ニュース映像の一部。左の兵士が右手に刀を持っている 台湾中部の山中、霧社という地区で1930年に起きた大規模な抗日の反乱「霧社(むしゃ)事件」直後に、現地の様子を朝日新聞社が撮影したニュース映像がこのほど見つかった。国内の研究者が保管していたもので、本社が寄贈を受けた。一般にも貸し出す予定だ。 「霧社蕃害(ばんがい)事件」(5分22秒、30年に大阪本社が制作)と題された映像は、詳しい経緯ははっきりしないが、90年代前半、台湾の戦前史研究に熱心な三田裕次さん(60)=東京都小平市=の手元に渡った。台湾の博物館から映像がないか問い合わせを受けた朝日新聞社が探していたところ、三田さんの手元にあることがわかり、このほど寄贈を受けた。 映像は「台湾総督府撮影許可」の字幕で始まり、地元民らの子弟が通う「霧社公学校」の校内などが映し出される。日本軍と地元民が対峙(たいじ)する様子もある。「警手」と
【大同村(台湾中部南投県)=栗田秀之】台湾中部、南投県の山間部に住む先住民族が一九三〇年十月、日本の統治に反発、蜂起した「霧社事件」から七十九周年の二十七日、同県大同村(霧社)で祈念式典が開かれた。 事件は、高圧的な同一化策などに反発したセイダッカ族の一部が地元の学校や警察などを襲い日本人百三十四人が死亡。日本側は鎮圧に乗り出し翌年までに約千人の先住民族が死亡したとされる。 式典では、集落のリーダーだったモーナ・ルダオのひ孫モーナ・パワンさん(50)が来年の八十周年に合わせ、事件の舞台となった学校(現在は電力施設)を記念館として整備するよう求めた。パワンさんは「愛と包容の気持ちで、日本人も含めた犠牲者を追悼していきたい」と話した。
今日は台湾留学の奨学金申請の書類を漢語(中国語)で書いていたけど(気が早い)、やっぱり簡体字(かんたいじ:大陸で使われる字)ではなく、繁体字(はんたいじ:台湾で使われる画数の多い漢字)で書かないといけないのかなとか、 日本で一般的に使われる「中国語」という言い方を、「漢語」(漢民族の言葉)ではなく「華語」と書くべきなのかとか、中国(南京)に行ったことがあるとか書いていいのかといろいろなことを考えながら書きました。 「中国語」といっても、中国には漢語以外に広東語、上海語、ウイグル語などの少数民族の言葉などいろいろあるので、「国」のことばと言ってしまっていのかという問題があるということを、金静美(きむちょんみ)さんがおっしゃっていました。 今度「漢語」と「華語」のちがいを台湾の友達に聞いてみようと思います。 * 1年半前に台湾に行ったとき、私を連れて行ってくれた友達のだんなさんが旅行を計画して
きのう、二〇〇七年四月一五日(日)の「朝日新聞」は、朝刊一六面の全ページを使って「霧社(むしゃ)事件」を報じました。 日清戦争で勝利した日本は、一八九五(明治二八)年、清国領の台湾を日本の植民地にしました。ところが台湾の山岳地帯に住む原住民は、平野部に住む漢民族とは、ことばも生活習慣も違い、なかには、日本人からみて野蛮な首狩り、刺青などの原始生活が残っていました。 日本の台湾総督府は、それらを改善させようとして、原住民が受け入れられない過酷な政策で迫ります。だから原住民は絶え間なく抵抗し、その最大の反日爆発が一九三〇(昭和五)年の「霧社事件」だったのです。日本統治から三五年目のことでした。 モーナ・ルーダオというすぐれたリーダーにひきいられ、山岳地帯に駐在する日本人小学校の、連合運動会開催中の日本人を襲撃して一二四人を殺害します。また駐在所を襲って武器弾薬を奪い日本軍、警察と戦いました。日
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