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ブックマーク / reki.hatenablog.com (28)

  • 「オーストリア継承戦争」「七年戦争」の流れを解説 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    戦争が比較的シンプルなものだった時代の感覚 戦争が今のように政治や経済、イデオロギーや宗教、少数民族問題や資源問題など複雑な問題を含むものになる前、18世紀の戦争はもっと戦争はシンプルなものでした。 ヨーロッパで行われる国家間戦争は、簡単に言うと領土と王権をめぐる戦いでした。自分の息のかかった、ないし影響力の強い一族や近親者を他国の国王に就かせようとするという目的と、富裕な工業地域や戦略的要衝を獲得するということをほぼ同一的に捉えており、国の発展と王族の名誉が同一視されていたような感覚です。 その典型的な戦争のサンプルとして、今回はオーストリア継承戦争と続く七年戦争を解説します。この戦争はオーストリアの王位をめぐる他国の介入に始まり、領土をめぐる因縁から泥沼の戦いに入り、それが他国の介入を招いて新たな戦争を誘発していくことになります。 1. マリア・テレジアの即位と列強の介入 オーストリア

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  • 墓が見つかっていない世界史の超有名人物10人 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    未だに捜索が続く世界史の英雄の墓 歴史に名だたる英雄の墓は後世の人に敬われ大切にされれる、ということであればいいのですが、全然そんなことありません。 盗賊に盗掘されたり、政敵や敵民族によって暴かれ遺骸や遺骨を燃やされて捨てられたりすることもありました。そういうわけで死後の安寧のために、自分の墓を隠す権力者は多くいました。 その他にも、どういうわけか墓の場所が紛失して見つからないケースなど、歴史上の偉人だけど墓がまだ見つかっていない人物をピックアップしてみます。 1. アッティラ 「神の災い」と恐れられた男の墓 アッティラはご存じの通りフン族の大王。ゲルマン民族を圧迫しつつ、ローマ帝国に侵入を繰り返し、ハンガリー平原を拠にして現在のロシアからドイツにまで至る大帝国を築いた傑物です。そんな傑物は453年に有名な拍子抜けするような死を迎えました。 このエピソードはゴート人の歴史学者であるヨルダ

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  • 豆腐の歴史 in アメリカ - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    ダイエット、ビーガンフードの代表格・トーフ 豆腐はもはや世界的に一般的な材となりました。 特にアメリカでは1970年代からローカロリーながらプロテインが摂れる栄養として注目されて以来、年々普及が進み、スーパーマーケットで普通に売られるくらい品となりました。特に最近では、ダイエットフードやビーガンフードの人気の高まりで、意識が高い人の間では豆腐は常となりつつあります。 アメリカにでの豆腐の製造が始まったのは意外と古いのですが、普及には100年近くの時間がかかっています。今回はアメリカにおける豆腐の歴史を簡単にまとめます。 1. 初期の時代 アメリカ人の豆腐の"発見" アメリカ人で初めて豆腐について言及したのは、アメリカ独立功労者の一人ベンジャミン・フランクリンと言われています。 彼は1770年1月11日に、ロンドンからペンシルバニア州フィラデルフィアのジョン・バートラムに宛てて大豆を

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  • 「反穀物の人類史」書評 - やっぱ国家ってロクなもんじゃねえな - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    世界史を見る視点が大きく変わる壮大な文明論 「反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー」ジェームズ・C・スコット著(みすず書房)を読みました。 紀元前4000年から紀元前2000年の時期に、我々の祖先が作り上げた「国家」という仕組みがどのように成立したか、その中で穀物がどのような役割を果たしたかを、考古学・人類学のファクトを元にし壮大で大胆な仮説が提示されています。 その中で国家が民を支配していく中で、税が課され、兵役や労役が課され、疫病が流行り、ロクなもんはえず、人間が自分たちをどんどん不幸な方向に追い込んでいく様が描かれます。 賛否はあると思いますが、「何だ、やっぱ国家ってロクなもんじゃねえな」という感想を持つ人もいるかもしれません。 1. なぜ国家は生まれたのか 書の筆者ジェームズ・C・スコットはイェール大学の人類学者・政治学者。東南アジアをフィールドとし、地主や国家の権力

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  • 古代の人々が夢中になった7つのボードゲーム - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    古代から人々の暇を潰してきたボードゲーム ボードゲームの人気がずっと続いてますね。 ちょっと前までは、ボードゲームといえば、伝統的な将棋や碁、麻雀、チェス以外には、オセロ、ドンジャラ、人生ゲーム、モノポリーくらしかありませんでした。 今や、海外製のユニークなボードゲームがたくさん入ってきて、子ども向けの分かりやすいものから、大人が眉間にしわ寄せて考える戦略的なものまで様々あります。 ボードゲームは古代から様々な種類があり、碁やチェス、バッグギャモンのように古代に生まれて現代まで遊ばれ続けているものもあります。 今回はあまり日では知られていない古代のボードゲームを紹介しようと思います。 1. セネト(古代エジプト) 世界最古のボードゲーム セネトは古代エジプトで人気のあったボードゲームで、その歴史は紀元前3100年ごろとも言われるエジプト第一王朝にまで遡ります。エジプトではかなり普及してい

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  • ブーゲンビルの歴史 -ブーゲンビルは独立できるのか- - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo: New Zealand Government/Alex Smailes パプアニューギニアからの独立を求めるブーゲンビル 2019年12月11日、パプアニューギニア・ブーゲンビル自治州で、独立か自治拡大かを問う住民投票が行われ、98.31%が独立に賛成しました。国際的にも「新たな国家の独立なるか」と大きなニュースとなりました。 実際のところこの住民投票に法的拘束力はなく、パプアニューギニア政府が認めないと独立は果たせない状態にあります。 ところでなぜブーゲンビルは独立を求めているのか?そもそもブーゲンビルって何?歴史的な経緯をまとめていきます。 1. ブーゲンビルとはどういう場所か ブーゲンビルは太平洋のパプアニューギニア東部、北ソロモン州。その名の通り南東にはソロモン諸島があり、民族的・地理的・文化的にソロモン諸島のほうが近い場所です。ブーゲンビルの住民の中には家族や親戚が

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  • 聖母マリアはイエスの死後どこで何をしていたのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    聖母マリアの「老後の人生」とは 聖母マリアはキリスト教の宗教絵画に頻繁に描かれます。 天使から神の子を授かったとお告げを受ける「受胎告知」、イエスが馬小屋で生まれた「キリストの降誕」、幼いイエスを抱いた「聖母子像」、磔刑で死んだイエスを抱いて嘆き悲しむ「ピエタ」あたりがメジャーどころ。そのほか、妊婦の時や事のシーンなどさまざまなシーンが描かれています。 聖書の主要キャラクターの一人の印象すらありますが、実際のところマリアはあまり聖書には登場しません。大部分が聖書の記述を元に想像で描いたシーンです。中には「マリアの死」というモチーフの絵画もあります。ベッドに横たわりイエスの弟子たちに囲まれる姿が描かれるのが常ですが、これも想像。聖書にマリアの死は描かれていません。描かれていないのでマリアはイエスが死んだ後どういう人生を送ったか不明ですが、2つの説が存在します。 1. 聖書に記述のあるイエス

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  • 【WW2】枢軸国に入る可能性のあった中立国・準枢軸国 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    もしかしたら枢軸国の一翼になっていたかもしれない国 第二次世界大戦における枢軸国の主要参加国は、ドイツ、イタリア、日の三国です。 この他に枢軸国側で参戦した国は、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、スロバキア、クロアチア、フィンランド、タイが挙げられます。その他には傀儡政権がいくつか枢軸国入りしたケースもあります。例えば、ヴィシー・フランス、ギリシャ、アルバニア、ビルマ、ベトナムなどです。 連合国も活発な外交を繰り広げ自陣の国を増やしていたわけですが、枢軸国も様々な外交チャネルや陰謀を駆使して自陣を広げるべく画策していました。 その結果いくつかの国は、何らかの条件が重なれば枢軸国入りをしていた可能性がありましたが、結局中立を保つことになりました。 1. スペイン国 最も枢軸国側での参戦が有力だった国 1936年〜1939年のスペイン内戦は後に第二次世界大戦の実験場と言われた戦いで、ナチス

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  • トレビゾンド帝国の歴史 - 黒海にあったビザンツの亡命帝国 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    家崩壊後も生き延びたビザンツ帝国の亡命政権 トレビゾンド帝国は現在のトルコ共和国の一都市トラブゾンに13世紀から15世紀にあった国。 ビザンツ帝国を追われたコムノネス王家が流れ着き、同じキリスト教国のジョージア(グルジア)の支援を受けて成立し、イスラム教国を含む周辺国と協調しながら約250年間も生きながらえました。家ビザンツ帝国はオスマントルコに1453年に滅ぼされますが、トレビゾンド帝国はその後も数年生きながらえました。 今回はかなりマイナーなビザンツ帝国の亡命政権トレビゾンド帝国の歴史のまとめです。 お話は同じキリスト教徒がビザンツ帝国を攻めた第4回十字軍から始まります。 1.  第4回十字軍によるビザンツ帝国の中断 グダグダな第4回十字軍 1187年、エルサレム王国はアイユーブ朝のサラディンに敗れ、エルサレムの街は約200年ぶりにイスラム教徒の手に奪還されました。 これを取り戻さ

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  • 【中国史】なぜ明朝は「海禁政策」を始めたのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    明朝によるグローバルシステム構築の試み 経済発展と科学技術の発展が著しい中国中国政治・経済・科学についてのニュースを聞かない日はないくらい、国際舞台での中国の存在感は増しています。以前は国際秩序の構築には関心を示さなかった中国も、AIIBの創立などで中国発の政治経済交易圏を作ろうとしています。 これは歴史的に見ると目新しいことではなく、自国と体制の安全保障を確立しながらも、あふれんばかりの旺盛な人々の欲を御しながら、国家の元で適切に対外交易と経済発展を成し遂げようとする試みは、歴代の中国の王朝が常に頭を悩ませていた問題でした。 その一つの大きな試みが、明朝時代の「海禁政策」でありました。 1. 明初の対外課題とその対策 明王朝は元王朝末期の混乱状態の中で成立した王朝。創設者の朱元璋は最貧の乞僧から身を起こし皇帝にまでのし上がったどえらい男です。明朝成立後も中国の混乱はすぐには収まら

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  • イエス・キリストの「空白の18年間」の謎 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    イエスは若い頃世界各地を放浪していた? 「ルカによる福音書」によると、イエスは12歳の時に両親に連れられてエルサレムの神殿に赴いて教師たちの教えを乞うた出来事の後、賢くたくましく成長し、洗礼者ヨハネによる洗礼を受け30歳の時から宣教を始めたそうです。 この間の18年についての記述は第2章52節の一行だけで、その間にイエスが何をやっていたのか一切不明です。イエスが死亡したのは33歳なので、彼の生涯の大半がよく分からないということになります。 わずか3年で世界を変えた活躍をした人なので、10代後半から20代の活発で多感な時代に何か特別な経験をしたに違いないと考える人は大勢いて、中にはこの空白の18年間の間にイエスは世界を放浪し見聞を深めていたに違いない、と主張する人もいます。 1.  12歳から30歳までの空白の約18年 ルカによる福音書第2章42節から51節は、イエスがエルサレムの神殿で両親

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  • 【世界史】史上最もたくさんの子どもを作った王様トップ10 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    とんでもない数のタネを残した偉大な絶倫王たち もし王様として生まれたら、毎晩女をとっかえひっかえできるのになあ、と考えたことのある男子は多いと思います。 全ての王様がそのようなことができるとは限りませんが、今日の記事はそんな野郎どもがときめく夢のあるお話かもしれません。 正妃以外にあちこちに愛人や妾を作って、子どもを作りまくった王様が歴史上にたくさん存在します。今回はそのトップ10をまとめてみます。 この内容を不快に思う女性の方がいらっしゃったら、大変申し訳ありません。事前に謝っておきます。 10位:ラムセス2世(エジプト新王国第19王朝)100人以上 Photo by Hajor 古代エジプトの征服王 ラムセス2世は紀元前14世紀〜紀元前13世紀にエジプト新王国第19代ファラオであった人物。 北はパレスチナ、南はヌビアにまで軍事遠征して領土を広げた偉大なる征服王です。 さてラムセス2世は

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  • 深夜にじっくり見たい、世界史の「戦闘経過」の動画20本 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    じっくり歴代将軍の大戦術を楽しもう 動画サイトには数多くの歴史関連のコンテンツが上がっていますが、みんな見たいに違いないのが、戦闘経過の解説動画です。 ニコ動にはそれなりにあるんですけど、今回はYouTubeから英語圏の動画を20ピックアップしました。ぜひ帰宅後、寝る前の落ち着いた時間などにドリンク片手にじっくりお楽しみください。 できれば音声付きでご覧いただきたいんですが、状況によって音声を再生できないかもしれないし、再生しても英語なので、日語の簡単な解説も記載します。 1. 古代 実は戦闘経過動画で一番充実しているのが古代の戦闘動画なのです。 アレクサンドロス大王、ハンニバル、スキピオ、カエサルなど、偉大な将軍たちの戦いぶりはやっぱり興味ありますもんね。 1-1. イッソスの戦い(紀元前333年) www.youtube.com イッソスの戦いは、アレクサンドロス大王がペルシア帝国の

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  • 【下克上】奴隷が反乱を起こして打ち立てた「奴隷国家」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    現役の奴隷の蜂起によって成立した「奴隷の天下の国」 世界史の授業の中で「奴隷王朝」という名の王朝を知って興味をかきたてられた人は多いと思います。 マムルーク朝なんかもそうですが、イスラム圏では奴隷身分出身の軍人が力を蓄えて王朝をひっくり返して支配層に君臨することがあります。あくまで奴隷出身ということであって、現役の奴隷というわけではありません。 では、現役の奴隷が蜂起して自分たちの国を作ってしまったことはあったのでしょうか。 1. エウヌスの奴隷王国 (BC139?年〜BC132年) Photo by Eannatum シチリア島にできた奴隷によるオリエント的王国 この奴隷反乱は古代ローマで発生した最初の大規模な奴隷反乱で、紀元前139年または135年に起こったと考えられています。 当時ローマの穀倉であったシチリア島には、ローマの侵略戦争の結果アフリカやオリエントから大量の奴隷が流れ込み、

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  • 2010年代に独立を宣言したミクロネーション(自称国家) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    どんどん新しく生まれるミクロネーション 国際的には全く認められていないものの、ある特定の地域が勝手に独立宣言をする場合があります。ミクロネーションという名前で呼ばれ、日語では「自称国家」と言われます。 こういう地域は毎年のように新しく出来ていて、2010年以降もかなりの数が生まれています。 この記事では、2010年以降に独立を宣言し比較的メディアに露出し認知度の高いミクロネーションを紹介します。 1. フィレッティーノ公国(2011年独立宣言) 人口600人未満の寒村が独立を宣言 2011年9月、イタリア・ラツィオ州フロジノーネ県にあるフィレッティーノという人口600人未満の寒村が独立を宣言しました。 フィレッティーノはかつてはリゾート地として栄えましたが過疎化が進行。住民の数も減り、行政効率化のために近隣のトレヴィと合併が計画されていました。 イタリアでは日と同様、市町村合併が進行し

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  • 絶滅寸前の西ヨーロッパの少数民族(後編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    ひっそりと消えゆこうとしているヨーロッパの少数民族 西ヨーロッパの少数民族のまとめの続きです。前回は、 フリース人(ドイツ・オランダ) ソルブ人(ドイツ) コーンウォール人(イギリス) アイリッシュ・トラヴェラー(アイルランド) ガリシア人(スペイン) を紹介しました。今回は、スペイン、イタリア、スイスの少数民族です。 6. メルチェーロ(スペイン) Work by Javier cuervo フランコ時代に定住生活に入った出自不明の流浪集団 メルチェーロは、キンキ(quinqui)ともキンキリェーロ(quinquillero)とも言われます。「巡回鋳掛屋」という意味の移動職人集団です。 彼らの出自ははっきり分かっておらず、15世紀にドイツからやってきた銅細工士集団という説や、抑圧によって流浪生活に入ったムーア人の子孫という説もあります。有力なのが、16世紀の飢饉で土地を失ったカスティーリ

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  • なぜ海賊旗はドクロのデザインなのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    恐怖と死の象徴「ジョリー・ロジャー」 黒字に骸骨、そして骨と言えば子どもでも「海賊の旗」だと知っています。 見るからに「危険」「近づくな」と言わんばかりのおどろおどろしいデザイン。 転じて、このデザインは「危険物輸送中」とか「付近に地雷あり」のような意味を知らせるサインになったりしています。 日では「海賊旗」という身も蓋もない呼び方をされますが、英語だとこのデザインは「ジョリー・ロジャー」という名前で呼ばれます。 このデザインはいつから使われ、なぜ使われ、かつなんでジョリー・ロジャーなのか、というのが今回のテーマです。 1. 海賊が海賊旗を掲げる意味 視覚的な威圧を与えるための海賊旗 海賊が海賊旗を掲げて航海するのって、おれは海賊だぞ!と宣言しているもので、却ってとっ捕まる可能性が高いんじゃないかと思っていました。 四六時中この旗を掲げながら航海するとさすがにアホ丸出しなんですが、要は使

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  • 歴史上の偉人が改名したきっかけ - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    人生いろいろ、改名いろいろ 世界史の偉人は現代人では考えられないほど、コロコロ名前を変えてます。 そんなにしょっちゅう名前が変わってたら不便でしょうがないじゃないかと思いますが、子どものときは幼名で、大人になったらちゃんとした名前をもらい、偉くなったら立派な名前をもらったり付けたりするというのじゃごく最近まで日でもありました。 人生のステージで名乗り名を変えていくのは、新しい自分に生まれ変わる感があって、個人的にはちょっと憧れるんですが、では歴史上の偉人たちはどういう時に名前を変えていったのか、というのが今日のテーマです。 1. ネルソン・マンデラ(改名前:ホリシャシャ) イギリス人の先生が呼びやすいように改名 南アフリカの英雄ネルソン・マンデラはたくさんの尊称がありますが、それは彼が黒人解放闘争を戦いその後黒人初の大統領になる中で付けられたもの。 彼の少年時代の名前は「ホリシャシャ」と

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  • アメリカ大統領を暗殺しようとしたクレイジーな犯人たち - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    ちょっとアブナイ暗殺者たち アメリカ大統領ともなると、いつどこに暗殺者の魔の手があるか分かりません。 当然、常に警備は厳重なのですが、それでもリンカーンやケネディのように暗殺されてしまう場合があります。 おおよそ暗殺を行うには明確な動機があり、例えば自らの主義主張を広めるためだったり、社会改革のためだったり、大なり小なり政治的な主義思想が含まれていることが多いですが、中にはまったく理解不能な理由から大統領暗殺の実行に至った例もあります。 1. リチャード・ポール・パヴリック(1887-1975) ケネディによる「悪政」を憂いて暗殺を実行 ジョン・F・ケネディは1963年にテキサス州ダラスでリー・ハーヴェイ・オズワルドによって暗殺されました。この暗殺は様々な陰謀が働き未だに全容が改名されていませんが、実は殺害される3年前に73歳のリチャード・ポール・パヴリックという老人に命を狙われていました

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  • 史上最も短命な国家ベスト10(後編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    ついに日数一桁の世界へ 国家というものは自分で勝手に国家を名乗っても認められず、他の「信頼されている国家」に承認されて初めて一人前と認められます。 言うなればヤクザ社会のようなもので、他の親分連中に認めてもらえないと潰されるだけです。 前編から続いている「短命な国家ベスト10」ですが、今回は後編です。 5位:フェロー諸島共和国(1946年9月18日〜9月24日 6日間) 独立投票が無効と見なされ解散させられた国 フェロー諸島はイギリス諸島の北に浮かぶ北方の孤島で、北西のアイスランドと同様、ノルウェーヴァイキングの末裔が住んでいます。 長い間ノルウェーの支配下にありましたが、16世紀にノルウェーとデンマークが同君連合になった後はノルウェー=デンマーク領となり、1814年に連合が解消されたタイミングで北西のアイスランドと同様デンマーク領となりました。 1940年に第二次世界大戦が勃発すると、ド

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