1976年6月27日にイスラエルのテルアビブから出航し、給油と乗り継ぎのためギリシャのアテネ国際空港に着陸したフランス、パリ=シャルル・ド・ゴール空港行きのエールフランス139便(エアバスA300B4-203、機体記号F-BVGG)は、離陸直後に4名のテロリストにハイジャックされた。 ハイジャック犯は「パレスチナ解放人民戦線・外部司令部」(通称PFLP-EO:パレスチナ解放人民戦線の分派)のメンバー2名と西ドイツのテロリストグループ「革命細胞」(Revolutionäre Zellen、略称RZ)のメンバー2名であった。 248人の乗客とミケル・バーコス機長以下12人の乗員を乗せたエールフランス機は、ハイジャック犯の指示に従い、リビアのベンガジにあるベニナ空港で7時間かけて給油とイギリス人の妊婦、身体障害者の人質の解放を行い、その後ウガンダのエンテベ国際空港に強行着陸した。 イディ・アミン