タグ

ブックマーク / www.jcp.or.jp (2)

  • 副大臣「何人死んだ」/米軍事故 志位質問に暴言ヤジ

    沖縄県で続発する米軍機の落下物事故や不時着についてただした日共産党の志位和夫委員長の代表質問(25日、衆院会議)に、自民党席から「それで何人死んだんだ」とのヤジが飛びました。 松文明内閣府副大臣(衆院東京7区)が会議後、紙の取材に対し、「僕の発言だ」と認めました。同氏は元沖縄・北方担当副大臣。 ヤジは、志位氏が部品落下のあった保育園の保護者の不安の声を紹介し、ここ1年半で起きた事故・不時着は県全土にわたるとして、「危険な基地が沖縄にある限り、危険は変わらない」と強調し、普天間基地の無条件撤去、辺野古新基地建設の中止、沖縄からの海兵隊の撤退を求めたところで出ました。 松氏は、「死者が出なければ良いという考えか」との取材に「そんなことは全然ない」と開き直りました。

    副大臣「何人死んだ」/米軍事故 志位質問に暴言ヤジ
    asahiko
    asahiko 2018/01/26
    無茶な話だが、こんなレベルの発言には共産党も「ならば何人死ねばご対応いただけるのか」と訊き返すべきであった。それくらい言わないとこのような政治家は自身の発言の下劣さに気づかない。
  • 日本の領有は正当/尖閣諸島 問題解決の方向を考える

    沖縄の尖閣(せんかく)諸島周辺で今月、中国の漁船が海上保安庁の巡視船に衝突し、漁船の船長が逮捕されたことに対し、尖閣諸島の領有権を主張する中国側の抗議が続いています。日共産党は、同諸島が日に帰属するとの見解を1972年に発表しています。それをふまえ、問題解決の方向を考えます。 歴史・国際法から明確 尖閣諸島(中国語名は釣魚島)は、古くからその存在について日にも中国にも知られていましたが、いずれの国の住民も定住したことのない無人島でした。1895年1月に日領に編入され、今日にいたっています。 1884年に日人の古賀辰四郎が、尖閣諸島をはじめて探検し、翌85年に日政府に対して同島の貸与願いを申請していました。日政府は、沖縄県などを通じてたびたび現地調査をおこなったうえで1895年1月14日の閣議決定によって日領に編入しました。歴史的には、この措置が尖閣諸島にたいする最初の領有行

  • 1