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ブックマーク / blog.nay3.net (2)

  • 怒りの文化についての考察 - いつの日か霧が晴れて

    怒りの文化 以前書いた記事 怒る習慣はどこから来た? - いつの日か霧が晴れて で触れたとおり、私は、習慣として怒っている人たちの間には、ある種の共通的な文化があると感じている。この記事では、そのことを紹介してみたいと思う。 私がこの文化の存在に気づいたのは、アドラー心理学と出会うよりも2〜3年くらい前のことになる。(従って、このアイディアには必ずしもアドラー心理学に沿わないものも含まれているかもしれない。) 気づいた当初、私はこの文化に自分なりの名前をつけた。その名前は「怒り貨幣経済」である。 「怒り貨幣経済」の特徴 私が思う「怒り貨幣経済」の特徴は次のようになる。 習慣として怒っている人たちは、自分の怒りも他人の怒りも非常に気になる。怒りは基的に着目すべき現象、解決されるべき問題だと考えている。 誰かが怒っていることはある種の「チャレンジ(挑戦)」である。怒りに “正当性” があると

    怒りの文化についての考察 - いつの日か霧が晴れて
    asonas
    asonas 2017/08/02
  • 子供への接し方を変えてみた - いつの日か霧が晴れて

    子供の教育 前記事 怒る習慣はどこから来た? - いつの日か霧が晴れて で書いたように、私は「怒るほうが都合が良ければ、怒ることを気に入る」という仮説に辿り着いた。そこで、私はこの仮説を、自分にとってのもう一つの重要課題である、子供の教育に役立てようと考えた。 娘は4歳になるが、よく怒る。怒るときのパワーは非常に激しい。2歳くらいにはそういう傾向がはっきりしていたので、ある程度、子供の生まれついての性質というものも否定できないとは思っている(これは自分についても言える)。ただ、私の実家では、怒りっぽさはすべて生まれついての性質だとして怒りについて教育を施すという観点が希薄だったが、私は今は教育ということに可能性を見いだしている。 勇気づけと「怒り」 アドラー心理学では、子供に対して*1「勇気づけ」を行うことが推奨される。これは、(子供が自立した大人になるにあたって)望ましくない状況の背景に

    子供への接し方を変えてみた - いつの日か霧が晴れて
    asonas
    asonas 2017/04/06
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