2008年9月5日のブックマーク (2件)

  • よしながふみ『フラワー・オブ・ライフ』

    よしながふみ『フラワー・オブ・ライフ』 無条件で自分を受け入れてくれる居場所 雨宮処凛・萱野稔人『「生きづらさ」について』の評を書いたとき、精神的な「生きづらさ」の根源の一つに、たえず高度なコミュニケーションによって自分の居場所を構築し、そのなかで自分の価値を証明せねばならず、そこに疲れ果て、あるいはそのコミュニケーション合戦に敗れたものは「いじめ」や「リストカット」の「罰」を受けることになってしまう、ということをぼくは紹介した。 そして、ぼく自身の体験として、ぼくがいる左翼組織は、無条件で自分を受け入れてくれる居心地のいい場所になっている、ということを書いた。 ぼくのこの書評について、ちょっとソーシャルブックマークがついているんだけど、そこに「右翼組織でも宗教組織でも同じじゃね?」と書いている人がいたけど、居場所の問題だけでいえばたしかに同じだといってもいい。 無条件で自分の存在を認めて

    atoz
    atoz 2008/09/05
    しかしこの「空気読みすぎ」感は息苦しくもある。まーそういう時は漫画ゴラクでも読みなさいということか。
  • 森の路はずれ | ヒロインに好かれたい――ジャンルの起源・プレイヤーの原質

    そもそも、ぼくには「自分に好意を寄せてほしい」という欲望はないと思う。エロゲはプレイするけれども、別にエロゲのキャラクタと恋愛したいわけではない。 そしてぼくはとくに自分が少数派だとは思わない。ぼくみたいな人間はたくさんいると考える。「オタクは皆美少女キャラに好かれたがっている」というのは、やはり極論だろう。(Something Orangeさん) なんというか、エロゲーのヒロインに好かれたいとは思っていない、そうさっぱり断定してしまえるというのは、個人的にちょっと寂しいなあと思った次第であります。 エロゲーというものがゲームであり、ゲームであるのならプレイヤー個々人のプレイ動機というものが発生するでしょう。プレイヤーは何を目的としてエロゲーをプレイしているのかといえば、小説映画のようにただ純粋に読みたい、鑑賞したいというとりたてて意識するほどのこともない純然たる動機があるのは当然にして

    atoz
    atoz 2008/09/05
    「エロゲーとは恋愛を描いたものであるのに、ヒロインと恋愛せずに何が得られるというんだろう。他人の人生を描いた作品を鑑賞するのに、その人生を自らに映し替えずして何が得られるというんだろう」 至言である。