左手の指先にかすかな痛みがあった。もちろん、そんなはずはない。俺はもう、すべての両手足を失っているからだ。
期間限定サイト「村上さんのところ」をご覧いただきまして、誠にありがとうございます。 連日たくさんのアクセスをいただきました当サイトですが、2015年5月13日をもって、公開を終了させていただきました。当主の村上春樹さんは、しばしの休憩をとったあと、本来の小説のお仕事に戻っていらっしゃいます(当主からの最後の挨拶はこちら)。 1月15日のオープン以来、119日間という限られた期間でしたが、読者のみなさまと村上さんとの交流はたいへん面白く、そして意義深いものとなりました。3万7465通のメールをお寄せいただいたみなさん、そして、最後までご愛読いただいたみなさんに、あらためて感謝を申し上げます。 なお、当サイト上での質問者のみなさまと村上さんとのやりとりは、編集の上、新潮社より出版されます。くわしくはこちらをご覧ください。 新潮社 チーム縁の下
思い出のマーニー、良かったです。 それに触発されたかも知れません。コミュニケーションについて個人的なメモも兼ねて。少々長文で以下マーニーとは(ほぼ)関係がありません。 今でこそ、インタビューや司会・講演のお仕事などもさせて頂くようになりましたが、大学生のころまでは人前で話すことが本当に苦手で、飲み会でも貝になっているクラスタでした。自分が話したことが、相手にどう受止められるのか、とても怖かったんだと思います。 それを変えるきっかけになったのが当時の先輩で、とにかく何か話せ、自分がフォローするからと言ってかなり強引に背中を押してくれたんですね。最初のころは、「僕つまり・・・思う・・・こういう風に」という具合に日本語としてもかなり危なげだったはずなのですが、その都度その先輩が「まつもと、面白い!」ってフォローしてくれて、だんだんと自信がついていったのを覚えています。 当時から文章を書くのは得意
『坊っちゃん』自筆原稿 読みやすい文章とは、流れるように読める文章だ。難しい言葉はいらない。気のきいた言葉もいらない。文頭から文末まで振り返ることなく読める文章が、最も美しい。 読みやすさの基準は客観的なものだ。読み手には様々な人がいる。老若男女すべての人に対して読みやすい文章を書くのは難しい。ただ、綺麗な文章を書こうとする意識は持ちたい。 文章を書く上で意識すべき技法を紹介する。 常体と敬体 常体とは「だ・である」調の文章であり、敬体とは「です・ます」調の文章を指す。それぞれにメリットとデメリットがある。 常体は、自分の意思を力強く伝える事ができるが、我の強い文章になる。敬体は、優しい印象で共感を得やすいが、まわりくどい文章になる。 常体と敬体を織り交ぜて書く手法もある。まずは自分で試してみて、書きやすい文体を見つければいい。 文章の始まりは短く 最初の一文は短いほうがいい。インパクトが
えっと、今週金曜日に「ツブヤ大学特別講座 「ウェブ時代の文章読本2013」」というイベントに、山本一郎さんやLINEの佐々木大輔くんや日経BPの竹内靖朗くんと出演します。もしお暇な方いらっしゃったらぜひ。 で、このイベントに出るということで、しばし思い返してみたのですが…… 小鳥ピヨピヨをはじめてから、先月で、10年になりました。 10年というと結構大きなひとかたまりです。そんなに長く続けていれば、さぞかし文章力も上がったことでしょう。 どれどれ、10年前の記事を読み返してみようかな。 ……あれ!? 思ったより変わっていない(泣)? いやいやいや、しかし、自分としては、相当に試行錯誤してきているのです。 きっと螺旋のように、いつも同じような位置に戻りながら、よく見るとわずかに上に上がっているはずです。 たぶんそう! きっとそう! と、いうわけで、今日はこの10年の、文章面での試行錯誤を振り
書くことはどのようにして学ぶことが、いや鍛えることができるのか? 書くことによって、というのが唯一正しい答えである。 書くのが苦手な人は書くことをできるかぎり回避する。そうして苦手意識をつのらせる。さらに書くことを回避する。この悪循環を断ち切るには、嫌でも書くしかない。 対して、書くことを楽しむ人は、放っておいても何か書く。書き続ける。 アメリカのミステリー作家ローレンス・ブロックは、Writing Digest誌の連載コラムで、最悪の長編小説を3つ書き上げた男の症例を紹介している。 最初の1篇は、ブロックが最大限の親切心を動員しても一句たりとも良いところがない、それどころか直すことさえ不可能なくらいひどかった。なのに男は次の本を書き始めた。 完成した2つめも最悪といっていい出来だったが、1作目を知る数少ない人たちには大きな改善が感じられた。男はまた次の本を書き始め、書き終えた。 これまた
あさ、眼をさますときの気持は、面白い。かくれんぼのとき、押入れの真っ暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんに、がらっと襖(ふすま)をあけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに、「見つけた!」と大声で言われて、まぶしさ、それから、へんな間の悪さ、それから、胸がどきどきして、着物のまえを合せたりして、ちょっと、てれくさく、押入れから出て来て、急にむかむか腹立たしく、あの感じ、いや、ちがう、あの感じでもない、なんだか、もっとやりきれない。箱をあけると、その中に、また小さい箱があって、その小さい箱をあけると、またその中に、もっと小さい箱があって、そいつをあけると、また、また、小さい箱があって、その小さい箱をあけると、また箱があって、そうして、七つも、八つも、あけていって、とうとうおしまいに、さいころくらいの小さい箱が出て来て、そいつをそっとあけてみて、何もない、からっぽ、あの感じ
がちがちに堅い敬語は使わなくても、目上の人やお客様宛のメールはやはりある程度敬語を使って書くものだと思います。 よく お待ちしています。 とメールの文章にありますが、 これは お待ちしております。 と書くほうが丁寧できちんとした印象で伝わります。*1 × お待ちしています。 ○ お待ちしております。 × よろしくお願いします。 ○ よろしくお願いいたします。 × うかがわせていただきます。 ○ うかがいます。 × いかがいたしますか? ○ いかがなさいますか? × ご覧になられましたか? ○ ご覧になりましたか? × お目にかかりますか? ○ お会いになりますか? 細かいことですが、メールを受け取ったあと気にする方は気にされます。一通りおさえておくとよいかと思います。 また上から目線にならないように気をつけたいというのもあります。 例えば「特に問題ありません。」「別に構いません。」というの
英語で論文を書かなくてはならない研究者(たまごを含む)のために、英語論文の表現例文集がたくさん出版されている。 というのも、論文には、その構成にも言い回しにも〈定形〉がある。 自分の頭で一からひねり出すよりも、おきまりのパターンを活用した方がはやく良い結果を得られる。 普段、論文を書いていない、というか今まで書いたことがない人は、論文の書き方についてストックがないのだから、例文集から「借文」した方が効率的である。 本当は論文を書くのに先立って、他人の書いた論文をある程度読めば、そうしたパターンは自然に頭に入ってくるものである。 しかし「あるべき論」だけでは地球は回っていかない。誰もが夏休みの宿題を7月中に終わらせる訳ではないのだ。 以下、「借文」できるよう、論文に使われる表現・例文を集めてみた。 あまりボリュームがあっても使いにくいだろうから、数は絞りに絞ってある。 より多くの表現が必要な
僕は特に理由も無く、生まれて初めて一人でファミレスに入った。コーヒーは酷くまずく、冷房は効きすぎていて、ウェイトレスは象のように無神経だった。あるいはそれは、僕がただその一人でファミレスにいると言う状況に慣れていなかっただけかもしれない。その妙な感覚は、僕の現実的な認識能力に結構大きな影響を与えた。例えば、僕は水を飲むときに息を目一杯吸い込んでから飲み始めることに気づいた。それは水泳部に在籍していた時に得た水に対する本能的な癖のように思えた。また、パン屋再襲撃において彼らが食べる強奪されたビッグマックは、製造されてから30分以上経っている時点でその商品価値を失っており、彼らに対してかけられた呪いの本質は資本主義的には解けていないように感じられた。さらに、妙に値段の高いクラブハウスサンドを食べ終わった後、僕はある思考の流れと行動をして、そのことに奇妙な既視感を得ている自分を発見した。僕はその
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