幼女が常世をさまよう冒頭は「コスモナウト」の援用だろう。コスモナウトの冒頭では、タカキ君が明里の幻とマヨイガでデートする様子が活写された。幼いすずめもマヨイガ酷似の曠野に迷い込んでいる。顔を上げるとその先には明里っぽい人影がある。わたしはギャッとなった。 『すずめの戸締まり』がコスモナウトの冒頭を引用するのは正しい。明里に未練があるタカキ君と同じように、すずめも母に呪縛されている。コスモナウトのマヨイガを踏まえると、すずめを呪縛するのは常世の明里らしき人影だと誤解してしまう。すずめの人生の課題を提示しながら誤誘導が仕込まれている。 ギャッとなった件は他にもある。御茶ノ水の地下ですずめに拒否られ萎れてしまう猫である。自分が全く相手にされていなかった。それどころか、自分の好意に女は迷惑すらしていた。これほど切実な恋の苦悶を新海作品で見られたのは秒速以来だろう。萎れ方もたまらない。覇気を失った男