワン右サイドバックだ

    9年ぶりのJ復帰・酒井宏樹31歳に聞く“欧州と日本の違いは?”「全く違うスポーツ」「その質問も禁止にして欲しいくらいです」(了戒美子)
  • 兄の死、酒と夜遊び、行方不明……栄光と挫折を繰り返した「元Jリーグ得点王」のジェットコースターのような人生とは(沢田啓明)

    昨年末から今年初めにかけて、ブラジルのフットボール界で話題を集めた出来事があった。 元ブラジル代表FWジョーが12月9日のリーグ最終節に出場した後、友人が主催したパーティーへ出かけたきり、3日間消息を絶った。一時は「行方不明か」と騒がれたが、4日後、自身のインスタグラムに投稿。「これまでいつも僕を助けてくれたを失望させてしまった。僕は大馬鹿者だ。今後は一人で生きていく」とコメントし、自身の不倫クラウジアさんとの離婚を匂わせた。 ところが1月2日、今度はに寄り添って笑顔を浮かべた写真を掲載。「愛する人よ、僕と一緒にいてくれてありがとう。これからも、家族みんなで共に歩んでいこう」と記したのである。 平均身長185cmの巨人一家 ジョアン・アウベス・デ・アシス・シウバ。「ジョー」は子供の頃からのニックネームだ。 身長191cm、体重80kgと大柄だが敏捷で、足元の技術があり、相手守備陣の

    兄の死、酒と夜遊び、行方不明……栄光と挫折を繰り返した「元Jリーグ得点王」のジェットコースターのような人生とは(沢田啓明)
  • 41歳松坂大輔が明かす“10年前、手術を決意した日”「イチローさんに怒られた…『バッピみたいな球投げてんじゃねーよ』って」(吉井妙子)

    ついにプロ野球人生の幕を閉じた平成の怪物・松坂大輔。その歩みを辿ったNumber PLUS『完全保存版 松坂大輔』が発売された。 野球人生の後半は度重なる手術やケガで満身創痍の中、「ボロボロになるまで」投げ続けた。多くのケガを経験してきたからこそ、松坂は今アスリートのケガと治療に興味を持っていると話す。そこで再生医療の分野で躍進を遂げるセルソース社長の裙理人さんと対談を行った(全3回の2回目/#1、#3へ)。 松坂「13年間ケガと戦ってきた現実の姿でした」 松坂 ただ、選手自身がまだ再生医療の利便性を知らないですよね。 裙 そこが僕らの課題なんです。J1やJ2のサッカーチームの多くとメディカルサポート契約していますし、実業団の陸上部などもサポートしています。ただ、肝心の選手らに再生医療の有効性をどれだけ伝えていけるかが重要な課題だと思っています。 松坂 確かに僕はケガが多かったので、何

    41歳松坂大輔が明かす“10年前、手術を決意した日”「イチローさんに怒られた…『バッピみたいな球投げてんじゃねーよ』って」(吉井妙子)
  • 高校生も帰宅部(約20%)が増えている…現役教師のため息「運動部を減らしたいのにOBOGの反発がすごくて…」(沼澤典史)

    中学で帰宅部の人気が伸びている背景を調べてみると、現在のスポーツ部活が抱える様々な問題が見えてきた。では高校生の部活ではどうなのか? そしてそれらの問題を解決するカギはあるのか?(全2回/前編へ) 高校生でも帰宅部(約20%)が増加中 中学と比べ、高校の部活は甲子園などを始め、規模も注目度もケタ違いだ。大学スポーツと比べても、メディアでの扱いやファンの多さで引けを取らない。 しかし、帰宅部が増加しているのは高校も同様である。高校2年生に対する調査では「部活に無所属」と回答した生徒は平成26年度は19.0%、平成28年度は20.3%と増加している(国立青少年教育振興機構調査)。直近の調査はないが、中学同様に増加傾向にあると考えていいだろう。 実際、20年以上のキャリアを誇る福島県のベテラン高校教師も生徒たちの変化を感じている。 「昔より帰宅部が増えた印象は確実にありますね。私の担任する学年の

    高校生も帰宅部(約20%)が増えている…現役教師のため息「運動部を減らしたいのにOBOGの反発がすごくて…」(沼澤典史)
  • 「お前は国に従いなさい」「いつか復讐したい」41年前モスクワ五輪ボイコット、人生を狂わされた選手たちの“その後”(近藤正高)

    アメリカ国務省報道官発言をきっかけに、日でも北京冬季五輪に参加すべきかどうか議論が起こっている。そこで引き合いに出されるようになったのが41年前モスクワ五輪ボイコットだ。政府、JOCの判断により五輪の舞台に立てなかった選手たちの“その後”とは?(全3回の2回目/#1、#3へ) モスクワ五輪のボイコット問題をめぐっては、のちのちまで語られる場面がある。それは1980年4月21日に、五輪参加を目指す選手やコーチが岸記念体育館で開いた「緊急強化コーチ選手会議」だ。その冒頭、議長役の柔道の佐藤宣践(のぶゆき)コーチが招集した理由を説明し、「モスクワに参加すべし」と提唱した。これを口火に選手・コーチが次々と発言を促され、すでに政府の意向を受けてボイコットに傾きつつあったJOCへの不満を爆発させる。それはまさに決起集会というべき光景であった。 なかでもレスリングの高田裕司(当時、日体育大学研究員・

    「お前は国に従いなさい」「いつか復讐したい」41年前モスクワ五輪ボイコット、人生を狂わされた選手たちの“その後”(近藤正高)
  • 「現役時代はその必要性を感じなかった」 レズビアンを公表した滝沢ななえが語る“言う言わないの自由”(松原孝臣)

    「何か一歩踏み出すという行動をするのが大事なんじゃないか、そういうところは伝えたいと思います」 バレーボールに打ち込み、現役生活から退いた現在はトレーナーとして活躍する滝沢ななえは、柔らかな、でも確固とした芯を感じさせる表情とともに語った。 バレーボールのファンであれば、その名前を知っていることだろう。 その足跡を簡潔にたどりたい。 滝沢は八王子実践中学・高校で6年間、バレーボールに打ち込んだ。八王子実践は高校バレー界を越えて名前を知られる屈指の名門校である。滝沢は全国大会にも出場し、高校3年生のときには主将を務めた。 「監督が『滝沢がキャプテンをやれ』と。八王子実践は監督がキャプテンを指名するんです」 卒業後、パイオニアレッドウィングスに進む。その後、上尾メディックスでプレーし、2013年に引退。その後、トレーナーとなった。

    「現役時代はその必要性を感じなかった」 レズビアンを公表した滝沢ななえが語る“言う言わないの自由”(松原孝臣)
  • 指導者にならないJリーガーは何をする? 徳永悠平が麦わら帽と長靴姿でスイートコーンを栽培するワケ(石井宏美)

    麦わら帽子にジャージ。手には軍手、足元はたっぷりと土が付いた長。かつてはいかつい風貌で寡黙というイメージだったが、すっかり柔らかい印象になっていた。数カ月前までは想像できなかった姿だ。 徳永悠平が農業を始めていた。 「まったくのゼロから始めているので、すべてが新鮮だし、当に楽しいですね」 第二の人生を歩み始めたその表情は、現役時代と同じくらいいきいきしているように見える。自身のインスタグラムでは畑やビニールハウスを視察する姿が収まった写真とともに「色々とチャレンジしていきます!」と決意表明。 でも、Youはなぜ農業を? サッカーのことを考えている余裕がない(笑) 日本代表にも名を連ねた右サイドバックは、18年間のプロ生活をまっとうし、やりきったという達成感があるのだろう。引退して始めて迎えるJリーグ開幕も、「正直あまり意識していない」と淡々と語る。 「自分の環境が変わったので、そこに順

    指導者にならないJリーガーは何をする? 徳永悠平が麦わら帽と長靴姿でスイートコーンを栽培するワケ(石井宏美)
  • 「黒人には無理」と言われて“本塁打王”になったハンク・アーロンがキング牧師に言われた一言とは?【追悼】(ナガオ勝司)

    何も知らなかったんだな、と今さらながら実感する。 1月22日金曜日に亡くなられた、ハンク・アーロン氏のことである。 その名をしっかりと認識できたのは1977年、王貞治氏(当時巨人。現ソフトバンク球団取締役会長)が、アーロン氏の通算755塁打の記録を抜いた時のことだ。 実はそれより3年前の1974年、ベーブ・ルースの旧記録(=通算714塁打)を破ったばかりのアーロン氏が同年秋の日米野球の際に来日し、王氏と塁打競争(アーロン氏が10対9で勝った)を行っているのだが、当時はMLBにもメジャーリーガーにもあまり興味がなかったので記憶が薄い。 その後もアーロン氏と王氏の親交は続き、お互いに少年野球の世界的な普及活動を行っているニュースや、2人が共演した缶コーヒーのCMが流れた(1990年?)お陰で、日国内のアーロン氏への認識はさらに高まった。 2006年のワールド・ベースボール・クラシック(

    「黒人には無理」と言われて“本塁打王”になったハンク・アーロンがキング牧師に言われた一言とは?【追悼】(ナガオ勝司)
  • 箱根駅伝「沿道応援」、“85%減”だけど“18万人”をどう見るべきか…東京五輪開催への視線は厳しくなった?(松原孝臣)

    新型コロナウイルス感染拡大は収束せず、その中で開催された今大会は、例年と異なる形で実施されていた。 いつもであれば、スタートやゴール地点、中継所をはじめ数多くの人々が沿道で声援を送り、見守る。例年の観客者数はおおよそ120万人前後と推計されている。 ただ今回は、コロナ禍にあった。感染の予防の観点から「応援したいから、応援に行かない。」を大会のキャッチコピーとし、さまざまなメディアなども活用しつつ、沿道での観戦や応援の自粛を求めた。 一般への呼びかけだけではない。レースに参加しない選手、選手の家族にも沿道ではなくテレビからの応援を要請した。選手も家族などにその旨を伝えていたという。 その結果、今レースの沿道の人の姿は激減していた。大会ののち、観客は昨年(約121万人)と比較して85パーセントほど減少したおよそ18万人だったことが伝えられている。 だがこれは逆の見方をすれば、昨年の15パーセン

    箱根駅伝「沿道応援」、“85%減”だけど“18万人”をどう見るべきか…東京五輪開催への視線は厳しくなった?(松原孝臣)
    animist
    animist 2021/01/18
    85%減って凄い事だけどね…元が多過ぎるから20万弱見に行っちゃうんだよなぁ。それにしても何のエビデンスもなく「熱心なファンは見に行ってない!(行ったのは野次馬!!」みたいに言い出すのはちょっと…。
  • 秀吉の「中国大返し」に新説が登場。信長用の”接待設備”が奇跡の理由?(山田洋)

    「エイドステーションと言うんですね! まさにそれですよ! 今度から私も使わせてもらいます」 オンラインでつないだ画面越しで興奮気味にこう話すのは、奈良大学教授で城郭考古学を専門とする千田嘉博氏だ。 千田教授は、緊急事態宣言が発令された翌4月8日に、NHK-BSプレミアムで放送された番組「英雄たちの選択」の中で、“戦国の奇跡”と呼ばれる豊臣秀吉の「中国大返し」について、ある新説を唱えていた。 番組のHPにはこう書かれている。 <備中高松城から姫路城まで100キロにおよぶ行程を大軍が驚異的な速度で取って返した。いかにして秀吉は不可能を可能にしたのか?(中略)“幻の大返しシステム”の存在が、浮かび上がってきた> そのシステムとはどんなものか? それを理解するキーワードが、ウルトラマラソンやトレイルランニングの世界ではおなじみの「エイドステーション」なのだ。そして、その言葉を筆者が伝えたときに、今

    秀吉の「中国大返し」に新説が登場。信長用の”接待設備”が奇跡の理由?(山田洋)
  • 大卒22歳で「0円」は致命的だった。選手が理解すべき「市場価値」とは。(中野遼太郎)

    ラトビア1部リーグ・FKイェルガヴァでコーチという肩書きを持ち、日人初となる欧州1部リーグ監督を目指す中野遼太郎氏による連載『フットボールの「機上の空論」』。今回のテーマは選手の「市場価値」について。4カ国を渡り歩いた現役生活では自らを売り込み、契約に至るまで全て1人で行ってきたという中野氏が考える、プロとして必要な心構えとは。 僕は10年間のささやかな現役生活において、そのすべてを海外で過ごしました。 しかし選手としての力不足から「あなたと契約したい」というマネジメント会社がなかったので、そのほとんどの移籍と契約を自分で管理することになりました。この経験は僕にたくさんの財産をくれましたが、もし僕がとても有能で、そのような仲介業にあたる人々から「積極的に」求められる、もっといえば争奪戦になるような人材であったならば、確実にそういったプロの組織に仕事を預けることを選ぶ、ということは、最初に

    大卒22歳で「0円」は致命的だった。選手が理解すべき「市場価値」とは。(中野遼太郎)
    animist
    animist 2020/06/29
    この青年の文章はホントに面白い。
  • 中野遼太郎 スポーツコラム - Number Web - ナンバー

    中野遼太郎Ryotaro Nakano 1988年生まれ、西東京市出身。元プロサッカー選手。ドイツ、ポーランド、ラトビア、タイの7クラブでプレーし、2016年にはラトビアリーグベスト11に選出された。現在はラトビア1部リーグ、FKイェルガヴァでコーチとして活動。現役時代は指導者の言うことを聞かずに気ままにプレーしていたが、指導者になってからはそういう選手を目の敵にしている。 フットボールの「機上の空論」 日に足りないのは「めっちゃ楽しそうにサッカーをする下手なおっさん」 欧州で目撃した、勝利(とビール)を真剣に目指す大人たち 中野遼太郎Ryotaro Nakano 海外サッカー 2021/12/30 フットボールの「機上の空論」 「自分たちのサッカー」とは何か? 「指導者ライセンス」に“代表経験”は関係あるか? 躍進ザルツブルクのアカデミーで得た知見 中野遼太郎Ryotaro Nakan

    中野遼太郎 スポーツコラム - Number Web - ナンバー
  • ブンデス再開、無観客の実況をして。倉敷保雄が語るJリーグ中継の難しさ。(いとうやまね)

    欧州で、他の主要リーグに先駆けて、5月16日(土)に再開を果たしたドイツのブンデスリーガ。日でもスカパー!がCSとBSで生中継を実施した。その実況を担当したフリーアナウンサー、倉敷保雄氏にお話を伺った。 インタビューは、ブンデスリーガ第26節ドルトムント対シャルケの「レヴィア・ダービー」後の5月18日にオンラインで実施した。 コロナ禍における中継には、モニター越しに映し出される無観客のスタンド以外にも、様々な規制や勝手の違いがあったという。 ――約2カ月ぶりに行われたブンデスリーガの中継でした。解説者は水沼貴史さんでしたね。実況の現場では、どのような新型コロナの影響がありましたか? 「ドルトムント対シャルケのダービー中継は、もともと中断前にオファーされていたカードでした。当初解説は名波浩さんでしたが、名波さんは現在、静岡のテレビ局で仕事をされており、コロナウイルスの問題を考えれば東京に移

    ブンデス再開、無観客の実況をして。倉敷保雄が語るJリーグ中継の難しさ。(いとうやまね)
  • 日本人に合うラグビーのフェアさと、南米在住サッカー記者の深い羨望。(沢田啓明)

    激しくぶつかり合った選手たちがノーサイドとなれば握手をかわす。ラグビーの精神性には、同じ“フットボール”のサッカーも学ぶところがある。 ラグビー・ワールドカップ(W杯)における日本代表の快進撃は、大会に代表チームを送り込んだアルゼンチン、ウルグアイをはじめとする南米各国でも大きな反響を呼んでいる。 スコットランド戦後、アルゼンチンのスポーツ紙『オレ』は日本代表について「禅のチーム」と表現。このようにも激賞している。 「オールブラックスが赤と白のユニフォームを着ているのかと錯覚するような高度な個人技と精密な組織力を発揮し、その上に日人特有のディシプリン、効率の良さ、ミスを犯さない精密さを加味している。チーム全体に、禅を思わせる高尚な精神性すら見て取れる」 「我々の代表も釜石での初戦でフィジー代表を倒し、オーストラリア代表、ウェールズ代表という強豪相手にも奮闘した。しかし、勇敢にして情熱に溢

    日本人に合うラグビーのフェアさと、南米在住サッカー記者の深い羨望。(沢田啓明)
  • 「あの時の梅崎司」へ、もう一度!再び代表入りなら今度こそ仕掛ける。(吉崎エイジーニョ)

    “あの時の梅崎司” 新たに出会った指揮官、曹貴裁からよくこの話をされるという。湘南ベルマーレの梅崎司は、10年間在籍した浦和レッズを離れ、今季から新天地での日々を過ごしている。 「こんなアプローチをしてくださる監督は、初めてです。あの時の感覚が、また自分に湧いてくるように向き合っている時間、とでも言いましょうか」 日本代表キャップ1の男、梅崎司はプレーヤーとしての今日を生きる。この連載では初めて現役選手に話を聞いた。 大分トリニータ、グルノーブル・フット38(フランス)、大分、浦和を経てプレーする湘南では、チームの年長者として牽引役も務める。10月のルヴァンカップでは、梅崎の活躍もあり、湘南が栄冠を得た。その後、日本代表の国際Aマッチが行われるなか、彼の話を聞きたくなった。 「今秋の流れのなか、失礼は承知で現役の梅崎選手に話を聞きたい」とクラブに申し出た。「もちろんキャップ数は2にも3にも

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  • ベルマーレ伝説の広報・遠藤さちえ。最初はほぼストーカー、そして……。(飯尾篤史)

    その“迷惑行為”がなければ彼女の人生は、いや、もしかするとクラブの未来も、変わっていたかもしれない。 「1年半くらい、何度も電話を掛けたり、手紙を書いたり、スタジアムに会いに行ったりして。今でいうストーカーですよね、完全に」 湘南ベルマーレで長く広報を務め、今は営業を担当する遠藤さちえは、25年近く前の出来事を振り返って、苦笑した。 当時、短大生だった遠藤が“ストーカー行為”を働いていた相手は、ベルマーレのチーム統括部長だった上田栄治である。のちにベルマーレやなでしこジャパンの監督、日サッカー協会女子委員長などを歴任した人物だ。 そんな上田にアプローチを続けたのには、理由があった。 「どうしてもベルマーレで働きたくて。惚れ込んじゃったんです」 高校時代、遠藤はサッカー部のマネージャーを務めていた。運動音痴だけれど、スポーツが大好きな遠藤にとって、選手のサポートはぴったりの仕事に思えた。

    ベルマーレ伝説の広報・遠藤さちえ。最初はほぼストーカー、そして……。(飯尾篤史)
  • 甲子園決勝は本当に明日でいいのか。金足農業・吉田輝星の投球数が……。(氏原英明)

    過去に何度も見た光景だった。 表現としては“末恐ろしいピッチャー”だ。 秋田県大会からすべてのイニングを1人で投げぬいている金足農のエース・吉田輝星がまた、快投を見せた。 準決勝の日大三戦では、2点を先行すると、そのアドバンテージを最大限に生かすピッチングを展開。ピンチに陥ってもしっかりと間を取り、走者のスタートを一歩ずつ遅らせ、打者に対しては変化球を低めにコントロールして、ギアを上げたストレートで強力打線を黙らせた。 5試合連続完投勝利は見事というしかない。 限界を超えていてもおかしくない心身の状態でありながら、それでも快投をみせる。 しかし、吉田のような投手をみたのは過去に1度や2度ではない。 「投げないという選択肢はなかった」 2006年の斎藤佑樹(早稲田実)しかり、2008年の戸狩聡希(常葉菊川)、2010年の島袋洋奨(興南)、2013年の高橋光成(前橋育英)……。筆者が取材現場に

    甲子園決勝は本当に明日でいいのか。金足農業・吉田輝星の投球数が……。(氏原英明)
  • 夢はブンデスリーガ初の日本人監督。“新たなモウリーニョ”河岸貴とは?(遠藤孝輔)

    写真左から、ギュンター・シェーファー、河岸、イェンス・アンドライ。河岸の日人らしいともいえる真摯な働きぶりは、欧州サッカー界でも高く評価される。 バイエルン、ブレーメン、ハンブルガーSVに次ぐ通算709勝を誇るドイツの名門シュツットガルトで、約10年に渡って活躍している日人が存在する。 河岸貴――。 現在はインターナショナル部門で日事業全般を担当しているが、2006年からU-9、'09年からU-10及びU-13のカテゴリーでテクニカルコーチを務めたとおり、指導者として鳴らしてきた人物だ。教え子の中にはドイツU-20代表のFW、ティモ・ベルナーなどがいる。 '11年2月から'13年8月末にかけては、トップチームにも帯同した。きっかけは岡崎慎司の入団だった。 この同胞のサポート役を担い、チーム内での通訳から住居選び、事といった日常生活に至るまで献身的に面倒を見ていた。とりわけ料理はプロ

    夢はブンデスリーガ初の日本人監督。“新たなモウリーニョ”河岸貴とは?(遠藤孝輔)