第6志望まで全落ち 実は「受験失敗組」だった女優、芥川賞作家、編集長らが見つけた"答え"とは? ぶらり不登校 それからは、ほとんど記憶がありません。第二志望校の合否発表の際、自分の受験番号が書かれていないボードを見ていたのは覚えています。ほかの学校は、すべて母親が見に行ってくれ、「落ちてたよ」と教えてくれました。 どの学校にも合格せず、受験が終わったとき「もう人生は終わりだ」と思いました。通っていた塾の講師から「偏差値50以下の人は、この先、人生がないと思っていてください」と言われていたからです。今後の将来に、どうしても希望が持てませんでした。 私の受験失敗への思いは、このあと2年間ほどこじらせて、不登校へとつながっていきます。 この思いが完全に晴れたのは10年後。21歳になったころ、『不登校新聞』に入って数学者・森毅さんの講演を取材した際のことです。講演中、森さんは「受験生のみなさんへ」