PHSが新たな時代を迎えている。携帯電話サービスの低価格化、高機能化の波に押され、ユーザー数は減少の一途をたどり、事業者は次々と撤退、一時は衰滅の危機のふちにまで追い込まれたかに見えたPHSだったが、音声定額制という武器を得て息を吹き返し、日本型スマートフォンの投入により、さらに脚光を浴びた。次はいっそうの高速化を期すなど、進化への足取りは休む間もない。そのPHS復活の立役者の一人といえるのが、ウィルコム技術陣を牽引する近義起執行役員副社長だ。日本のPHS誕生の現場に立会い、産業としてのその浮沈をつぶさにみてきた。 ウィルコム執行役員副社長の近義起氏 1995年に国内でサービスを開始したPHSは、97年には700万台を超えたが、それを頂点として、その後は右肩下がり傾向に陥った。そのようななか、PHSはデータ通信に一つの活路を見出し、市場での一定の地位を得た。とはいえ、もはや、音声通話は専ら