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ブックマーク / finalvent.hatenadiary.org (5)

  • こういう歴史もあるんですけどね - finalventの日記

    と、ウィキペディア⇒済州島四・三事件 - Wikipedia 済州島四・三事件(チェジュド(さいしゅうとう)よんさんじけん)は、1948年4月3日に現在の大韓民国南部、済州島で起こった人民遊撃隊の武装蜂起にともなうとされる虐殺事件。南朝鮮労働党が関わっているとされ、政府軍・警察による粛清と鎮圧によって、多くの島民が虐殺された。またこの事件は麗水順天の抗争の背景にもなった。 ちなみに日の独立は1951年。このあたり、どうも若い人と話していて、れれれ感があるけど、敗戦の45年から6年間日ってなかったんですよ。 流刑地だったことなどから朝鮮土から差別され、また貧しかった済州島民は、新天地を求めて日へ出稼ぎに行き、定住する者もいた。韓国併合後、日統治時代の初期に朝鮮から日に渡った20万人ほどの大半は済州島出身であったという。日の敗戦による朝鮮半島解放によってその3分の2程は帰国したが

    こういう歴史もあるんですけどね - finalventの日記
  • toroneiさん、それは本当に違うんだよ - finalventの日記

    はてなブックマーク - 毎日社説 社説:小沢民主代表 やはり世論は厳しかった - 毎日jp(毎日新聞) - finalventの日記 toronei 社会, 政治, news, media もう自分は小沢に期待していない、といいながら、ここまで擁護しているのも凄い。 2009/03/10 toroneiさん、それは当に違うんだよ。 小沢を擁護しているんじゃなくて、検察権力が恣意的に正義のツラをして市民社会に介入してくるのを市民はいわば性として批判しないといけないということ。それは市民の義務にも近いものなんですよ。 今回は、それがたまたま小沢だったし、小沢は、私がそう望むという意味ではないし、実際には不可能なんだけど、世論調査からみる動向では一国の総理になりうる人だった。それを検察権力が市民の手の届かないところで打ち落としてしまったということなんですよ。実際に総理ではないし、まあ、昭和

    toroneiさん、それは本当に違うんだよ - finalventの日記
  • 朝日社説 妊婦死亡―救急医療にもっと連携を : asahi.com(朝日新聞社):社説 - finalventの日記

    総合周産期母子医療センターは最後のとりでだ。そこが役割を果たせないようでは心もとない。産科医不足という事情があるにしても、東京都には急患に備える態勢づくりにさらに努力してもらいたい。 「産科医不足という事情があるにしても」か。 ところが、墨東病院では産科医が減ったため、7月からは週末や休日の当直医は1人になり、急患の受け入れが原則としてできなくなっていた。 この日は土曜日だった。1人だけの当直医は受け入れを断り、他の病院を紹介したという。紹介した病院にも「空きベッドがない」などの理由で次々に断られ、墨東病院は2度目の依頼で医師を呼び出して対応した。 いくつもの病院で受け入れを断られた背景には、都市圏ならではの要因もある。地方と違って医療機関が多いため、ほかで受け入れてくれると考えがちなのだ。 仔細がいろいろありそうな感じがするので私はなんとも言い難い。 そうした考えが、危険な出産に備える医

    朝日社説 妊婦死亡―救急医療にもっと連携を : asahi.com(朝日新聞社):社説 - finalventの日記
  • 人の話を聞くというか - finalventの日記

    を読まない人間 私はを何冊読むかというのはどうでもいいことじゃないか以下略なんだけど。 繰り返し読むは、その著者の内的な感覚に耳を澄ましているという感覚がある。 というか、人の話を聞いているというか。 私は若い頃、今でもそうかな、人の話を聞かないとよく叱責された。この話は書いたけど、それは大半は私がさっさと話をマクロ処理してその権力性を脱色してしまうからのようだ。人の話を聞けというのは、ようするに命令なのだから。 それはそれとして。 私は、人の話を、自分としてはよく聞いている。声とか論理とか、特に、言葉と言葉使いの感性を。 特に、言葉のなかのある内的な感性の揺らぎみたいのを聞き分けようといつも無意識の努力をしている。 文章のうまい人や頭のよい人というのはいて、そういう人は、ある程度文章をそのままマシン的にかける。わかりやすく明解というか。でも、そこの内的な感覚はおもむろに欠落してい

    人の話を聞くというか - finalventの日記
  • ついでに - finalventの日記

    私なんか、他人は私をわかってはいないな、という以前に、関心すらもっていないな、私は質的にこの世界・世間の傍観者だなと、とは思っている。なんつうか、なんかの間違いで存在してしまったような。 それはそれとして。 自分に疑念を持たない一群の人がいる。罵倒とかする人とか、自分が頭がいいと思っている人とかもそうかな。こういう人たちも、自身を人がわかってないな、バカばかりだなと思っているのだろうけど。 そのあたりの人に出会うと、ネットでもそうかな、私は引くなあ。 よくわからないのだけど、そのあたりの人が私に絡んでくるとさらに、困惑する。それって原理的に無理でしょ。ようするにあなたらは私の思念などゴミというか無価値だと思っているのでしょ。(でもだったら私をほっといてねというか。) で。 矛盾しているのは、私はそうはいっても、どこか私を無視しないでメッセージを微妙に出しているのだろうなというのと。 それ

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