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2008年8月15日のブックマーク (5件)

  • 2008-08-14 - 録

    以前、他人の傷をいやすことで自分の傷をもいやす人、としてユタとイタコをあげた人がいたのを思い出した。そのときは、このあたりは時代がつくる「狂気」 精神医療と社会 (朝日選書 825)の第一章・第二章的に見るとちゃんと前史として系譜にあげられそうでおもしろいなあと思ってたのだけれど。 他人を助けることは難しい。自分に力があっても、いや力があるがゆえの、他人を助ける難しさ。 力で見えるもの以上を彼女は読まないし告げない。推量でものを言わない。それは彼女が力じたいとそれを取り巻く諸々(「魔女」と呼ばれるような事態になることも含む)にふりまわされないようにと、身につけてきた処世術みたいなものかもしれない。彼女がそういう慎重さと誠実さを持っているから、周囲の人たちは彼女を受け入れる。 ……ただ、推量(とそれを行うための臨床に関する知識)が必要な時もあるんだよ、ね。それを使うタイミングをはかるのは難し

    annoncita
    annoncita 2008/08/15
    読もうかどうしようか迷ってた本。参考。
  • 知識の使い方 - novtan別館

    悲しいかな、血液型性格占いが根も葉もないでたらめだということを心理学的態度の初歩として学んでもそれを現実で開陳すると怒られたりしてブログでくだを巻くしかなかったりして。 せめて書店の心理学コーナーに置かれるそれらを何とかはしたいものだけど。 理解されない、わからないってレベルじゃない何かをどうにかしなきゃならないとき、一番の禁忌は自分の知識をもってそれを持たない他者を笑い飛ばすことかもしれない。それは自分の(その視点からの)優位性を容易に確認させてくれるだろうけど、それだけだ。

    知識の使い方 - novtan別館
    annoncita
    annoncita 2008/08/15
  • 「言ってることはわかるんだけど、愚弄されて素直にはいって言えるか!」 - novtan別館

    こんな状況ってないですかね。あとは「お前が言うな!」みたいな。言ってることは実に正しい(けど現実にするには血のにじむような努力と根性が必要)のに自分ではやらない上司とか。 業を煮やして相手をバカにして行き着く先は不毛な無理解の連鎖。 とはいえ、学問の徒はそれではいけません。 ウェブでの議論って積極的な目的がないから落としどころがわからないことも多くて、形而上の勝ち負けに終始しがちなのかな。論争的な発言の動機なんて「お前の物言いが気に入らない」くらいなものだし。 レッテルを貼ったり相手の知的レベルを規定してできることなんてその程度。せめて目的がはっきりしていれば何がしかを成し遂げられるかもしれないけど。あ、それが自分と違う考えを「排除」しようとするものだとダメっぽいけど。

    「言ってることはわかるんだけど、愚弄されて素直にはいって言えるか!」 - novtan別館
    annoncita
    annoncita 2008/08/15
  • 全人類が同意する絶対的価値観 - novtan別館

    ってのはないよね、今のところ。それに近いものはあるかもしれないけれど。 だから、哲学的な議論は重要だし、実学的な議論も重要。時には両者が密接に関連したものが出てきて、社会の有り様まで変わっていったりする。 最適じゃないかもしれないけどそこそこ安楽なフェーズに入ってきて、最適の問題でははかれない色々な問題を見る余裕もできて。傍観者として、切実性のないところで言っていることなんて大抵は観念論に過ぎないか、そのうちそうなったらよいね、ということに過ぎないのではある。けれども、決して無視は出来ない。というより、何かしらそういうもので押しとどめないといけないほどの力を手にしてしまっているから。 その何かってのも実際には恣意的に選択されていて、もっともらしい理由がついてるだけなんだけどね、多分。 純論理的にはあり得る展開は、おそらく永久に純論理的でたとえそのことが現実に到来したとしてもそれはその純論理

    全人類が同意する絶対的価値観 - novtan別館
    annoncita
    annoncita 2008/08/15
  • 「選択肢の確保」と「規制の強化」 - NATROMのブログ

    助産所の嘱託医がヤブだったせいで死産になったと主張される例*1。 ■【お産難民を救え 助産師はいま】(4)母としての自覚(MSN産経ニュース) 白木の小箱にわが子を納め、女性は病室で手を合わせた。妊娠5カ月で陣痛がきてしまい、出産する予定だった助産所から嘱託医のいる産婦人科に駆け込んだ。ところが、「うちではどうしようもない」と言われ、別の病院へ回された末の死産だった。「早く何とかして!」という叫びは、届かなかった。 大阪府のこの女性は13年前の体験を思いだすと今も涙がこぼれそうになる。嘱託医は長らくお産を扱っていなかった老医師だった。退院後、女性は「あの医者では嘱託医の意味がない」と助産所に告げた。親身になってくれた助産所を恨んではいなかった。しかし、言わなければ同じ悲劇が繰り返される。助産所は別の医師と契約し直したという。 13年前というから1995年ごろの話であろうか。上記のケースでは

    「選択肢の確保」と「規制の強化」 - NATROMのブログ