芸術の美徳というのは、鑑賞者が「誤読」する余地があることです。 実例を挙げましょう。たとえば次の絵を見て、みなさんは何を思いますか?これはぼくが大好きな絵のひとつです(イヴ・タンギー「無限の可分性」)。 ぼくはこの絵を観て、タンギーは「人間が原子になる以前に見た世界」を表現していると、直感的に解釈しました。著者の考えは知りませんが、かなり高い確率でこれはぼくの「誤読」でしょう。ではぼくの解釈が「間違っているか」というと、決してそんなことはありません。芸術の解釈はオープンであり、鑑賞者の数だけ可能性があるのです。 音楽も同じです。たとえばマーラーの第三番。 この楽曲はニーチェの哲学を反映していると言われます。「著者の真意」はそこにあります。が、鑑賞者であるぼくらはそんなことは知りませんし、知らずとも楽しむことができます。 人によっては、ここからキリスト教の思想を読みとるでしょう。ニーチェは一
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