登山と嘘は、相性がいい。「疑惑の登山」。世界の登山史の中には、そんな風に呼ばれる記録が散見される。なぜか。登山には審判がいないからだ。登頂したか否かは、言ってみれば「自己申告制」だ。つまり、完全なる性善説に基づいているのだ。だが、人間とは弱い生き物でもある。ときに嘘の誘惑にかられ、そして屈する。自分自身が審判であり、自分自身でルールを設定しなければならない登山という行為は、フェイクが入り込む隙だらけの世界だと言ってもいい。 「山岳警察」と評されることもある山岳ライターの森山憲一氏に古今東西の「疑惑の登山」、そして「嘘の質が違った」と評する故・栗城史多についても語ってもらった。(全2回の2回目/前編から続く) ◆ ◆ ◆ 栗城さんがついた“悪意のない嘘” ――登山史的レベルの登山家ではありませんでしたが、疑惑ということで言うと、2018年にエベレストで滑落死した栗城史多さんがいます。彼は知名