中学2年の頃、中学にブラスバンド部が出来た事をきっかけにトランペットを始める。高校時代には1962年の岡山国体の式典でファンファーレを演奏する。高校卒業後、一旦は楽器メーカーに就職するもすぐ退社、キャバレーのバックバンドのアルバイトで得た収入を元に国立音楽大学に進む。北村源三に師事。国立音楽大学には、高校時代の後輩である吉田憲司と一緒に入学。吉田卒業後も東京ユニオン、スタジオ、ステージで長年仕事をする。 大学入学後にプロに転向(大学は中退)。高橋達也と東京ユニオン、宮間利之とニューハード、原信夫とシャープス&フラッツ、前田憲男とウィンドブレーカーズなどのビッグバンド(シャープス&フラッツ、ウィンドブレーカーズなどではリードトランペットを担当)を経てスタジオ・ミュージシャンに転向する。スタジオ・ミュージシャンとしての活動範囲は演歌、ポップス、クラシック音楽、ジャズ、フュージョン等ジャンルを問